Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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密林の語り部



異質な文明が出会ったとき、何が起きるか?
まず間違いなく、経済的優位に立つ方がそうではない方を呑み込もうとしますよね。
「貧しさから掬い上げてあげる」といった善意に基づく場合もあるでしょうが、結果的には呑み込まれた文明の労働を搾取し、さまざまな格差や差別を生み出すことは、歴史の教科書を確認するまでもありません。

ペルーの大学で文化人類学を専攻するサウル君。彼もフィールドワークで未開の文明に出会うことになります。
アマゾンの原生林を移動し続けるマチゲンガ族の生き方に共感し、西欧文明との接触が彼らの文化を損なうとして政府の政策を批判。
作家を志す友人の「私」は「そこまでむきにならなくても…」と少々あきれ気味なのですが、やがてサウルは謎の失踪。

サウルが去ってから25年後のフィレンツェで私は偶然にもマチゲンガ族の写真を目にします。大勢の人々が取り囲んでいるのは私を魅了しながらも、その存在が明らかにされなかった「語り部」に違いありません。そして、その語り部の面影は、サウルに似ている…

なんと彼は西欧文明の構成員の1人としてマチゲンガ族を守ろうとするのではなく、約束された未来を捨て、警戒心の強い部族の中に身を投じていたのです。しかも、放浪する部族のとりまとめ役である語り部になってしまった。
そこまで思い詰めるって、いったい彼の心にはどんな思いが去来していたのでしょう。

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シャレード



友人と雪のリゾートを訪れていたレジーナは愛情のかけらもない結婚生活に見切りをつけると宣言。ところがパリに戻るとアパートはもぬけの殻。そして夫の死亡が伝えられると、謎の人物たちが金を返せと次々に彼女を脅迫。やがて連続殺人事件が巻き起こるのですが…

基本は犯人捜しのミステリーですが、ストーリーはおまけかな。
見所はオードリー・ヘプバーンの自由奔放でコミカルな演技です。オードリーが「美貌だけが取り柄の女優じゃないのよ、こんなことだってやっちゃうんだから」と張り切っているようで、なんだかとても可愛らしい。

自分を付け狙う脅迫者に抱いてくれと迫ったり、足の裏をもませたりとなかなか大胆なんですよ。「ローマの休日」の清楚な姿とはずいぶん趣が違います。
きっとイメージを固定されたくなかったんでしょうね。
美人女優は美人なりにたいへんですね。

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秋日和   小津安二郎

「晩春」は父と娘の情愛が切ない名作でしたが、10年後に制作された「秋日和」はそれを母と娘に置き換えたストーリーです。基本的には晩春とそっくり同じ映画ですが、カラー作品になったこととコミカルな場面が多い点でずっと明るく楽しい印象です。

例えば冒頭、亡くなった友人の法事に集まったおやじたちが料亭で未亡人とその娘の品定めをする場面。美しい女房をもらうと早死にするのかな、と含み笑いをしているところへ料亭の女将が様子を窺いに顔を出します。彼女に向かって「あんたの旦那さんは長生きだね」と笑いかけるやりとりは落語の「長命」そのもの。
随所に飾られている絵画が誰の作品なのか思案するのも楽しい。はっきりとは分からないけれど今回は梅原龍三郎と東山魁夷とおぼしき作品が壁に掛けられていました。その他、小道具のデザインと色彩も目を惹くものがありますね。
それにしても、晩春で「結婚しても気に入らなければ別れればいいのよ」と言っていた女性たちが、10年後のこの作品では「恋愛と結婚は別物」と主張しておやじたちを困惑させます。
最近の価値観の変化になかなかついていけない私には、戦後180度変わってしまった結婚観にうろたえるおやじたちの気持ちがよく分かるなあ。
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


村上さんの最新刊、100万人読者の1人として私もさっそく楽しみました。

ある種の小説には読者の側に読み頃を求めるものがあるように思います。
自分のことを振り返ってみれば、高校生の頃に背伸びして読みあさったロシア小説と、何度も繰り返し読んだ庄司薫やヘルマン・ヘッセのことを思い出します。

前者については読んだという記憶とある種の達成感しか残らず、その物語世界を本当に楽しめるようになったのはある程度の人生経験を積んでからのことでした。
一方、後者は、水や空気と同じほど生きるために必要な物語だったにもかかわらず、今読み返してみるとあの頃の輝きが感じられなくなっているのです。

「多崎つくる…」もそんな小説のように感じます。
若い人ほどつくるくんの巡礼に共感できるのではないか、私も高校生の感性で読んでみたかったと思います。

ところで、この物語中に2度ほど「実体を伴った悪意(あるいは悪魔、悪霊)」を信じるか? という問いかけがなされます。
村上作品には高い頻度でこのテーマが現れますよね。いかに人が立ち向かおうが、圧倒的な力で呑み込んでしまう悪。
オースターやキングと同じように、村上さんもどこかで実体ある悪意と遭遇したしたに違いないと憶測するのですが、どうなんでしょう村上さん?

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