Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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ついに、サストレ。

JUGEMテーマ:スポーツ


おみごとでした、サストレ。
過去5、6年、マイヨ・ジョーヌ候補にあげられ、常に上位でゴールしながらも表彰台に届かなかったサストレ。バッソが出てきたときにはもう消えてしまうのかと思いましたが、あきらめちゃいかんよ、チャレンジを続けることだ、と背中で教えてくれました。チームメイトもすばらしかった(登りを牽くカンチェラーラ!)。

昨年の雪辱を晴らしたいエヴァンスも静かに闘志を燃やしていましたが、私としては最難関ラルプ・デュエズで自らアタックしたサストレがマイヨ・ジョーヌを手にしてくれたことが率直にうれしい。
努力が報われる場面ってやっぱりいいものです。
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ツアー・オブ・チンハイレイク2008

JUGEMテーマ:スポーツ


ハミルトンとセビリャ。
確かにスキャンダルにまみれた選手たちには違いありません。世界最高レベルのレースカテゴリーでもありません。でも、やっぱりこの人たちは一流なのだ。

あいかわらずドーピングの問題に関してロードレース界は明確で公正な判断基準を提示できていないし、処分された選手たちが本当は関わっていたのか、いなかったのかあいまいなままです。
だから、ハミルトンの総合優勝はとてもうれしいけれど、手放しで喜こべない気持ちもひきずっています。

ドーピング(あるいはルール違反)に関する判断基準が確立されることと、関わった選手が正直に謝罪すること、そして処分を受けた後は改めてレース界に受け入れられる体制ができることを本当に心から望みます。

タイラー・ハミルトンが鎖骨を骨折したまま、ステージ優勝を成し遂げたツールを覚えていますか? 私は、双手を挙げて、なんのわだかまりもなくハミルトンの復活を喜びたいのです。
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小林古径


JUGEMテーマ:美術鑑賞


県立万代島美術館で美術鑑賞講座なるものが毎月開かれていると知り、いそいそと出かけてきました。

本日のテーマは小林古径。
古径といえば切手にも採用された「髪」が思い浮かびます。整理された画面と美しい線描。
今回の講座ではデビュー前から最後の作品まで、古径の年譜に沿って作品を解説。
年代ごとに新たな表現を模索して作風を変えていったのですね。
一方でたっぷりと余白をとった印象的な画面構成は変わることがないようです。写真を撮るときに参考になりそう。

古径に限らず、同時代に生きた作家たちが時代の影響を同じように受け、同じように作風をかえていることがおもしろかった。
いろんな作家が大正時代に華やかな作品を残しているそうです。
浅田次郎の「天切り松」シリーズではその時代の雰囲気を味わえますが(夢二も登場)、今回の講座がきっかけでさらに、大正という時代に興味がわいています。解説の学芸員さんに感謝。また参加させてもらいます。

大正時代作の「極楽井」がいちばんのお気に入りとなりました。

国立近代美術館に作品紹介が残っています。

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バッド・エデュケーション

JUGEMテーマ:映画


映画の中身はこちら。えらく評判が良かったのですね。知らなかった。

主役二人の回想シーン。
寮制の神学校に通う小学生が、成績優秀のご褒美に一日戸外で遊ぶことを許されます。川ではしゃぎまわる子どもたちの姿と風景の美しいこと! そして少年の歌声の清らかさは、私にとってこの映画のハイライトでした。まさに天使たちが地上に降り立った感があります。
現在のシーンが官能的でコントラストがきついだけに、その美しさが際だちます。

それはそうと、いかに仕事とはいえ、いたいけな少年たちに同性愛の(目覚めのような)演技なんかさせていいもんですかねえ。

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ピエポリさん!

JUGEMテーマ:スポーツ


今ツール初の大興奮。
ピレネーで総合上位が動きましたね。喜びをかみしめるマイヨ・ジョーヌのエヴァンスにこちらもうるうる。

それにしても渋い、渋すぎる! 
ピエポリさんですよ。フランクを蹴落とす桁違いの足で、楽々ぶっちぎりゴールも可能なのに、若手チームメートをひっぱりあげるためにスピードを落として待っているなんざあ、やることがにくい。ゴール後も渋い表情はそのまま。江戸っ子だね!
36歳と年下ですが、なんだかもう「峠を走り続けて50年」といった風格です。つい「ピエポリさん!」と叫んだ解説栗村さんにならって、今日から私もさんづけで呼ばせてもらいます。
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セル キング=春樹同一人物説

JUGEMテーマ:読書


普段はそれほど意識していないのに、見かけるとついふらふら引き寄せられ、手に取ってしまうなあ。キングの魔力恐るべし。

携帯電話を使用中の人々が狂気の集合体に変貌してしまう「セル」には、ポップスがいろいろ登場します。「愛は翼に乗って(ミドラー)」「I Hope You Dance(ウォーマック)」「恋するデビー(ブーン)」「誰かが誰かを愛してる(マーティン)」「遙かなる影(カーペンターズ)」。これは変貌した元人間たちの子守歌なのですが、「音楽の趣味が悪い」と主人公は断じます(私はけっこう好きなんですけど…)。その他ヴィンス・ギルやアラン・ジャクソン、「子象の行進」「イパネマの娘」もNG。一方好みなのはAC/DC、ホール&オーツ。

これって「フリオ・イグレシアス」「アバ」「トム・ジョーンズ」を「頭からっぽ」音楽として蛇蝎のごとく嫌う村上春樹も賛成するよなあ、趣味が似てるよな、などど考えていたら、小説そのものが似ていることに気がついてしまいました。

二人の小説の大原則は「とにかく行動する」ことです。主人公がなんらかのトラブルに巻き込まれ、あるいは閉塞状況に陥ったとき、キング、村上両ワールドの主人公たちは必ず動き出します。それが解決に通じる道でなくとも、状況が変わるという保証がなくても、とにかく信念を曲げず最善を尽くすのです。狂気の世界において、自ら狂気に振る舞うことが正常だとは決して考えません。そして、あとはただ運命を受け入れるだけ。

もしかしたら村上春樹って、キングの別名義ペンネームじゃなかろうか、ふとそんなことを思う午後であります。

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法隆寺国宝・四天王像 新日曜美術館




法隆寺って不思議な場所です。そして仏像も。
私は特に仏教に帰依しているわけでもないし、彫刻に興味があるわけでもありません。思想そのものに純粋に興味はあるけれど、浄土が存在するとも思っていません。

でも、法隆寺には惹かれるのです。そして各地の寺(や美術館)に安置されたさまざまな仏像にもふらふらと吸いよせられてしまう。ねこが鰹節に引き寄せられるがごとく、なのであります。
理由は見当もつかない…

法隆寺には修学旅行を振出しに、はるばる新潟から4度足を運びました。
南大門をくぐると、辺りのざわめきが消え、聞こえるのは白い砂利を踏みしめる音だけ。そして中門をくぐる頃、時間の感覚が消えてゆき… 

それは時代設定の利かないタイムマシンにのったような心持ちです。ここはいつの時代の寺なのだろう。創建当時なのか、戦乱の時代なのか、現在なのか。
回廊を聖徳太子が歩いていたり、金堂を点検する岡倉天心とフェノロサの姿が見えても驚かないことでしょう。実に不思議な感覚です。近隣の法起寺や法輪寺ではそんな錯覚が起きないというのに。

四天王像を始めとするあまたの美術品を鑑賞するのはもちろん至福の時間ですが、ただ境内をぶらついているだけで心がしんとして、いつまでも去ることができない、実に不思議な場所なのです。

NHKはこちら。
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ダロウェイ夫人

JUGEMテーマ:読書


会話を交わしている相手が心のうちでなにを思っているのか、あるいは、公園のベンチに腰掛けてこちらに視線を向けている人はなにを思っているのか。

めぐりあう時間たち」で鍵となる「ダロウェイ夫人」は、なかなか挑戦的な小説です。一人称の語りは登場人物の思考を(とりとめもなく)流しつづけます。三人称による状況説明が省かれているので、だれの思いが流れ込んでいるのか常に意識している必要がありますが、慣れてくると、出会う人々の心の中を次々にのぞき見しているような(「マルコヴィッチの穴」!)実に不思議な、そしてやましいような気持ちになります。

ああ、ウォルシュ夫妻。
戦争で「感じる」力を失った夫。イタリアから連れ帰った若い妻は、彼に生き生きとした感情を取り戻してほしいとあれこれ話しかけ、外に連れ出しますが、むなしい努力です。うつろに日々を送る53才のウォルシュは、「もう人は必要ない、ただあるがままの日々を、その瞬間だけを味わえればそれで満足」だと思っています。
かみ合わぬ思いが切ない。

同じ50代でも、ティム・オブライエン「世界のすべての七月」の登場人物たちはずいぶん違います。
同窓会に集まった彼らは、人生の黄昏を予感しつつ、それに抵抗するようにどたばたを繰り広げます。時代と場所が違うと、こうまで人生に対する態度が異なるのものなのでしょうか。
読み比べるのも一興です。

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