Un gato lo vio −猫は見た

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ザ・ロード




ラストシーン後に画面が暗転し、数秒の間を置いてかすかに聞こえてきたあの音は何を意味するのだろう?
波が海岸に打ち寄せ、人々の声に犬が存在をアピールするように吠えている。そしてまばゆい青空を連想させる鳥の鳴き声。

あの音が後日譚の一部であるなら観客はかすかな希望を抱くことができるけれど、登場人物の誰かが美しい日々を回想していたのだとしたら絶望はさらに深まることになります。

核の冬とおぼしきモノトーンの世界で食糧と燃料を求めてさまよう人々。基本的に他者=襲撃者であり、ことに弱者は周囲への警戒を怠ることができません。もし、「悪しき者」に捕らえられたら、主人公父子のように自殺を覚悟する他ないという絶望感は原作に忠実。

生まれたときから終末世界に暮らしながら、他者を思いやる心に溢れた息子。その姿は美しくもあり、哀れでもあり、とても正視に耐えません。
絶望的な状況におかれても、人は胸に火を抱き続け、「善き者」であり続けることが可能だというメッセージを読み取ることも可能ですが、それでもこの映画や原作の文脈を読む限り、人類は終わりに向かってとぼとぼと歩き続けるしかないように思えます。
最後に聞こえてきた音が後日譚だとしても、状況が一変するような希望は生まれようがないのです。

とても印象深く重要な映画だけれど、やっぱり見るんじゃなかった……

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あそぶ浮世絵 ねこづくし


猫好きにはたまりません。
昔から猫は愛されていたんですね。こういったユニークな視点の展覧会がもっと開かれるといいなあ。

展示された約150点の浮世絵に描かれた猫は(化け猫騒動を除けば)、その6割ほどが白黒のぶち、3割が三毛、1割がその他でした。圧倒的にぶちが多いのは意外。実際にぶちがたくさんいたのか、画家が好んだのかは分かりませんけれどね。

歌川国貞と国芳が作品に猫を多く描いていますが、描写はかなり違いますね。国貞の猫はちょっと痩せぎすで手足が長く、表情もなんだか恐い。一方、猫好きで知られたという国芳はしなやかな肢体をそのままに描いていて、愛猫家ならこちらを支持するんじゃないかな。愛情を持って観察していたことがよく伝わってきます。口元の愛らしいことといったら!

「あそび絵」と呼ばれる一連のおもしろ絵も楽しかった。
猫を擬人化した風俗絵で、これを細かく見ていくといろんな発見があって飽きるということがありません(江戸時代にも相合い傘の落書きが!)。これは手元に置いてじっくり眺めたいなあ。時間がいくらあっても切りがない。

猫とは関係ないけれど、7人の変人女性を描いた1枚は新鮮です。美人画ではなく、いわゆるふつうのおばちゃんたち(しかも変人!)が描かれていて、たぶんこれがリアルな江戸女性の姿に近いのだろうなと想像した次第。

新潟市美術館で2月2日まで開催中。
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恋しぐれ



美術作品の楽しみのひとつは、作家の胸中を想像すること。この人はどんな人生を送って世界をこのように見ることになったのだろうと。
だから、作者を知れば知るだけ、一層作品を楽しむ(胸中を妄想する)ことができるように思います。

昨年はいくつかの展覧会で、江戸絵画をまとめて観ることができました。今やスーパースターの若冲や応挙の細密な観察眼は素晴らしかったし、蘆雪の大胆な描写には圧倒される思いでした。そして、それほど派手ではないけれど、蕪村にも心惹かれるものがありました。

雪に埋もれる夜の京都や、寒さに身を寄せる二羽の烏。寒い情景のはずなのに、そこには他の作家にはない独特のぬくもりが感じられます。
さて、蕪村って俳諧師でもある、という認識の他にほとんど人となりを知りませんでしたが、この連作短編集のおかげで先に書いた楽しみが広がることになりそうです。

60歳を超えた蕪村が、妻子ありながら年若い芸妓に恋をするという物語を皮切りに、応挙や月渓(呉春)など関係する人々のさまざまな、そして切なさの残る恋物語が展開します。
名を成し作品を後世に残すような人でも、名もない人々と同じなんですね。だからこそ、その想いが表れた作品になにかしらの共感を覚えることになるのでしょう。

当時は人気の第一位が応挙、そして若冲、蘆雪、蕪村と続いたそうです。今、名を残しているこれら作者が同時代の京都で、しかも親密な交わりを持っていたとは驚きでした。呉春が蕪村の、蘆雪が応挙の弟子だったとは知らなかったし、応挙と蕪村が経済状態に大きな差がありながらも文人同士ならではの礼を尽くした交わりを持っていたなんて、それを知っただけでも大収穫でした(そういうことを教えてくれたら歴史の授業も楽しかっただろうに……)。

この短編集は蕪村が残した句を基にした創作なのだろうと思いますが、絵師たちの残した作品を思い浮かべながら物語に浸っていると、さもありなんと得心のいく思いです。


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殺意の夏



タイプだなあと思う異性が自分にアプローチしてきたとき、相手が本当に好意を持っているのか、それとも何か目的があるのか、判断はなかなか難しい。
「おれを欺しても得るものはないし。ということは、よしよし……」などと鼻の下を伸ばしていると、パン・ポン君のように人生を狂わされてしまうかもしれません。

パン・ポンに近づいたエルの目的は、彼の自宅の納屋で埃をかぶっている亡き父親の自動ピアノ。パン・ポンにとってはただのがらくたですが、エル一家はこのピアノにまつわる忌まわしい事件から立ち直ることができず、密かに復讐の機会を狙っているのです。

パン・ポンはエルの不可思議な振る舞いに翻弄されて嫉妬や猜疑心に苛まれ、果ては無実の第三者を巻き込んだ破滅に突き進むという悲しい役回り。
親の因果が子に報うなんて、可哀想すぎる。あんな女、絶対におかしい、別れてしまえなんて、第三者だから言えるんだよねえ。

この映画は1983年制作ということで、エルのファッションは完全な80年代風。映画を見ている間中、彼女に対して非常な苛立ちを感じていたのですが、これが80年代風俗に対する気恥ずかしさに由来するのか(若い頃は自分もあんな格好をしていたんだ……)、それとも俳優の演技力が素晴らしいのか、どうにも判断がつきませんでした。

70年代の風俗は復権したけれど、80年代が再び注目を浴びる日なんて来るのだろうか?

そうそう、阿川佐和子に似たばあちゃんのコミカルさはナイスです。

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