Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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晩春



小津安二郎監督と原節子初めての組み合わせ作品ということです。制作は昭和24年。
原さんははつらつとして明るく、時には伝法な口さえ利く、「今時」な若い女性役。
気持ちが素直に表情に出るあたり、父親に大事にされてきたんだろうな、と想像させられます。

独り身の父親を気にして縁談話を退ける紀子。周吉(笠智衆)もさすがにこのファザコン振りはまずいと思い、娘を嫁がせるために大芝居を打つ場面がいちばんの見所。
その芝居にまんまと乗せられ、能鑑賞の席で嫉妬を燃え上がらせる紀子の姿はぞくっとくるものがあります。

杉村春子も小津映画初出演。ちょと人をイライラさせる過剰なお節介振りは既に全開で、なるほど、この組み合わせなら、もっと作品を作ってみたいと思うだろうな。
実際、この映画で描かれていた親子の情愛は、後に続く「東京物語」「東京暮色」などで一層洗練されていくことになります。

本筋とは別に、戦後間もない時期の風俗資料としても結構楽しめます。
親の話によれば、終戦後は食べるものが無くて本当にひもじい思いをしたということですが、映画に登場する昭和24年の鎌倉と銀座を見る限り、街はすっかり復興しています。ハイカラなお宅には東郷青児(あるいはローランサン?)とおぼしき絵画も飾られ、人々はそれなりに生活を楽しんでいるようです。
七里ヶ浜沿いの道に掲げられた英語の道路標識とコカコーラの看板に、わずかに敗戦の影響を感じるだけ。

また、高架橋を走る電車内では多くの人々が本を読んでいます。テレビが一般に普及する以前のこの時代、読書が重要な娯楽だったんですね。
そして、女性たちは米国がもたらした価値観を既に自分のものにしています。結婚しても相手が気に入らなければ別れればいいし、人前であろうが、すすんでお酒も飲むのです。
女性のパワーは昔からすごい。

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一刀斎夢録



「蒼穹の昴」を読み終えたとき、浅田さんはこの小説を書くために作家になったのだと確信しました。その後「壬生義士伝」では、これを世に問うため生まれてきたのだと考えを改め、さらに「中原の虹」読了後には、キャリアの頂点に登り詰めたと感じたものです。
ところが、ところが。
浅田次郎さんはついに別な次元にたどり着いてしまいました。

新選組を扱った長編として3作目の「一刀斎夢録」です。
「人切り一(はじめ)」と怖れられた斎藤一が明治の世に生き残り、剣道の展覧試合を控えた近衛師団の中尉に夜ごと回顧談を語るという筋立て。

この人の小説はもはや、一種の宗教体験と言っても過言ではありません。
発売から2年ほど経っているので、きっといろんなところで絶賛されていると思います。詳しくはそれらを読んでいただくとして、浅田さんへの個人的感謝を。

浅田さんの小説はそれがどんな種類であれ、共通のテーマが流れています。
人として何を成すべきか、成してはいけないか。義を全うすることの美しさ。
たとえ寝転がって読んでいても、正座して文机に向かっているような心持ちになってしまうのです。

その登場人物のように生きることができるかどうかは別問題ですが、理想とすべき姿を胸の内に抱いているだけで自分が高められたような気がします。
人は望めばどこまでも美しくなれるのだ。そう語りかける浅田さんに感謝。

西南戦争が西郷と大久保の画策した大芝居で、近代戦争の予行演習だったという説は面白かった。
この小説の文脈でそういわれると確かな説得力があります。
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コジ・ファン・トゥッテ



2組のカップルを巡るコメディではありますが、なんだか教訓的に見てしまったなあ。
人の心を試すような真似をすると報いを受けるよ、と。

フェランドとグリエルモはドラベッラとフィオルディリージの姉妹と婚約を交わしています。
自分たちの恋人が貞淑だと自慢する2人に同僚のアルフォンぞが横やり。「貞淑な女なんていないさ」と。
そこで、姉妹の気持ちを確かめるため、男2人は長期出張に出ると嘘をつき、その直後に外国人に扮装して、互いの相手を誘惑しあうことになるのです。

必死に抵抗した姉妹も熱烈な求愛に根負け。
結局2人とも落とされてしまい、結婚の契約書にサインしてしまいます。
アルフォンゾの主張通りとなり、がっかりするフェランドとグリエルモ。
最後に種明かしをされても、もうカップルたちの気持ちは修復不能なのでした。

ね、ありそうな話で、気をつけようと思いませんか?

このオペラは「女たちはこうしたもの」と揶揄するストーリーなのですが、ヒッピー文化の70年代を舞台にしたことで「女性よ、男に貞淑を尽くしてだまされるより、適当に遊んだ方が勝ちよ」というメッセージに替わっているように思います。
パートナーがいたら見せたくないなあ。

見せたくないと言えば、演出もおそろしく大胆でエロチック。おさわりシーンがとても多くて、子どもにはちょっと。
また、「女は男をだますひどい生き物だ」とフェランドが歌う場面では、懐中電灯で客席の女性の顔を照らしてなじったり、指揮者を舞台に引きあげたりという演出もなかなか楽しい。
新年のおめでた気分にはぴったりです。

このオペラが200年前の欧州で上演を許されたというのが驚きです。
キリスト教的にうまくないのではと思うんだけど。

2002年ベルリン国立歌劇場の舞台
指揮はバレンボイム
演出は映画監督ドリス・デーリエでした。

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ダイオウイカ!



50年来の夢がついに叶う!
今週末のNHKテレビで生きた「ダイオウイカ」の姿が画面に流れるというのです。

ゴジラ対モスラ 巨大な怪獣の姿に夢中になりました。
星飛雄馬対花形満 お坊ちゃんに負けるんじゃねえと声援を送りました。
ボルグ対マッケンロー ダブルハンドのバックを真似しました。

どれも手に汗握る対決だったけど、私が本当に見たかったのは「マッコウクジラ対ダイオウイカ」。

子供向け科学雑誌にはこの2つの巨大生物が闘う姿がイラストでよく登場したものです。
口を大きく開けて食いつこうとするマッコウクジラと長い触手で絡みつくダイオウイカ。
おお、本物を見てみたい! 

やがてテレビの撮影技術が進み、マッコウクジラの姿は頻繁に画面に登場するようになったけれど、ダイオウイカはいつまで経っても表れなかった。
インターネットの時代になっても、web上にその姿はなく、2008年にようやく小さな(といっても数メートル)個体がビデオに撮影されましたが、あれでは好奇心を満足させることはできませんでした。

それがついにこの目で確認できるとは。
いやあ、嬉しい、嬉しいよお。
日曜日は体調を整え、万難を排してテレビの前に正座です!

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1941


お正月休みは、笑えるだけの映画を観たくなります。
ということで今年は1979年公開の「1941」。

真珠湾攻撃の翌日、三船敏郎が艦長を務める潜水艦がカリフォルニアの海岸に接近。ハリウッドを攻撃して米国民の意気を削ぐことが目的。乗組員は全員、忍者と侍の子孫だそうな。
一方本土を守る米軍側ものっけからアニメ映画「ダンボ」に涙する指揮官やらガソリンスタンドで給油する戦闘機乗り(ベルーシ)やらが登場し、早くも笑いの予感。

もう、なんの説明もいりません。
そこまでやるかというくらい、こてこてのギャグがてんこ盛り。すべてのシーンで笑いを取ろうという意気込みがすごい。

冒頭が「ジョーズ」のパロディだったり、のちの「インディー・ジョーンズ」や「ジュラシック・パーク」を予感させるシーンが登場するのも楽しいです。
ただ、あれもやりたい、これもやりたいというアイディアが多すぎて、こなれていないギャグが見受けれたところは残念。

ともあれ、スピルバーグにはこのおばか路線を突っ走ってもらいたかったなあ。
そしてベルーシの早すぎる死も今さらながら惜しまれてなりません。


それにしても三船さん、よくこの映画に出演しましたね。
一人だけ異次元の演技でした。


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