Un gato lo vio −猫は見た

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髪結いの亭主



いわゆる大作でもなく、感動に涙を流すわけでもない。けれども、愛してしまう作品というものはあるもので、私にはこの「髪結いの亭主」がそのひとつです。
もう何度も観ているけれど、すべてのシーンが愛おしい。
最初から通して観てもいいし、無作為に選んだシーンを数分観ているだけでもいい。

たまたま通りかかった理髪店で客待ちをするマチルダに一目惚れしたアントワーヌ。店に入って散髪をしてもらうや、すぐに求婚。
そして幸せな結婚生活が始まるのですが、なにしろ、世界は自分たち二人だけで完結するという惚れっぷりが素晴らしい。

あなたがいるから世界がある。あなたがいなければ世界は終わる。
一日中店の中で互いに見つめ合う二人は、とにかく飽きるということがありません。愛する人を見つけた喜びにただただ浸りきる様子は微笑ましく、また、羨望を感じるほど。

あまりに充たされているとき、人はそれが失われることに怯えてしまうものなのですね。
そう思うと少しくらいは不満の種があった方がいいのかな、とも思いますが。

アントワーヌは子どもの頃から近所の理髪店を経営する女性にあこがれ、髪結いの亭主になりたいと宣言していました。父親はびっくりするのですが、後に教える人生訓がよかった。
望みというものは強く願えば叶うもの。叶わないのは願い方が足りないから。
確かに、頷けるところがあります。人生の秘密は意外にシンプルなものなのです。

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世代




ポーランドの「連帯」が民主化を求めていた1980年代初め。当時、社会学を学ぶ学生のくせにワイダ監督の映画を観たことがなかった私は少々恥ずかしい思いをしていたものです。そして時が流れること数十年、ようやくテレビ放映に巡り会い、遅ればせながら抵抗3部作の第1作目を観ることが叶いました。

この3部作は、制作された当時の世界状況の中で語られてきた作品群ですよね。監督本人も体制批判という文脈の中で観てもらいたかったはずなので、単純に「映画作品」として観ることに若干の後ろめたさを感じてしまうのですが、あえて、時代背景を無視した感想を。

若者の情熱は時に社会に大きな影響を与えます。でも、若さが持つ性急さ、盲目性といった危うさによって、結局は大事が成されないのだなと残念な気分になりました。

ドイツ軍に対する抵抗運動に身を投じることになったスタッフにしても、目の前で友人が射殺されるという事件に遭遇したとはいえ、直接的なきっかけは勧誘に来たドロータの美しさに惹かれただけのこと。
スタッフと同じ職場の同志は、感情の昂ぶりにまかせて酒場に居合わせたドイツ軍将校を射殺してしまうという愚を犯しているし、指導的立場のドロータにいたっては地下に潜れと指示を受けながら、それまでの部屋でスタッフと暮らし始め、最終的にはドイツ軍に連行されてしまうのです。

失意のスタッフの前に新たな同志がかけつけ、抵抗運動が続くことを示唆しますが、彼らもまた若者ばかりなのでした。これでは連帯に繋がらないぞ……

ところで、「灰とダイヤモンド」のラストシーンは鮮やかな印象を残しました。あの場面で見せた光と影の強烈なコントラストが既にこの映画にいくつも見受けられました。あれは本当に格好いい。

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大岡越前(第1部)



「新・御宿かわせみ」見たさに契約した「時代劇専門チャンネル」でしたが、懐かしく気になる番組がいろいろあって、未だに解約できない。

現在は「大岡越前」第1部を興味深く見ています。シリーズの1作目はやはり制作者の気合いが感じられますね。第1話は、忠相が江戸南町奉行に抜擢される経過を描いたもの。冒頭、忠相が後の将軍吉宗を「狂人、白痴」呼ばわりして捕縛するくだりには口がぽかんと開いてしまった。

「水清くして不魚住」と言いますが、この言い回しは権力者の方便っぽくてあまり好きではありません。そりゃ、そうなんだと分かっているけど、世の中灰色ばかりでは気がくさくさしてしまうというもの。
そんなところに「清廉潔白」「実直」「慈悲」といった価値観を堂々と掲げ、あくまでも清々しさを貫き通す大岡忠相像に人気が出るのは当然ですよね。

信念を曲げない大岡忠相の人物像って、同時期に放送されていた「大草原の小さな家」の父さんことチャールズ・インガルスに重なるものがあります。
高度経済成長の余韻に浸っていた1970年代前半。日本でも米国でも、人々はさすがに「儲けるためには、ナンバーワンになるためにはどんな手段を使っても構わない」というあこぎさにうんざりしてきた、というところで、この2つのドラマが日米で人気を博したのではないかと想像(こじつけ)するのですが。

不利益を承知で美しい価値観を貫き通す大岡忠相とチャールズを嘲笑うような世の中にしてはいけない、と思うのでした。
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貌孕み



平田先生をとりこにした寅吉が帰ってきた!
幕末の国学者、平田篤胤は、「仙境」とこの世を自由に行き来した寅吉の物語にすっかり夢中。
身柄を引き取り、「仙境異聞」という本を書くほどの入れ込みようだったのですが、ある日寅吉はふと消えてしまうのです。

坂東さんは、その寅吉(嘉津間)と平田先生を再会させてくれました。
寅吉によれば、この度訪れていたのは「魔境」。
読者には、そこが私たちの暮らす現代やその直前の近代であることが分かります。彼の目に映るのは、人々が単一の価値観を求めたり、惚けた老人が徘徊する奇妙な世界。

寅吉の口から聞く現代人の暮らしぶりは、平田先生には恐ろしく歪んだものに感じられます。しかし、寅吉に連れられて未来の日本に滞在してみると、人の行いや考え方は変わらないものなのだと実感することに。人は過去から学ばない愚かで切ない生き物なのだと嘆息。

今回は圧倒的な物語のパワーではなく、坂東さんの小説家としてのうまさに唸らされました。篤胤に最初の妻と同じ名前を与えられ、常に身代わりとして扱われた二度目の妻、織瀬のエピソードが加わることで単なる異境見聞に終わらない奥行きも生まれています。

「仙境異聞」もとんでもなく面白いので、是非一読をお勧めします。

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