Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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ブルー・イン・ザ・フェイス

 

この映画、ストーリーは特にないけど大好きなんです。
ドジャースを愛していたブルックリンという街の暖かく猥雑な雰囲気に参ってしまうのです。

ブルックリンの街角で煙草店の雇われ店長を勤めるオギー・レン。
子どものひったくりが店の前を逃げる場面から始まって、さまざまな人たちが登場します。

週末の約束を迫る恋人のヴィニー、ラスベガス行きをすっぽかされたと怒るオーナーの妻ドット、ベルギーワッフルを探す正体不明の通行人、半ズボン姿で奇妙なアンケートを取るピート、そして禁煙を決意して最後の1本をレンと吸いたいという映画監督のジム・ジャームッシュ。
幽霊だって登場するのですよ(ドジャースのジャッキー・ロビンソン)。

そして、みんな喋ること喋ること。
君たちは人の話を聞くということができないのかね、とあきれるほど喋りまくるのですが、これがいいんだなあ。

喋ってしまえばあとはすっきり。
とりあえず生きているだけで楽しいよね。
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新・御宿かわせみ


ようやく「かわせみ」の人々と再会できました。
最初が文庫だったから最後まで文庫でつきあおう、という理由で待つこと2年。
じりじりしていましたとも。

舞台は明治6年暮れ。
かわせみは相変わらず大川端で旅籠を続けていますが、幕末に悲しい出来事が重なり、懐かしい顔ぶれがいくつか欠けていました……

麻生家は賊に押し入られ、妻の七重、隠居の源右衛門、留学を控えた小三郎が殺害されています。
さらに、この事件を追っていた畝源三郎も探索中に命を落とし、なにより、榎本武揚と共に函館に向かった東吾の行方がわからないまま。

長年のファンとしては寂しい幕開けですが、それでも麻太郎、源太郎、花世、千春がしっかりと新しい主役の座を固めてくれたことは頼もしい限りです。
方月館にいた正吉も番頭見習いとしてかわせみで働いているし、医師のバーンズ夫妻という新たなメンバーも加わりました。

新シリーズでいちばん驚かされたのは、麻太郎の実父が東吾であると本人を含め皆が承知していること。るいも千春も知っていることになります。

るいの心中は複雑でしょう。
麻太郎が若い頃の東吾に生き写しなのです。東吾の不実をなじりたくもあり、忘れ形見を愛おしみたくもあるはずです。
しかも、籍の上では血のつながらない従兄弟同士でありながら実際は兄妹である麻太郎と千春が惹かれあっている……

るいと千春は、まだほとんど何も語りません。
「かわせみ」をめぐる人たちにどのような運命が待ち構えているのでしょう。
いやあ、先が楽しみです。

平岩さん、いつまでもお元気でこの物語を書き続けてくださいね。
中途半端は嫌ですよ。



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暗殺者のメロディ

 

なんといってもドロンの演技につきます。

ロシア革命の大物トロツキーを暗殺するよう命じられたジャック。
どんな組織が指令を下しているのか(スターリンには間違いないのだろうけれど)、どんないきさつで荷担するようになったのか詳細は語られません。しかし、ジャックの苦悩はじわじわと伝わってきて、見ているこちらまで手に妙な汗をかいてしまいます。

映画の冒頭からジャックは暗殺に乗り気ではないように見えます。
極端に口数が少なく、その思うところは推測するしかありませんが、おそらく暗殺の標的がどれほどの大人物で、殺人がもたらす影響の大きさを十分理解していたのではないでしょうか。

本当はトロツキーの考えに賛同していたのかもしれません。
屋敷に出入りできるようになって、その人となりに尊敬の念を抱いたかもしれません。

そんなジャックに業を煮やした組織は母親を人質に取ったと匂わせ、彼の苦悩は一層深まっていきます。
感情の振幅は激しくなり、狂気に向かった精神は暗殺を実行することでしか解放されないのです。

暗殺実行後に逮捕され、おまえは何者だと問い詰められるラストシーン。
ドロンの表情に注目して下さい。
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居酒屋の幸せ3



「竜田揚げ」といえば「鯨」!
給食で食べました。
小学生の私は肉も魚も牛乳も嫌いだったけど鯨だけは好んで食べた。
鯨のおかげで大きくなれたようなものなのです。

マスター自ら新鮮な食材を「現地採集」してくる近所の居酒屋「蔦家」。
いつも「うめえ、うめえ」と唸らされるのですが、先日唸ったのは「鯨」でありました。

さすがに南氷洋のミンククジラは現地採集というわけにはいかなかったようですが、まあ、とにかくこれがうまい。
刺身、ステーキ、鯨汁を堪能。
うーん、うまいよお。

個人的には刺身が最高。
見た目は馬刺しで、しょうがやにんにくと合わせた方が味が引き立つところも似ていますが、食感が違いました。もっとやわらか。
さっぱりしていて、でも甘みが残るところが四つ足動物の肉とは決定的な差でした。

来週は「竜田揚げ」をお願いしますね、マスター。

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潜水服は蝶の夢を見る

 

ジャン=ドミニクは雑誌「エル」の現役編集長。
子どもと週末を過ごすために別れた妻の元を訪れ、さあ出かけようという時に突然の発作。
3週間に渡る昏睡から覚めたジャン=ドミニクが自分の意志で動かせるのは左目だけでした。

たとえ体の自由が奪われようとも、人間らしく生きたいという意志があれば、魂は自由に羽ばたき、尊厳を失うことはない。
この映画が伝えたいことはきっとそういうことなのだと思いますが、私が惹かれたのは愛情の物語としての側面でした。

片目しか動かない寝たきり状態で、意志の疎通に気が長くなるほどの時間がかかるジャン=ドミニクを、家族や友人は頻繁に訪ね、やさしく接します。

80歳を超えた父親は電話で慰めの言葉を掛け、仕事仲間は本を読んでくれたりします。
別れた妻と子ども達が父の日にジャン=ドミニクを海岸に連れ出し、彼を囲んではしゃぎ廻るシーンはそのハイライトでした。


ジャン=ドミニクがそれほど愛されるのは、彼が同じだけの愛情を周囲に与えていたからでしょう。
高齢の父親のひげをあたりながら、軽い口調で先に逝った母親の思い出話をする件は印象的でした。

瞬きだけで意志を伝え自伝を書き上げたジャン=ドミニク。
これは実話に基づいた映画だそうです。
ストーリーなどの詳細はオフィシャルサイトでどうぞ。
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荒地の恋



1960年代生まれの私が人生の指針として参考にしているのは40年代後半から50年代生まれの人たち。
この世代はとにかく数が多いし、ベトナム戦争やヒッピームーブメントを体験していて、それ以前の大人たちとは明らかに違う影響力を持っていました。

50代って結構じたばたしているんだな、とちょっと安心させられたのがティム・オブライエンの「世界のすべての七月」。
同窓会に集まった10数名の男女の外見はもちろん変わっていますが、中身はそのまま。相変わらず落ち込んだり恋をしたりするのであります。

同じ50代でも気合いの入り方が違うのは詩人たち。
「荒地の恋」に登場する北村が親友の妻と恋に落ちたのは53歳。
家庭と職場を捨てて明子と流転する北村の生活はかなり悲惨です。
でも再び詩が身内に甦ったことが嬉しく、やがて明子と別れ、病に冒されても2度と平穏な生活を選ぶことはありませんでした。

妻を取られた田村もまたすごい。
酒と女に溺れ、妻を奪ったはずの北村に甘え続け、それでも時代の寵児として作品を書き続けるのです。

この2人をはじめとする「荒地派」の詩人たちのパワーたるや、オブライエンの主人公たちの比ではありません。
生に対する執着心の違いなのでしょうか。
傍から見れば悲惨な暮らし振りですが、己の声の命じるままに突き進む姿は神々しく、そして哀れでもありました。

私が50代を迎えても、彼らとは生に対する向き合い方が違いすぎて、参考にはできないだろうな。
詩人というのは職業ではなく、生き方なのですねえ。

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