Un gato lo vio −猫は見た

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ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男



JB本人が乗りうつったかのようなライブパフォーマンスは必見、と聞いたけれど、本当にすごい! いやあ、ステップの凄いことすごいこと。格好ええー、としびれまくっていました、はい。

いや、もうそれだけでこの映画の楽しみは充分すぎるんですけれど、制作者が伝えたかったのであろうJBの人生観も興味深かった。

この映画の中でJBは、自分だけの力で頂点を極める、そのためには何でもする、おれが神様、という態度をとり続けますが、それは、母に捨てられたというコンプレックスを力尽くで抑え込むあがきだったように思えます。

ライブ後の楽屋を母が訪れ、彼を置き去りにした本当の理由を告げたとき、JBは自分が孤独な天才でいる必要はないのだと安堵したように見えました。もう、強情を張る必要はない。おれだって信頼し合える人がほしいんだ。

それまで抑え込まれていた魂がくびきを解かれたように、JBは旧知の、そして、いちばんの理解者であったボビー・バードにステージからラブコールを送ります。
それはとても控えめなパフォーマンスでしたが、もちろんバードはその意図を理解します。互いの才能を認め合って共にスターダムにのし上がった2人は、決別の後に再び手を取り合うのでした。

JBをリスペクトする映画なんだから、やっぱりこういう結末がふさわしいですね。

オネエ喋りのリトル・リチャードにはびっくりした! 

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私が、生きる肌



前半は亡くなった妻をよみがえらせようとする皮膚科医ロベルの狂気が、後半はロベルに人生を奪われた青年ビセンテのアイデンティティ回復に向けた執念が物語を推し進めます。

アルモドバル監督は「オール・アバウト・マイ・マザー」以降、高らかに女性賛歌をうたっていたように思いますが、この映画はかなり雰囲気が変わっていました。人が内側に抱えるあらゆる想念が嫌な形でどろりと流れ出たような。

全体を通して感じるのは、運命の不可解さです。さまざまな出来事の連鎖が人を思いもかけない場所に連れて行ってしまう。

この映画ではロベルの使用人であり母親(ロベルは知らない)のマリリアが全ての発端。彼女の産み落とした異父兄弟が同じ女性を巡って争ったことから負の連鎖が始まり、登場人物全てを巻き込んだ空しい結末へとなだれ込むのです。

これも人の営みの真実の1つなのでしょうが、救いのなさに呆然としてしまいます。
そして、うんうん唸りながらも次作が気になって仕方ないのでした。アルモドバルの中毒性は健在でした。

ところで、邦題の読点「、」は要らないのでは?

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忘れられた巨人



巻末の解説によれば、作者本人はこの物語をラブストーリーだと説明しているようですが、それはもちろん謙遜でしょう。
確かに、失われた愛の記憶を取り戻そうとする老夫婦の旅が縦軸ではありますが、到底そこに収まりきる物語ではありません。私には、各地で対立が絶えない世界の現状をイシグロさんが憂いているように感じます。

私たちは愚かな行為をくり返さないために歴史を記録し学んでいますが、一方で過去の行為にいつまでもとらわれ続け、憎しみの記憶を消すことができません。

例えば、先日放送された「新・映像の世紀」というドキュメンタリー。「今も世界を覆う不幸の種子をばらまいた」第一次世界大戦の映像を目にするとで、この悲惨さをくり返してはならないと感じる人が大半でしょう。でも、中には「あいつら、こんな酷いことをしやがったのか、許せん」と新たな憤りを覚える人だっているはずです。

「やられたらやり返す」という意識が消えない限り、あらゆる対立が消えることはないでしょう。
でも、この小説のように、もし世界を「健忘の霧」が覆ったとしたら。
美しい記憶、楽しい記憶も失われてしまいますが、同時に醜い記憶、辛い記憶も消えてしまいます。昨夜の出来事さえおぼろにしか思い出せない世界が訪れたら、もしかすると人は融和の世界を実現できるかもしれません。

歴史はもちろん重要ですが、勇気を持って忘れなければいけないこともあると諭されたような読後感です。
 
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嵐が丘



子ども時代にいじめられ続けた孤児ヒースクリフの執拗な復讐劇。
拾ってくれたアーンショー家はもちろん、姻戚関係を結ぶことになったリントン家にまで魔の手を伸ばし、両家にかかわる人々を次々と破滅させてしまいます。
そして、心に闇を抱えたヒースクリフもまた、自らの所業にふさわしい最期へと向かうことに。

現代ではもっと複雑で読み応えのある愛憎劇をいくらでも楽しむことができますが、最期までひたすら復讐を続けるヒースクリフのパワーは今でも圧倒的に感じられます。18世紀の人里離れた土地にあっては他に気を紛らわすものがないだけに、叡智のありったけを絞って両家にかかわる人々を苦しめようとするのですね。いじめる方もいじめられる方も共に消耗戦を繰り広げ、いやはやご苦労なことです。

物語の主な語り手である女中のネリーが、見方によってはかなりのくせ者です。彼女はアーンショー家の乳母の娘で、同家の2人の子ども、そしてヒースクリフと共に育ちます。いつも公正な立場から主人たちの行動を評価してきたような話しぶりですが、もしかしたら彼女の行動の全ては裕福な生活を送ることになった幼なじみたちへの受動的攻撃行動だった可能性がないわけではない。

物語の最後でささやかな財産と家を手にしたネリーこそがこの物語の勝者のように思えるのです。復讐劇はヒースクリフだけが演じていたのではないかもしれません。
 
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一路



ほくそ笑みながらペンを取る浅田さんの姿が目に浮かんできます。いつものように感情のジェットコースターを体験させ、最後に己の来し方を振り返らせるような仕上がりで大満足なのですが、これ、ご本人も相当楽しみながら書いたんじゃないかなあ。

うつけのふりをして実は聡明、でも時々本当に箍が外れてしまう蒔坂(まいさか)の殿様の楽しいこと! 窮地を救ってくれる安中城主板倉主計頭(かずえのかみ)は家臣ともども朝晩の長距離走を欠かさないという健康オタク。「きんぴか」の軍曹を思い出させる人柄で、浅田さんの最も得意とする(?)キャラクターです。
さらに、渡世人となって参勤道中の目配りをする元田名部藩士の名前が浅次郎ですよ、浅次郎。博打に弱いという設定が笑わせます。そして、馬は喋るし、鯉も考える。

笑わせながら人の品格というものを考えさせてくれるところがさすがなんです。ちっとも説教くさくないのに、ああ、こんな人間になろうと思わせてくれる。
一方で、「人間の幸福とはある程度のいい加減さによってもたらされる」だの「人間には隙がなくてはならぬ」などと、私のようにとうてい立派な人物になれない者にもなぐさめの言葉を用意しているんだから抜かりがありませんねえ。

次も期待しています。

 
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