Un gato lo vio −猫は見た

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ダンス・ウィズ・ウルブズ



1991年のアカデミー賞ーでいくつものオスカーを獲得した、言わずとしれた名作。評判通り素晴らしかった。
北米最後のフロンティアが持つ自然の美しさと厳しさ、異文化の遭遇がもたらす緊張と融和、抑圧者の暴力にさらされた非抑圧者の抵抗とあきらめ。いやあ、噂に違わぬ見事な映像作品でした。

特筆すべきは、白人=正義、先住民族=悪、という、それまでステレオタイプに描かれていた両者の構図を逆転させたことだと思います。レーガン大統領が軍事費の拡大を続け、ソ連を「悪の帝国」と呼んでいた時代にこの映画が企画されたことを考えると、よく完成にこぎ着けたなと感心してしまいます。

アメリカという国は(他の国々同様)いつも深刻な問題を抱え、泥沼に足を取られて右往左往しているように見えます。
しかし、時にその内部で自浄作用が働き、例えばこのような映画が制作され、しかも興行的に成功してしまう。そんな様子を見ていると、国民は信頼に足りる人たちなのだと安心できる気持ちになります。

本音は本音として持ちながら、しかし、掲げた建前はあくまで貫き通すかの国の健全さがこの映画を成功させたのだろうと感じたのでした。

ところで、バッファロー狩のシーンですが、CGのない時代にあの壮大な映像は見事ですね。
失われた先住民族の文化を再現、保存したことも偉いなあ。
 
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神様の家族はたいへん 志賀直哉



「小僧の神様」にかけて「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉。でも、ちまちました話ばかりで「どこが神様なの?」と思っていましたが、改めて短編をまとめ読みして納得。
志賀直哉の場合、一神教のオールマイティな神様ではなく、日本のいわゆる八百万の神様の1人なのですね。確かに優れた短編の文章には精霊が宿っているように感じられます。

さて、それはそれとして、志賀直哉の奥さんにはなりたくないですね。
小説と称して家庭内のことをだだ漏れにしているんですから。最悪なのは浮気話。
あっけらかんと自分の心情を表現するのはともかく(これが自然主義?)、「浮気のやましさで妻に対する態度が優しくなった、それなのに悋気を起こして別れろと迫るのはけしからん」という発言は、さすがに大正期でも問題があったのでは。

しかも、別れたと嘘をついてその後も逢瀬を続け、挙げ句にネタが尽きたと言ってまたその話を書き続けるってどういう神経なんでしょう。「妻が読むとまずい、みんな黙っているように」って、あんた。

ただ、「小僧の神様」は素晴らしく良かった。奉公に出されて給金も貰えない境遇、一度でいいから鮨を食べてみたいという切ない望み、お金が足りなかったときの惨めさが、まるで自分の体験のように迫ってきます。
そして、親切なおじさんの善意に甘えることはせず、その気持ちだけもらって感謝し続ける小僧の態度が清々しかった。

「城之崎にて」と「濠端の住まい」も文章に精霊が宿る秀作でした。
でも、やっぱり、この人の奥さんにはなりたくないな。
 
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パレードへようこそ



世間から差別視されるゲイのマーク君。テレビニュース で炭鉱労働者の危機を知り、同じマイナー同士、助け合いが必要だと覚醒。仲間と共に「レズビアン・アンド・ゲイ・サポート・マイナーズ(LGSM)」なる団体を結成、募金活動に乗り出します。

ところが、舞台は同性愛への理解が今よりはるかに低かった1984年のイギリス。唐突に支援を受けることになったディライス村は、お金はありがたいけれど、同性愛は気持ち悪いと困惑。
さて、LGSMの善意は炭鉱労働者たちに受け入れられるのでしょうか?



苦難を乗り越えて目標を達成する、というお話は嫌いじゃありませんが、正面からまともに攻めてこられると、なにやらお尻のあたりがむずむず。

ここ10年ほどで目にするイギリスのコメディ映画にはその手の作品が多いような気がします。「政府(サッチャー首相!)にいじめられる」マイナー同士が互いのプライドのために手を取り合う「パレードへようこそ」もそんな映画でしたが、でも、最後にぐっとくる場面が用意されていて、むず痒さなんてきれいさっぱり消えてしまったのでした。

しかも、このお話、実話に基づいているのだとか。
日々流れてくるニュースは、対立と衝突ばかり。人はどうしようもない生き物なのだとうんざりしているのですが、こんな美談が実際にあったなんて、まだまだ捨てたものじゃないと嬉しくなりました。挙げ句は、エンディングクレジットが終わるまで席を立てない始末。館内には私と同様の方が大勢いました。

ちなみに原題は「プライド」。私が邦題を付けるなら「情けは人のためならず」なんですけど、センスが古すぎですね。

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女神は二度微笑む



出張でインド、コルカタ滞在中の夫から連絡が途絶えた。行方を求めて後を追った妊婦のヴィディヤだが、夫の出入国記録はなく、宿泊先ホテルにも勤め先にもその存在を証明するものはなかった。
あきらめきれない彼女が地元警察の協力を得ながら真相を探るうち、夫にそっくりな人物が国家機密に関与していることが判明。その人物は2年目に起きた地下鉄毒ガス事件に関与していた可能性があった。
果たして、夫は事件に巻き込まれたのか、それとも2人は同一人物なのか。

タイトルの女神とは美しさと激しさを持ち合わせたヒンズー教の闘いの女神、ドゥルガーのことでした。インドでは魔を払ってくれるこの女神を供養するため、毎年盛大に祭りが行われるのだとか。
映画ではこの祭りの場面をクライマックスシーンに用い、二面性を持った女神と意外すぎる経歴を持つヴィディヤの姿が二重写しになるという、憎い演出でした。

それにしても、インド発の本格サスペンス、堪能したなあ。
謎が謎を呼んだ挙げ句の大どんでん返しには「ええーっ! そう来るの!?」と思わず声をあげそうになったし、美貌のヴィディヤに惹かれていく若き巡査、ラナの淡い苦悩もなかなか。
そして、なんといってもコルカタ(旧カルカッタ)の街の猥雑ぶりにくらくらです。なにしろ人々の発するエネルギーが圧倒的すぎます。このあふれ出るパワーがこの映画のいちばんの面白さかもしれません。



新潟では国際映画祭の上演作品として1回限りの上映。ああ、もったいないなあ。

公式サイトはこちら。
 
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