Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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暴力の教義



血は水よりも濃いのか?

犯罪者であり、母と自分を捨てた父と偶然に再会したルルド。米国捜査局の捜査官を務めるようになったルルドは「ありふれた殺人者」を自称するローボーンが実父であるとすぐに気づくものの、革命前夜のメキシコで武器密輸捜査を行うため、その事実を伏せて現地の実情に詳しい父と二人で危険な旅に向かいます。

ローボーンに捨てられて命を失った母親を慕うルルドにとって、彼は憎むべき対象です。
しかし、緊迫した状況下では手を携えなければならず、やがてルルドは自分の中に父親と同じものを発見してしまいます。
憎むべき存在と自分が同じであると気づいたとき、ルルドが受けたであろう衝撃を説明を省いた抑えられた文体の向こうに感じるのは、なかなか難しい。

あまりに自分の日常と違いすぎて想像すらできないというのが正直なところ。
さらに子どものいない私にとっては、許しを請わずにはいられなくなったローボーンの心中の嵐も想像しがたい。
でも、そのような葛藤は普遍的なものだし、背景となっている暴力的な世界は今も変わらず。
理解が難しいからといって本を置くことはできませんでした。

そして読後には、想像が困難であったにもかかわらず、私の心に痛みが刻みつけられていたのです。
そう、それが受け入れがたいものであっても血は水よりも濃いのです。
有無をいわさずある種の真実を強引に突きつけるテランの力業には恐れ入りました。

二人が何のために危険な旅をしているのか、それを理解するためにメキシコ革命の概要を眺めておくことをお勧めします。
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蕎麦屋の幸せ



新そばの季節です。
いつもお邪魔する新潟市新通の「野のや」さんも1か月半ほど前から新そばに変わりました。
どうです、このつややかな緑色。
おいしそうでしょ。

数週間ほど前、幼なじみ数人で昼酒と洒落込みました。
亡き杉浦日向子さんの「ソバ屋で憩う」に刺激されて以来、蕎麦屋さんでは時分時を外してもっぱら昼酒。
野のやさんはヱビスビールと黒木本店の焼酎が揃っているので、これが嬉しい。

1人で静かに飲むのもいいけれど、気心の知れた仲間たちと楽しむ昼間の酒はまた格別です。
他愛もない話題で盛り上がりながら少しずつ気持ちがふわふわしてきて、そして「ああ、良い具合に酔ってきたなあ」と思う頃には頬と空が紅く染まって……
しみじみと幸せを感じるなあ。

近所に旨い蕎麦屋があり、古い友人たちがいる幸せ。
人生でこれ以上望むものは思い浮かばない夕暮れ時でした。

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ドン・ジョヴァンニ  天才劇作家とモーツァルトの出会い



モーツァルトファンには物足りないかもしれませんが、「ドン・ジョヴァンニ」ファンは一見の価値ありかも。

神父にあるまじき不品行でヴェネツィアを追放されたダ・ポンテ。詩才にあふれる彼はウイーンでモーツァルトと出会い、既に10作以上もあるドン・ジョヴァンニを新解釈で創作することに。

女たらしで、死んでもその態度を改めないジョヴァンニの姿は女性遍歴をやめられないダ・ポンテの姿そのまま。
革命児モーツァルトの才能を利用して、批判されがちな自分の生活振りをオペラに託して正当化してしまおうという根性があっぱれ。
深刻ぶった顔はしていても、反省の無さはまさにドン・ジョヴァンニ的であります。

本筋の進行では書き割りを使ったチープな背景を多用していて、これが舞台のセットを見ているような錯覚を起こすため、本筋と劇中劇のドン・ジョヴァンニが交錯。ジョヴァンニとダ・ポンテが同一人物に見えてくるという仕掛けは、うまいこと考えましたね。
そしてダイジェストながら、別なドン・ジョヴァンニを楽しめたことがいちばんの収穫でした。

無節操で無反省なドン・ジョヴァンニ、好きだなあ。

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わたしの名は赤



想像もつかない時代や場所に連れて行ってくれるのが小説の楽しみ。
今回はなんと、16世紀末のイスタンブール。
イスラムの教義によって基本的に絵画制作が禁止されている状況で、物語の挿絵である細密画を描く絵師たちが主な登場人物です。

物語は絵師の1人が工房の仲間に殺害される場面で幕を開けます。
肖像画など、いわゆる鑑賞を目的とした絵画は異端として退けられていますが、それでも西欧から「眼が見たまま」に描かれたリアルな肖像画がイスタンブールにも流れ込みます。その是非を巡って名人たちの間では意見が分かれ、それが殺人の動機らしい…

犯人は誰なのかという謎解きや、十数年ぶりに帰参した絵師と師匠の娘の恋愛(理不尽な困難が次から次へと降りかかる…)も大きな柱ですが、主題はむしろ絵師たちの葛藤でしょう。
西欧の絵を眼にした絵師たちは、リアルに描かれた作品に少なからず心惹かれます。形式だけを重んじる彼らとは違い、描き手がそれぞれに個性を発揮し、しかも署名まで入っている。

当時、あでやかな細密画を眼にすることができたのは発注主である王侯貴族だけ。このまま名もない名人のひとりとして埋もれてしまうのか、それとも教義に反し、地獄行きを覚悟で個性ある絵を目指すべきか…

遠近法を採り入れた西欧人の絵画は人の眼が見た情景。神が見た情景である細密画だけを良しとし、それ以外のものは眼にしたくないという理由で絵師の棟梁が自らの眼に針を突き立てる場面は個人的ハイライト。でも、鑑賞者にすぎない私にはなかなか共感できないのでした。
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