Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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北東の大地、逃亡の西

JUGEMテーマ:読書


ううう、怖ろしい短編集を読んでしまった。
冷えびえとした気持ちが暖まることはなく、やりきれなさだけが残ります。
犯罪に手を染めたり、酒や薬に溺れた男たちがアメリカの片田舎で希望を見いだすこともなく、ただただ人生に追いつめられていくのです。ささやかな楽しみもなく、友もいない。彼らが進む道は、ひたすら暗闇に向かって枝分かれしているだけで、日の当たる道に合流することは二度とないのです。
まじめに人生をやり直そうとする男にすら、容赦ない運命が待っています。

それで、なにが怖いのかというと、その可能性なのです。これが自分の身に起こらないという保証はありません。死ぬまで怯えつづけ、孤独だけを友としている自分の姿は想像したくありませんが、暗闇への曲がり角がすぐそこにあるかもしれないと思うと気持ちが萎えてきます…

これと同じ読後感の小説がもうひとつあります。志水辰夫「男坂」。追いつめられた男たちの、どこへも行けない閉塞感は同じように気持ちを冷えさせました。

そんなに怖いのなら読まなければいいようなものですが、どちらもうまいのですよ。読み手の魂をわしづかみにして離さないものだからやめることができないのです。 ああ、こわいなあ、もう。

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岸惠子さんとモディリアーニ 新日曜美術館




モディリアーニといえば瞳のない肖像画。アフリカのプリミティブ・アートに影響を受けていたとは知りませんでした。
番組で紹介された何枚もの肖像画は、やはり瞳がありません。気にはなるけれど手元に置きたくはない、というのが正直なところです。
でもただ一枚、恋人ジャンヌの肖像にだけは瞳が描かれていました。あれはなぜなんだろう… とても気になります。

「(描く絵に)自分がのりうつるくらいでなくては、ただの似顔絵描きじゃないですか」と、痛切なことをさらりと口にするのは岸惠子さん。その観点からいけば、「モデルを自分の様式に従属させる」モディリアーニは彼女のきわめて好み、ということなのですね。

岸惠子さんといえば、われわれ世代にとっては「赤いシリーズ」の「パリのすてきなおばさま」という認識なのですが、あのとき「おばさま」だった岸さんは今、おいくつなのか…  年齢は確かに重ねていますが、「おばあさん」にはなっていないところがすごい。
そして檀さんと口を揃えてこういいました。「謎のない、すぐに分かってしまう男性はつまらないですよね」。
私は黒沢アナウンサーと一緒に下を向いたのでした…
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また会う日まで(その2)



読み終わるのがもったいなくて、ゆっくりゆっくり時間をかけてきたのですが、とうとう終わってしまいました。
感想は別に書くとして、いずれ映画化されたときの配役が楽しみです(映像化できなさそうな部分が多すぎるけど)。

ジャックにとって姉のような、友のようなエマ。他人には圧倒的な影響を与えずにはいられないのに、ひそかに肉体的な悩みを抱え、そして破滅的な生活を送って先に逝ってしまう彼女が大のお気に入りになりました。
どうしてもジョディ・フォスターの顔が浮かんでくるのですが、身長180センチ、体重100キロ以上でレスリングが趣味とあっては無理ですよねえ。

最後までなかなか登場しないジャックの父親ウイリアム。アリスとの間にジャックをもうけながら、「出会った時期が悪かった」とふたりを捨て去り、別な人生を歩みます。でも片時も息子を忘れることはありません。やがて精神を病み入院生活を送るウイリアムはアーヴィング本人がぴったりのような気がします。ジャケットの袖にプリントされた写真はまるで病院のシーンみたいです。
全身に楽譜の刺青をいれたアーヴィングなんて、ちょっと見てみたいですよね。
ああ、でもジャックとエマにレスリングを教えるチェンコ役も捨てがたい。

この小説には実在の俳優たちの名前や映画タイトルが頻繁に登場します。といってもせいぜい通行人役程度なのですが、本人が本人役で出てくれたらいいなあ。


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ウルビーノのヴィーナス 新日曜美術館

ウルビーノのヴィーナス 新日曜美術館

「肉体美は無理としても、あのまなざしは目指したい」と、いきなり飛ばす檀さん。そしてそのヴィーナスのモデルが実は高級娼婦だったのではないかと明かされたところで、「そうでしょう! やっぱり目指さなくちゃ」という趣旨の発言。うーん、どういう意味なんだろう。まあ、さすがエロティシズムを永遠の課題にする檀さんです。いやはや、引くべきか、拍手すべきか…

それはともかく、なんといっても驚いたのが、当時のヴェネツィアです。人口11万人の内、1万人が娼婦だったという事実。10人にひとりが娼婦ですよ! しかも高級娼婦は尊敬の対象になり、サロンにも招かれていたとか。時をほぼ同じくした吉原でも太夫が尊敬されていたことを思い出すと、実に興味深い偶然ですよね。

ヴェネツィアでどんな日常生活がくりひろげられていたのか、興味津々。だれか小説か映画にしてくれないかな。
商船に乗り込んだ娼婦が難破で日本にたどり着き、あれやこれやの末に家康から御免状をもらって吉原で太夫を張ることになった、なんてのはどうでしょう。坂東眞砂子さん、どうですか。

NHKはこちら

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トリストラム・シャンディの生涯と意見

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うーむ、これをおもしろい、といっていいのかどうか悩むなあ。
イギリスでは評判がよかったということです。ユーモアに対する感性の違いを感じます。

さておき、スティーヴ・クーガンとロブ・ブライドンが楽屋で主役を奪い合う冒頭のシーン。続いてマイケル・ナイマンの音楽と共に18世紀のシーンが始まり、これはなにやら普通ではなさそうだぞと期待が高まります。
ストーリーは時系列に沿って進みません。トリストラム誕生のシーンを巡って映画の中を行ったり来たり。
クーガンはもちろん映画の中で演技をしますが、ナレーター役として登場したり、少年時代の自分役の子役に演技指導までしてしまいます。

そして撮影現場とスタッフが画面に現れ出すと「トリストラム・シャンディ」の物語は頓挫。それ以降はいかに映画制作を進めるかということが主題となってしまうのです。主人公トリストラムはついに登場せず、ラッシュを見た出演者、スタッフは「え、これで終わりなの…」とあっけにとられます。そして再びクーガン、ブライドンがやりあってエンドロールが流れ、観客のわたしたちもあっけにとられる、まさしく原題どおりの「むちゃくちゃな話」なのでした。


「マルコヴィッチの穴」や「ロスト・イン・ラ・マンチャ」が好きな方にはおすすめです。

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