Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

山椒大夫

安寿と厨子王って哀しいお話しだったのですね。今までまったく知らなかった。これが学芸会の定番演目とはねえ。このお話を演じる園児たちの心は大丈夫なのかな?

映画を観た後で森鷗外の小説も手に取って物語の展開を比較してみたところ、もちろん大筋は同じでしたが、細部にいくつかの相違がありました。
最も大きな違いは、奴婢などの使用人を酷使する荘園管理人、山椒大夫の扱いです。

関白の命で国守となった厨子王の人買禁止令に対し、鷗外版では山椒大夫がおとなしく従った結果、賃金を支払われることになった使用人がやる気を出して、荘園がますます栄えました、めでたしめでたし。

一方映画の溝口版では山椒大夫が禁止令に反発。強制的に身柄を拘束されたうえ、厨子王に解放された奴婢が館に火を放ち、今後の展開にきな臭さを感じる後味の悪さが残ります。

森鷗外は中世の人身売買を題材にして人の世の残酷さを抑えた筆致で淡々と描き、溝口健二は非人間的な扱いに激しい憤りを覚えた主人公の生き残りを模索する執念、悪行は正されなければならないという正義感に重点を置くことで、むしろ人の愚かさを際立たせていたように思います。

それはそうと、昔の役者の演技には緊張感と気品が漂っていて、思わず画面に引き込まれてしまいます。
この映画では香川京子の清楚な美しさにくらっとしました。

 

JUGEMテーマ:映画

映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ヤナ・ノボトナの涙 

ボルグとマッケンローの手に汗握る攻防に夢中になって以来、ウィンブルドン選手権の虜になり、アガシ引退の年まで熱心にテレビ観戦したものです。
数々の名勝負、名場面が思い出されます。その中で、私の心に最も印象深く残っているのは、ボルグの5連覇でもなく、アガシの純白のウエアでもなく、ひいきにしていたイワニセビッチ初優勝でもなく、ヤナ・ノボトナが決勝戦敗退後に流した涙です。

1993年の決勝戦、相手は女王グラフ。第1セットのタイブレークを接戦の末落としたものの、第2セットを6-1で取り戻し、そのままの勢いで第3セットも4-1とリード。初優勝は決定的と思われましたが、ダブルフォルトをきっかけにずるずると5ゲームを連続で失い、まさか、まさかの逆転負け。
表彰式で優勝プレートがグラフに手渡されるとノボトナは感情を抑えられなくなりました。その涙を目にしたケント公夫人がノボトナの肩に腕を回すと、彼女はその肩を借りて泣きじゃくることになるのでした。

後にノボトナはBBCのインタビューでこう語っています。
「翌日新聞を広げたら1面にケント公夫人と私の写真が載っていて、まるで優勝したみたいだった。
負けてしまったのに93年の試合をいちばん誇りに思うと言ったら怪訝な顔をされるかもしれない。でも、あの試合があったからこそ私のプレーは進歩し、人として成長できた」

肩を借してくれたケント公夫人は「あなたならできるわよ」と励ましてくれたのだとか。その後もノボトナはウィンブルドンへの出場を続け、97年は再び準優勝、そして翌98年、3度目の決勝戦でついに優勝。ケント公夫人の言葉が正しかったことを証明して見せたのでした。
愛おしそうに優勝プレートを抱きしめた姿も忘れられません。

がんのため49歳で亡くなったノボトナさんのご冥福をお祈りします。

 

JUGEMテーマ:ニュース

JUGEMテーマ:スポーツ

 

スポーツ | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

雨月物語

天正11年、琵琶湖北岸の陶工、源十郎は戦景気で一儲けしようと企て、侍になって出世を果たしたいと願う義弟、藤兵衛夫婦を伴って長浜へ。

品物がやんごとなき姫、若狭の目にとまった源十郎は、屋敷へ届けるよう仰せつかり、供応を受ける中、その娘と契りを交わしてしまいますが、彼女はこの世のものではなかった。
一方、妻、阿浜を放りだしたまま侍の端くれに加えてもらった藤兵衛はどさくさに紛れて敵将の首を手に入れ、武将として出世。ところが、祝いとして部下ともどもしけこんだ女郎屋で変わり果てた阿浜と再会するのでした。

という、欲をかいて散々な目に遭った2人の男と巻き添えを食った妻たちのお話。
ただ、男たちの浅はかさが悲劇を招いたと単純には割り切れないものも感じます。戦国の世にあっては、「慎ましくとも親子で楽しく生きる」という望みは簡単に叶えられるものではなく、源十郎や藤兵衛のように賭に出なければ手に入れられない夢だったのではないかと思えるのです。

日本的な恐怖感に満ちたこの映画で圧倒されたのは、京マチ子の妖しさですね。幸せを知らずに死んだ女が男を捉えようとする妄念は見ているこちらもタジタジ。目に現れる感情の変化が素晴らしくも恐ろしい。いやあ、迫真の演技です。
そして、それとは好対照をなす田中絹代の健気な雰囲気も良かった。私ならあれほどの賢婦を捨て置いて危ない橋など渡りませんけどね。

JUGEMテーマ:映画

映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |