Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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黒い犬



気がつけば毎年マキューアンを読んでいます。
どこか気になる作家なのです。物語の楽しさというより、考えるとはどういう行為なのかということを教えてくれる。

先の大戦中、政府関連機関の仕事で出合ったジューンとバーナードは一目で惹かれ合います。戦後は共産主義に共感し、共に入党。同志として、愛情あふれる夫婦として世界の改革を目指そうとした2人だったのですが、新婚旅行中の出来事がきっかけとなり、その後終生変わらぬ別居を選ぶことに。

娘婿のジェレミーは夫妻が互いに愛情を失っていないにもかかわらず、なぜ離ればなれなのか疑問を感じます。やがて命が尽きようとするジューンの回想録を書き上げるためと称して2人から話を聞き出し、別居の背後に黒い犬の存在を発見するのですが…

結論から言えば、二人の別居は相容れない思想の相違。あまりに違う土俵を選んだ2人の間には議論さえ行う余地はありません。

でもねえ、相違を受け入れられない思想ってなんだろうと思うのです。
世の中の思想、宗教といったものの多くは違う意見を排斥しようとしますよね。
寛容を説く思想でさえ、自らを絶対なものにしようとする。

人という生き物は誰かと共感できなければ生きていけないくせに、なぜ対立を好むのだろう。
世界を改善したいという共感を抱いていたジューンとバーナードだって、どこかに着地点を見つけられたはずなのに…

という具合に、(とりとめがないものの)今回もまたいろいろ考えてしまうことになったのでした。
答えが出るわけではないけれど、普段ぼんやりと暮らしている私にとって、マキューアンはなかなか刺激的なのです。
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白い肌の異常な夜



ひえー、こ、恐い、恐すぎる。
確かにマクビーはひどい男ですよ。懲りることがないろくでなしタイプです。
女性たちに囲まれて舞い上がってしまい、次から次へと言い寄る姿は男の視線からでも見苦しい。
でも、その結果があれだなんて……
自業自得と言うには悲惨すぎる!

時は南北戦争末期。負傷して半死状態のマクビー伍長(イーストウッド)は一人の少女に助けられます。彼女は女学園の生徒。男たちが戦場へかり出されているため、そこでは園長以下7人の女性だけで学園と農場を切り盛りしていました。
そんなところへ敵方ながらいい男が担ぎ込まれたものだから、女性たちもすっかり浮わついてしまい、誰もがマクビーと個人的に親しくなりたいと画策。

ああ、普通だったら、あるいは少しの良識があれば、全員にいい顔をすることがどんな結末になるか分かるはず。
でもマクビーは違った。
むごい目に遭いながら(ちょっと正視できなかった…)それでも懲りず、その後は狼藉を尽くすという切れっぷり。
そりゃ、仕方ないよね、そうなってもね…

てなわけで、このマクビーはイーストウッド主演映画中おそらく最低な男なのですが、それでも魅せるところは魅せるあたりはさすがでした。

ということで、女性にちやほやされがちな男前の皆さん、この映画を観て自戒されますよう。

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ブラックアウト


眼にしたとたん読みたくて読みたくてたまらなくり、そわそわさせてくれる小説はそうあるものではありません。
その稀な幸せを届けてくれたのがコニー・ウィリス「ブラックアウト」。
「ドゥームズデイ・ブック」とあの(個人的)大傑作「犬は勘定に入れません」でおなじみのオックスフォード大学史学部、時間旅行シリーズと聞いた日には、居ても立ってもいられません、はい。

700ページを超える分量が至福の時間を約束しているし、松尾たいこさんのカバー画もナイス。
それなのに、これでまだ終わりではなかった! なんとこれは第一部に過ぎず、来年春に第二部「オールクリア」が発刊されるとのこと。もはや待ち遠しい!

ということで、感想は続編を読んでから。

ところで本筋とは別に、英国人のユーモア感覚について、ずいぶん私たち日本人とは違うなと感じました。

今回、オックスフォード大学史学部のメンバーは第二次世界大戦下、連日の空襲にさらされるロンドンへ向かいます。
そのロンドンにあふれる戦争スローガンや広告がおもしろいのです。
例えば、爆撃被害を受けた百貨店なんて、「窓はヒトラーに割られましたが、お値段は負けません」とか「営業中、散らかっておりますがご容赦ください」とたくましいものです。

正直なところ、これまではコメディーと紹介されていた英国小説を読んでも、どこが笑いどころなのか全然分からなかった。
でも、もしかしたら彼らのユーモアというのは馬鹿笑いするものじゃなくて、困難に対処するための道具なのではないかと感じた次第。

そう思うとイアン・マキューアン「ソーラー」やニック・ホーンビイがユーモア作品といわれる所以も納得がいくような… (でも、映画「トリストラム・シャンディの生涯と意見」はやっぱり良くわかんないな)


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Saturday Night at the Uptown



なんなんだ、このご機嫌なライブは!
あまりの楽しさに2度続けて聴いてしまいました。

フィラデルフィアはアップタウン・シアターでのR&Bライブです(オリジナルは1964年発売とのこと)。

紹介アナウンスのあとの1曲目、ドリフターズの「Under The Board Walk」が始まったとたん、いきなり客席がフルコーラスを一緒に歌い出すんだから、すごい。
聴衆と演奏者の一体感が素晴らしい。

両者の距離が物理的にも心理的にもとても近く感じられます。
たまらなく格好いいけれど、同じ人間なんだと感じられる頃合いの距離感ですね。

音もすごく暖かくて心地よくて、しかもリアル。
そのリアルさの種類はスペクタクルなものではなくてこじんまりとしたものなんです。
音楽なのに手にとって眺められそうな。彼らが自宅に来て目の前で演奏しているような感じがします。
この親密さは今まで聴いたどんなライブとも違う。

すごく楽しくて、すごく悔しいなあ。
団塊後の私たちはいつも本物の熱ではなく、去ってしまった熱の余韻をわずかに感じるだけ。
もっと早く生まれて、この熱気をリアルタイムで感じたかった。

ともあれ、ウイークエンドサンシャインで毎度素晴らしい曲を教えてくれるバラカンさんには今日も感謝。
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ダウト − あるカトリック学校で−



舞台はカトリック系の学校。
転任してきたフリン神父は親しみやすい人柄で評判も上々。
一方、校長のアロイシスは厳格に規則を守る堅物女性。生徒からも恐れられています。

ところが、フリン神父が特定の少年と不適切な関係にあるのではないかと疑惑が浮上。
そもそも、規則に捕らわれないフリンに不満を感じていたアロイシスは状況証拠だけをたよりに神父の追い落としを図ります。
そして、なかなかしっぽを出さないフリンを揺さぶるために使った手段が「嘘」。
教義に厳格なアロイシスは神から遠ざかる手段を用いたことで苦悩するのですが、待っていたのは皮肉な結果。

正義対悪の対決という単純な図式が成り立たず、しかも正義が勝利するとは限らないのは実際の世の中と同じ。
正義と思われる側も負の部分を抱えているし、悪と思われる側も正を抱いている…

などという感想を持ちつつ、何を書こうかなと思っていたのですが、数日たったところで思い返されるのは、メリル・ストリープの演技力ばかり。
冷たく厳格な外見で人に恐れられるけれど、実はもろい部分を抱えているという今回の役どころはまさにはまり役。
フリン神父を状況証拠と威嚇するような視線で追い詰める演技は鬼気迫るものがあり、おもわず「ごめんなさい」と口走ってしまうほどでした。

あれこれ考えず、ストリープの迫力にふるえましょう。
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