ぼくのエリ
いじめられっこのオスカー君の家の隣に不思議な少女が引っ越してきます。
真冬なのに半袖姿。彼女の名はエリ。
共に暮らすホーカンは保護者のようでありながら、なぜかエリの顔色をうかがいます。
やがてオスカー君はエリに恋をするのですが、彼女はなにも食べたがりません。
実は彼女は……
映画の終盤まで私はこの映画を少年の初恋物語として受け止めようとしていました。
確かに状況は異常ですが、いじめられっ子が女の子の励ましで成長していく。
そして切ないエピソードとともに終わるのだろうと思っていました。
ところが、ところが。
ラストシーンで私は頭から冷水を浴びせられることになりました。
楽しそうな表情のオスカー君。
カメラが引いた瞬間、全てが分かってしまうのです。
物語の中で腑に落ちなかった発言が恐ろしい意味を隠していたとは……
エリとホーカンの関係が今ひとつ不明でした。
彼は「オスカーに会わないでほしい」とエリに懇願しますが、これが1つめ。
もう1つは、エリがオスカーに自分はバンパイアだと明かしたときの台詞。
「人を殺してでも自分が生き延びたいと思うでしょう」
いじめられっこのオスカーにはその気持ちがよく分かります。
これは初恋と成長の物語などではありません。
どんな手段を用いても生き延びようとするバンパイアのしたたかな生き様を描いた物語なのです。
ラストシーンで、不可解だったホーカンの謎が氷解し、そしてオスカー君の未来がありありと提示され、見る者はその恐ろしさに凍りつくことになるのです。
映画は暗い空から降りしきる雪の映像で始まり、同じ映像で終わります。
この映画を観た人たちが感じるであろう心象を暗示し、またエリの心象、オスカー君の未来を暗示するものでもありました。