Un gato lo vio −猫は見た

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足立美術館所蔵 横山大観と近代日本画名品展

大観の画歴を俯瞰する22点は質量ともに見応えがあり、特に、ポスターに用いられた六曲一双の大作「神州第一峰」は雄大さと張り詰めた緊張感に圧倒され、荘厳な雰囲気に畏怖の念さえ覚えてしまいます。「霊峰夏不二」で青い富士山を取りまく雲の描写にも目が釘付け。

個人的に楽しみにしていたのは東西の美人画対決です。鏑木清方の描く凛とした女性、上村松園のやわらかな女性、この2人の作品が並んでいるところを見たかったのです。
清方は男の求める理想像、松園は女性の願望像を描いているように感じました。
私は松園の方が好みだな。

もう1人の美人画家、伊東深水のハイカラな女性に朝丘雪路を想像するのはうがち過ぎですかねえ。

色彩の鮮やかさとデザイン性にはっとしたのが小林古径の「木蓮」。早春の野に燃え立つ生命そのものを見たようで、しばらく立ち去ることができなかった。

展示される作品点数も適量で、全てをゆっくり鑑賞してもぐったりすることはありませんでした。優雅な午後のひとときでした。

新潟市新津美術館で5月20日迄

 

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小倉遊亀展

美術展に出かけて感銘を受ける作品は数多くあるものの、実際にその絵を自室に飾ってみたいかと問われると、是非にもと思うことは意外に少ないものです。サイズの問題もさることながら、題材によっては部屋が陰気になりそうだし(ゴヤの黒いシリーズに囲まれたら人間不信になるな)、作家のパワーが溢れすぎる作品も疲れそうです。

私にとって小倉遊亀はその点で希有な画家でして、美術館で気に入った作品をそのまま自室に持ち帰れたらなあ、といつもため息をついてしまいます。

今回の展覧会で持ち帰りたいと思ったのは、素早い線と人物の柔和な目元に心が和む「夏の客」、105歳の絶筆ながら力強く色彩にあふれる「盛花」、1950年代の小津映画に出てきそうな闊達な女性を描いた「娘」でした。

小倉さんは、生きとし生けるもの全てが仏と考えていたようで、なるほど、人を見る目が優しいと感じます。一方、静物画は対象物の美しさをそのまま描くのではなく、強調して、あるいはより効果的に見えるように再構築、デフォルメするという、自由で軽やかな精神に溢れています。

売店で画集や絵はがきを手に取ってみたものの、やはり実物を見た直後では受ける印象の落差にがっかりして購入に至らず。
せいぜい、会期中に何度も足を運ぼうと思うのでした。

新潟市美術館で6月10日迄楽しめます。

 

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ハッピーエンド

端から見れば、裕福でうらやましくなるような生活を送る建設会社社長一家。しかし、普通の家庭と同じようにさまざまな問題を抱えています。

現場の死亡事故、跡取り候補である長男の無能さ、2番目の妻と共に実家に同居する社長弟の不倫、高齢になった前社長の認知症(の振り)。そして幼い姪が抱える心の傷。

みんな大変だけど、よくあることだな、そう思った私の心を見透かしたかのように、老父が姪に言います。
「庭で大きな鳥が小さな鳥を捕まえて食い殺した。テレビで見ていたらこれも自然の摂理だと理性的に納得できたはず。しかし、現実にこの目で見ると震えるほど恐ろしかった」

観客である私はスクリーンで起きる出来事を理性的に納得しながら見つめています。この映画でも「よくあることだ」と、この家族の問題を一般化しています。しかし、当事者がその悩みを一般化することは難しく、たとえ可能だとしても、「心が震えるほど恐ろしい事実」が消えるわけではありません。

現代人の多くは携帯電話を有し、そのカメラレンズを通して世界を認識する機会が増えています。しかし、レンズを通すことでスクリーンに映る出来事を極度に客観視してしまい、心震わせる人の気持ちをくみ取ることができなくなっている。

媒体を介さずに現実に向き合えば、さまざまな問題を「ハッピーエンド」に終わらせる可能性がある、監督はそう訴えているのかもしれません。

もし、そうであれば、この作品は映画を否定する映画と見ることもできます。

 

公式サイトはこちら

 

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楽園のカンヴァス  原田マハ

アンリ・ルソーの大コレクターであるバイラーは死期を悟り、所有する大作を世界的権威に鑑定依頼して優れた講評を述べた人物に取扱権を譲渡すると決意。選ばれたのはMoMAアシスタントキュレーターのティム・ブラウンと新進気鋭の研究者、早川織絵。

真贋の判定方法は、7章からなる書物を毎日1章ずつ読み進めるという奇妙なもの。MoMA所蔵「夢」に酷似した「夢を見た」は果たして本物なのか、いずれが勝者となるのか、そして譲渡の意図は。

ストーリー展開のスリリングさもさることながら、作者の絵画作品に対する姿勢が興味深かった。作中の主要人物は何百時間も一つの作品と対峙し、作家の意思、情熱を探り当てようとします。もちろん、原田さん自身も同様か、それ以上の熱意を持って対象作品に向かい合っているでしょう。1つの作品からこのような物語を紡ぎ出すほどなのですから。

新しい視点を与えてもらえるとはなんと楽しいことだろう。私自身も「日曜画家」レベルじゃないの? と見ていたルソーに対する別な視点を教えてもらいました。

そして、他の画家に対しても柔軟な心、素直な気持で作品に対峙したいと思いますね。これまで、原田さんや、作中人物と同じように、とことん絵画作品に向き合ったことはなかったなあ。

作中に現れるルソーの物語だけを独立させ、細部をもっとふくらませても興味深い作品になりそうです。

 

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ある愛へと続く旅

オリンピックを目前にしたサラエボで出会ったジェンマとディエゴ。結婚後、子どもが授からない夫婦は思い出の地で代理母出産に踏み切りますが、民族紛争が勃発したサラエボで2人は離ればなれとなり、やがてディエゴ死亡の報が届きます。
16年後、往時の友人、ゴイコに招かれたジェンマは息子ピエトロを伴ってサラエボを訪れ、そこでピエトロ誕生にまつわる驚きの事実を知ることになるのでした。

役者がしっかり演技しているのに、各シーンに深みが感じられず、映画に求心力が働いていない、深刻なテーマをうまく捌けていない、などとくさしていたのに、母子がゴイコの自宅を訪ねる最終場面で印象が一変しました。

それまでは情熱的なジェンマに比べて彼女を取りまく人物がうすっぺらに感じられたのです。しかし、核心となる事実を知ると、実際には彼女以外が善意に満ちた利他的な人物ばかりで、むしろ、ジェンマの利己的な性格が浮き彫りになってしまうのでした。

でも、この映画はそこで終わりません。真実を知った彼女が、他の人物たちに劣らぬほど利他的な人になるであろう可能性を示しているのです。ジェンマが覚醒すれば善意の環が完成する。

そしてもうひとつおまけが。なんとも意地悪いことに、最後の最後に新たな悲劇の種が捲かれていて、なかなか一筋縄ではいかない映画なのでした。

 

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ウォーターメソッドマン

映画「ホテル・ニューハンプシャー」は、登場人物が勢ぞろいするラストシーンが最高でした。生者も死者も、好い人も悪い人も、熊も犬も、みんなが笑顔でホテルの庭に集う様子は、原作に通底する人生賛歌を肯定的に表現しています。

この場面、小説にもあれば良かったのにと思っていたところ、なんと、別の作品にその原型を見つけてしまいました。

最近は新刊本に気を惹かれることもなく、もっぱら過去のお気に入りを再読していまして、先日選んだのはアーヴィング2作目の長編「ウォーターメソッドマン」。
不器用すぎて2人の妻と子ども、友人や親などに迷惑ばかりかけているトランパー君が、ついに自らの責任を意識して大人になろうと決意するお話。

あまりの駄目さ加減に(自分を見ているようで)いらいらし通しでしたが、誰もが人生を謳歌すべき、生きているって素晴らしいんだから、と達観する最終章。明け方の海辺で起き上がろうとするトランパー君を祝福するかのように、家の窓が開き、家族や友人が朗らかに声をかける場面はまさに、ニューハンプシャーのラストシーンそのもの。

映画の脚本家がこの最終章からアイディアを拝借したのだとしたら、やはり目の付け所が良いと唸らざるを得ませんね。

 

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4321 ポール・オースター

アーチー・ファーガソン君の誕生から青年時代までを描いた成長物語。
彼は激動の50年代〜70年代に青春時代を過ごし、様々な喜びや苦しみを経て成長していくことになります。その後の世代として生まれた私は、憧れの時代の雰囲気を自分の肌感覚を通して味わっているような気分に浸れました。ただ、それで終われば、よくできた小説というだけの話。ところが、オースターはこの小説にとんでもない仕掛けを用意していました。

あのとき別な道を通っていたら何が起きたのだろう、違う学校に進学していたらどんな仕事に就いてたのだろう、そんなあり得たかもしれない違う人生を想像することないですか? オースターはその問いの答えを「4321」で示そうと試みているのです。そう、なんとアーチー君の4つの可能な人生を並列して展開しているのです。だからこそ手に取ることが憚られるような分厚さ。つまり4冊分なんですね。

読み進むに従ってタイトル「4321」の意味が分かり始めるし、最後の最後に「百年の孤独」のラストを思い出させるようなオチが用意されています。ええっ、そう来るの?!

並行して進む彼の複数の人生を眺めていると、自分の人生も偶然(あるいは必然?)の積み重ねでここまで到達してきたことを実感するし、その歩みが唐突に断ち切られる可能性だってあるんだと、ある種のあきらめも感じます。人生は自分に都合良いように進んではくれない。

オースターの経歴と見比べてみると、作者自身がモデルなのは明らか。最近、過去を振り返る著作が続いていましたので、その集大成という意味合いもあるのかな。どの人生でも、もれなく恋人が見つかってしまうのは憎いけれど。

 

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ベロニカとの記憶

何事にも煩わされることなく老後を過ごしたいと思っているトニー。ある日、大学時代に付き合っていたベロニカの母から遺言状が届き、そこにはトニーの親友だったエイドリアンの日記と現金500ポンドを遺すと記されていました。ところが、その日記は娘が焼却処分。かつての恋人にその理由を追及するうち、トニーは封印していた過去の記憶と向き合うことになってしまう。

人は自分の都合に合わせて記憶をねつ造する。どこかで聞いた話だなと思っていたら、原作はジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」でした。精緻な工芸品のような構成に舌を巻き、私自身の苦い記憶を呼び覚まされたことが強く印象に残っています。

映画では若干設定が変えられ、過去のおぞましい記憶を掘り返したトニーが他人の気持ちを斟酌できるようになるという結末を迎えています。その重要な役割を果たしているのはシングルマザーになることを決意している娘のスージー。

父の告白を聞きながら出産の時を迎えてしまう彼女は、不安を鎮めるために「握って」と言ってトニーに手を差し出します。しかし、差し出された手は心が千々に乱れて混乱する父をつなぎ止めるものだった。私の目にはそう映りました。娘の手を握らなかったら、おそらくトニーは現実世界に留まれなかったはず。彼女はこの映画の影のMVPでした。

エイドリアンが自ら命を絶つ理由、その原因となったはずの母娘の葛藤を深掘りするという展開もありだったと思いますが、そちらは小説でどうぞ。

 

映画サイトはこちら。

 

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早春の角田山

3月18日、お天気に誘われて今年初の角田山へ。

五箇峠から樋曾山へ向かおうと林道を進んだところ、ごらんのような倒木で駐車場へたどり着けず。予定を変更して桜尾根へ。

こちらは雪割草が顔を出し始めていましたが、日が当たらずうつむいたまま。来週あたりが見頃かもしれません。

登り切ったところでそのまま灯台コースへ向かい下山。こちらは灯台が見える地点まで登山道にも所々雪が残り、少々滑りやすかった。

日当たりの良い斜面ではすでにカタクリとイチゲが気持ちよさそうに風に揺れています。

10時を回った辺りで途切れなく登山者が現れ始め、あの様子では昼時の山頂は大賑わいだったことでしょう。

帰りがけに宮前コースの神社で手を合わせ、湿地の植物に目をこらすも、種類が判別できず。昨年夏、巨大に成長した葉を見て水芭蕉じゃなかろうかと密かに楽しみにしていたんだけれど、どうも違うみたい。また来週確認に行かなくちゃ。

 

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ピクニック

パリの裕福な商人一家が涼を求めて郊外の川岸でピクニックを楽しんでいたところ、地元の女たらしが母娘に目を付け、まんまと誘惑に成功。互いにつかの間のアバンチュールを楽しむという、1時間弱の小品。

降り注ぐ陽光、吹き渡る風、きらめく川面、そして人生を楽しむ人々。ありふれた景色がとても魅力あるものに感じられるこの感覚は、ある種の仮想現実体験と呼びたくなります。以前から、優れた画家の目に世界はどのように映っているのだろうと想像してきましたが、この映画を通して、彼らの心に映る世界を自分の目で確認しているような心持ちになりました。

観客が体験するのは、もちろん印象派の絵描きたちの感覚です。監督ジャン・ルノワールはピエール=オーギュスト・ルノワールの息子。父を尊敬し、大きな影響を受けたのは間違いないでしょう。随所に印象派の作品を思わせる構図が見受けられ、モノクロ映画にもかかわらず(いやモノクロだからこそかな)、あふれる陽光が眩しく感じられました。


そうか、彼らの眼にはこんな世界が広がっていたんだなあ。

終盤に用意される天候の急変場面がもっとも印象に残りました。日射しいっぱいの青空が一天にわかにかき曇り、沸き立つ黒雲が風に流される。やがて豪雨が川に降り注ぐシーンは、まさに動く印象派絵画といった趣でした。

この映画のおかげで、新たな視点で絵画鑑賞を楽しめそう。

 

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