Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
<< January 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

湿原



1969年、学生運動の終焉を予感させたこの年、主人公雪森厚雄と池端和香子は新幹線爆破事件の犯人として誤認逮捕され、それから9年の月日を刑務所で苦悩のうちに過ごすことになります。

冤罪を晴らすために検察側に立ち向かう人たちの物語が縦軸ですが、関係者の人生がそれぞれ織り込まれ、さらに人間というものの本質や社会の在り方にまで加賀さんの関心は及び、非常に読み応えがありました。

中でも雪森が獄中で記した「告白」はそれだけでも1冊の小説になり得る内容で、私にとってはこれこそがこの小説の要に感じられます。

雪森は新幹線爆破に全く関わっていないのですが、それとは別に彼は幼い頃から犯罪癖がありました。まとまった現金を目にすると後先考えず盗んでしまい、更生と過ちをひたすら繰り返す。実に人生の半分を刑務所で過ごしてきたのです

戦争中は中国で命じられるまま多くの敵兵、民間人も殺害します。それらがすべて重くのしかかる雪森は、自分は許されるに値しない人間だ、この件では無実だが死んでもかまわないという心の湿原に足を取られてしまうのです。

和香子の愛情を以てしてもそこから足を踏み出せない雪森。
果たして彼は再び生きる力を得ることができるのでしょうか……

続きを読む >>
小説(あるいは読書) | permalink | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |

瞳の奧の秘密



人はなかなか過去を忘れられないものです。
心の隅に追いやることはできても、消し去ることは難しい。

ブエノスアイレスの裁判所で事件調査に当たっていたエスポシトはある殺人事件に関わります。犯人逮捕の決め手となったのは被害者のアルバムに写っていた幼なじみの視線。
その瞳は被害者に対する犯人の感情をまざまざと写しだしていました。

エスポシトは犯人を逮捕することはできましたが、その結果、命を狙われ田舎に隠棲。
しかし、彼はその事件の顛末がどうしても忘れられず、小説として書き起こすことになります。

できあがった草稿を元上司のイレーネに見てもらうべく、裁判所を訪れるエスポシト。
旧交を温める2人が昔の写真を眺めるシーンがあります。
イレーネの婚約パーティーです。
そこでイレーネを見つめるエスポシトの視線は、例の犯人と全く同じものでした。
それに気がついた2人が交わす視線。それもまた彼らの感情を雄弁に物語るのです。

過去を忘れられない人物がもう1人。被害者の夫モラレスです。
モラレスは草稿を手に25年振りに現れたエスポシトに、「過去は忘れるべきだ」と執拗に説得を試みます。しかし彼の家には妻の写真が飾られ、とても過去を忘れたようには思えません。
そしてモラレスの瞳も言葉にできない何かを語っていました。

それは衝撃的なシーンへと繋がります。
過去を忘れられない2人の男がそれぞれどんな運命を選ぼうとするのか、是非結末を確かめてみてください。

サイトはこちら。
映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

マンチュリアン・リポート

 

「蒼穹の昴」シリーズはまだ続いてくれるものと思っていましたが、浅田さんは「マンチュリアン・リポート」を以て幕を引いたように思います。

張作霖爆殺事件の真相を探るよう命じられた志津中尉。
その報告書の形を取るこの小説は、蒼穹の昴に登場した人々の最後の顔見せの舞台でした。

誤解されたり志半ばで逝ってしまった義の人たち。また、その彼らに忠義を尽くした結果、取り残されて目的を失った人たち。

浅田さんは張作霖爆殺事件の真相を探る課程でそんな登場人物達を再び登場させ、実に粋な別れの台詞を語らせます。

そして物語中でたびたび登場する「再見」という別れの言葉。
今は離ればなれになってしまう。でもまた会おうじゃないか。
なんと優しく、慰められる言葉でしょう。

この物語が幕を閉じてしまうことは実に惜しいけれど、長い間、小説の楽しみを存分に味わうことができました。
ここに感謝の意を込めて、再見。
小説(あるいは読書) | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

夏時間の庭

 

画家である大叔父が残した美しい庭とアトリエ。
そこで美術品に囲まれて成長した子供たちが、母親の死によって、作品と家を処分することになります。
美術館に作品の大半を寄贈しなければとても相続税を支払うことができず、また、自分の人生をそれぞれ抱えた子どもたちが、将来、あの思い出の家に集まることも難しいためです。

オルセー美術館に飾られた家具や花器を見ながら、長男は「閉じ込められてかわいそうだ。使われてこそ価値がある」旨の愚痴をこぼします。

そう、ここに美術品のジレンマがありますよね。
優れた美術品は個人が秘匿するのではなく、大勢の人たちの目に触れさせてもらいたい。
でも、一般に公開するにはそれなりの設備やルールが必要となり、(特に家具や調度品などは)展示ケースの中で使われることもなく飾られ、本来の美しさを損なってしまう。

開館20周年を記念してこの映画を制作したオルセー美術館。
映画の中で自ら所蔵する作品の使用を許可した理由は、まさにこの点にあるような気がします。

美しい自然に囲まれた古い家屋に何気なく置かれた家具や絵画。
それら作品の持つ用としての美しさ、鑑賞用ではなく使うものとしての美しさを示したかったのだと思います。

続きを読む >>
映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |