Un gato lo vio −猫は見た

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刺青



男を次々と喰い物にしていくお艶(染吉)の姿は、最近読んだ「ダブル・ファンタジー」の奈津を思い出させますが、奈津が自由の獲得を目指していたのに対して、お艶はただただ、自己破滅的。敢えて問われれば、「自分をこんな女にした男達に復讐するため」というのですから凄みが違う。

なにしろ、映画に込められた熱気がすごい。同じ増村監督が後年に撮った「盲獣」は火傷必至の灼熱でしたけれど、この「刺青」もかなりのもの。見ている者を否応なく妖しい世界に引きずり込んでしまいます。自分までお艶に溺れてしまい、もう二度と浮かび上がれなくなるような空恐ろしさがなんとも……

若尾文子という名前は私たち世代にとって既に過去のものでしたが、これを見て感じたのは圧倒的な存在感。当時、30歳そこそこでありながら、人生の辛酸をなめ尽くした女の執念をあれほど体現できるのですから、他の作品にも興味が湧いてきました。

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若冲が来てくれました



「若冲が来てくれました」ので、ひとつ拝見しに出かけました。

米国のコレクター、ジョー・プライスさんが集めた江戸絵画コレクションの傑作揃い。日曜美術館の放映も要所が押さえられて面白かったけれど、実物は予想以上に心に訴えかけるものがありました。

まずは目玉の「鳥獣花木図屏風(花も木も動物もみんな生きている)」だと心をはやらせ、一番奥の展示室へ。そして眼に飛び込んできた六曲一双の屏風はまるで銭湯のタイル画。その楽しげな雰囲気といったら!

明るい色彩で描かれている架空の世界と動植物の姿そのものが笑みを誘うもの(象の眼は「パタリロ」だった)である以上に、若冲本人の意気込みがすごい。
平面に描かれているはずなのに、質感はタイルそのもの。「どうだ、誰もこんなの描けないだろう!」と得意になっている姿を想像すると、それだけでも笑えてしまうのです。

インパクトの大きかったこの屏風とは別に、うまいなあと唸らされたのが水墨画の数々。釈迦の入滅を野菜で表した「果蔬涅槃図」はとてもユーモラスで、多くの人たちの笑いを誘っていました。さまざまな鶴の姿を描いた「鶴図屏風(ツルさまざま)」と「花鳥人物図屏風(花や鳥、人や魚)」はすばらしく自在な筆裁き。「おれに描けないものはないのだ!」とこちらも鼻息が荒そうで、いやあ、すごいすごいと拍手を送りたくなるのでした。

若冲以外の作品も質が高く、とても一日では鑑賞しきれない。作者の名前を見ずに、自分の感性だけで購入作品を決めてきたというプライスさんの審美眼には恐れ入るばかりです。
この内容で800円の入館料(高校生以下は無料)は安すぎでした。
そうそう、子ども向けの作品説明は大人にもわかりやすかった。すべての展覧会でこの方式を採り入れて欲しいものです。

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ああ、結婚


個人的ソフィア・ローレンブームはまだ続く。今度は「ああ、結婚」です。

空襲警報が鳴り響くナポリの娼館で客と娼婦として出会ったドメニコとフィルメーナ。
その後22年もつきあうことになるのですが、基本的には実業家となったドメニコが都合良く利用しているだけ。そうと知りながらも、惚れた弱みで別れられないフィルメーナが哀れ……と思っていたら大間違いでした。

実はフィルメーナには3人の子どもがいて、その養育費の捻出が最大の問題。娼婦の身で何ができるのか。
そうなんです、実は利用されている振りをしながら、相手を利用していたのです。ドメニコに菓子店の経営を任されていましたので、それと分からぬように着服。
さらに最後は臨終の振りをして、ドメニコに結婚を迫り、子どもたちの将来を補償しようというのですから、実に母は強し。

いがみあいの場面が続き、やるせない映画のようにも思えます。でも、なんだかんだと言っても本質的にはドメニコを愛しているフィルメーナ。利用するだけ利用して嫌われてもいい、いや、やはり愛されたい。葛藤する姿が切ないです。

相変わらず、軽い男をやらせたら天下一品のマストロヤンニ。この映画では、3人の子どものうち1人が自分の子どもだと知らされたとたん、態度が激変。物乞いでも見るような目つきから、将来を心配する親ばか振りに。
最後はちゃんと尻に敷かれる辺りの匙加減が絶妙でした。

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素数たちの孤独

父に強制されたスキー教室で谷底に転落し、骨折したまま一夜を過ごしたアリーチェ。友人にからかわれるのが嫌で、精神障害を抱える双子の妹を置き去りにしたマッティア。
幼い頃に傷を負った二人は互いの中に同じ孤独を認め、やがて静かに惹かれ合うようになるのですが…

それぞれがベストパートナーとしてささやかな幸せをつかみました、めでたし、めでたし……とはならないところが人生の難しいところ。
傷つくことを恐れて再び孤独への道を選んだマッティア。もう二度と彼を離さないと決意したはずなのに立ち去るマッティアを引き留められなかったアリーチェ。
どうして人は誤っていることを承知で間違った選択肢を選んでしまうのでしょう。
誰だって孤独は辛いものなのに。

ところで、この物語の前半部、二人が高校を卒業するまでの描写は、心の奥底に沈めて蓋をしていたはずの忌まわしい記憶を呼び覚ましました。
それは、少年時代が牧歌的なモラトリアムではないという辛い事実です。

肉体的、精神的に弱さを抱える子どもにとって、小学校や中学校はある種の牢獄だったように思います。大人が張り巡らせた乗り越えられない規制はもちろん、小さいけれども鋭い痛みをもたらす暴力の数々。
その手段が物理的なものであろうと精神的なものであろうと、その標的が自分であろうと他人であろうと、常に恐怖に怯えていた、あるいは対処する術を模索していたことを思い出すと胃のあたりが重くなってきます。

孤独の殻の中に安全に閉じこもるのか、それとも傷つき血を流しながら他人と関係を結び続けるのか。弱いものにとっては難しすぎる選択です。

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ダブル・ファンタジー



最近はもう滅多なことでは驚けないな、と思っていたのに、これは腰が抜けそうになった。
伊藤整の「変容」で老人の性に度肝を抜かれたことはありましたが、この小説を読了して妙齢の女性のことも本当は何も知らなかったのだと思い知らされました、はい。

もちろん村山さんの創作ですが、フィクション故に真実を言い当てているということはあるわけで、うーん、そうかあ……

さまざま場所で「新たな官能小説」と評価されていますが、私には男女の交わりに情感が感じられず、興奮することはできませんでした。おそらく、男性の多くは同じ意見だと思います。
また、男性作家にはなかなかここまで直截な物言いはできない気がします。あまりにリアルな性描写は詳しすぎてまるで生物の観察記録を読んでいるような……

女性の感想はまた違うのだろうけれど、私にとっては少なくとも官能小説ではない。1人の人間が自由を勝ち取るたくましい物語でした。

主人公の奈津さんは脚本家。自立して名声を獲得しているにもかかわらず、母親と夫に抑圧された生活を送り、また、幼い頃から自分の中に蠢く手の付けられないほどの性衝動に悩み続けてきました。
しかし、ある人物との出会いをきっかけに、身体の欲求に従う道を選択。性衝動に素直に従えば従うほど自由を獲得していくことになるのです。そして、その代償として受けるであろう様々な批判に立ち向かう決意が見事。

私は奈津さんがこの後も次々と男性遍歴を重ね、さらなる自由(そして責任)をどこまでも追い求めるように思えるのですが、他の方々の感想はどうなのだろう?
奈津さんのその後が気になるものの、こんな人が実在したら私は係わりたくない……かな。
妻がありながら絡め取られてしまった「先輩」のようになってしまう自分が容易に想像できてしまうもので。くわばら、くわばら……

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