Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
<< May 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

アイ・アム・キューブリック!



またしてもキューブリック監督を騙る男のお話(制作年はムーン・ウォーカーズよりこちらが先)。

人生の負け犬を自認するゲイのアラン。しかし、彼は自信たっぷりにキューブリック役を演じることで、町で出会う人たちを次々に魅了。若手デザイナー、アマチュアロックバンドはおろか、レストラン経営者や有名コメディアンまで籠絡してしまい、一瞬の快楽に浸り続けるのです。

正体がばれても人の心を操る技が鈍ることはありません。精神疾患を装って刑事訴追を免れ、しかも、担当医の自尊心をくすぐりながら、有名人しか入所できないような超豪華禁酒クリニックに国費で潜り込んでしまうのですから、もはや職人技の極みです。

嘘は大きいほど信じてしまいがちですよね。しかも、巧みに自尊心をくすぐられたら、これはお手上げ。信じたい、褒められたい、という気持ちは誰の心にもあるものです。たぶん、私もアランにお金を巻き上げられる口ですが、やられたときはお見事と脱帽するしかなさそうです。

 
JUGEMテーマ:映画
映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

春琴抄



「蓼食う虫も好き好き」「十人十色」「千差万別」などという言葉が浮かぶ読後感です。人が何を以て幸せと感じるか、それこそ各人各様なわけでして、傍目にどれほど悲惨であろうと本人が満足しているなら、それはそれで良し、ということですね。

先日観た「やさしい女」に登場する質屋の主や、同じ谷崎でも「卍」の登場人物達は自然災害のような女に振り回されて疲弊していくわけですが、「傍にいるだけで幸せ、むちゃくちゃ要求して下さい」という態度の佐助は、悟りの境地に達しているのでしょう。

本当に愛の形は人それぞれですね。「醜くなった姿を見られたくない」という春琴の意を汲んで自分の眼を針で突き刺すなんて常軌を逸しているように感じられますが、本人がそこに幸福を見いだすのなら、もはや他人がくちばしを挟む余地はありません。似合いの相手が見つかって良かったね、と思うばかり。

そして、常軌を逸した部分というのは表に出る出ないはあるにしろ、誰もが抱えているもの。だから「変な人たち」と突きはなすことができないんだなあ。
 
JUGEMテーマ:読書
小説(あるいは読書) | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

若者のすべて



南部の貧しい暮らしから抜け出そうとミラノへ出てきたパロニディ一家。しかし、夫を亡くしたばかりの母親と5人兄弟を待ち受けていたのは、住む家さえ見つからない厳しい現実でした。
ほどなく年長の兄弟たちはそれぞれに暮らしの糧を見つけ始めますが、偶然知り合った娼婦を巡って家庭内に軋轢が生じ、やがて一家には望郷の思いが募っていくのでした。

たとえろくでなしだとしても、肉親なのだから見捨てることはできない。それは分かります。思うにまかせない人生だとしても、支えあうことができるパロディニ兄弟は救いがあると言えるでしょう。
でも、兄と弟に翻弄されたナディアには慰めになるものが何一つとしてなかった…

ボクシングに才能を見せた次兄シモーネに近づいたのは打算だったけれど、その後、偶然に再会した三男ロッコに捧げる愛情は本物でした。しかし、ロッコは嫉妬に狂うシモーネを哀れに思い、大げんかの挙げ句に身を引いてしまいます。兄弟愛に負けたナディアは再び娼婦に逆戻り。居直ってパロンディ家に居座ったあげくにあの結末では、神様もずいぶん恨まれることでしょう。

それにしても、若きアラン・ドロン、格好いいですなあ。そしてナイーブすぎる神経の細さ。若者の美しさと危うさを見事に体現しています。

「月影のナポリ」をみんなが歌う場面は楽しそうでした。本当にはやっていたんだ。

JUGEMテーマ:映画
映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち



福島県立美術館を訪れ、フェルメールとレンブラントを楽しんできました。信夫山の緑を背景にした美しい美術館は、平日にもかかわらず駐車場待ちの車が並ぶほどの盛況ぶり。館内の熱気もすごかった。

ハイライトは共に日本初公開となったフェルメールの「水差しを持つ女」とレンブラントの「ベローナ」。
前者はフェルメールの代表的な構図と淡い光が印象的でしたが、力強さに欠けるというか、はかなすぎるように感じました。
後者は一連の女神像の中の1点とのこと。こちらは存在感たっぷり。女神というより町屋の肝っ玉母さんといった、ふんわりした笑顔に引き込まれます。

美術館級の秀作ばかりを揃えた展覧会ではなく、むしろ当時の裕福な家庭に飾られていたのであろう小品が多く並べられていました。それはそれで、当時のオランダの繁栄ぶりが偲ばれ、興味深い展示内容でありました。いっちゃってる表情の人物が多く描かれていることもおもしろかった。

個人的にはヘラルト・ダウの「窓辺でランプを持つ少女」が最も印象に残りました。
恋人を待ちわびるメイドが、愛しい人の足音を聞きつけて窓の外に乗り出した姿だろうか、とあらぬ妄想を抱かせる佳作だと思います。
 
JUGEMテーマ:美術鑑賞
美術 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ニュークリア・エイジ



前回、外国語で作品を記す現代作家は他に知らない、と書きましたが、もしかして、この小説は村上春樹がティム・オブライアン名義で書き、そして自ら訳したのでは? いや、そもそも最初から村上さんが日本語で書いた小説かもしれないぞ…

という妄想がわきおこるほど、この小説は村上ワールドそのもの。テーマ、ストーリー展開、登場人物の性格、話し方、どれを取っても村上さんの小説そのものに感じてしまうのです。

ウィリアムは村上小説に登場するあまたの主人公と同じような思考方法の持ち主だし、感じのいいラファティーと筋肉のあるモナリザことサラは、「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田君とユキ(あるいは「ねじ巻き鳥…」の笠原メイ)、ティナとオリーのコンビは「世界の終わり…」のちびとのっぽの凶悪コンビを思い出させます。そして誰もが抱える心の闇。

そんなわけねーだろ、とは思いますよ。
でも再読してみると、他のオブライエン作品とは明らかに雰囲気が違うんです。訳者は匿名性が大事と語っている村上さんが、あえて自作の文体を持ち込んでいるあたりに怪しさを感じますねえ。

本人名義では憚られるストレートな本音を語るため、昵懇の(?)オブライエンに「頼むよ、手柄は君にあげるからさ」とささやいている姿が目に浮かぶのですが。
どうでしょう、村上さん。
 
JUGEMテーマ:読書
小説(あるいは読書) | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |