Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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隠された記憶

JUGEMテーマ:映画



一家を監視するビデオテープを送りつけた人物がだれなのか、それを推理することは放棄しました。ジョルジュ本人なのかとも思いましたが、自殺したマジッドの息子と彼の息子が知り合いであることを示す最後のシーンでわけがわからなくなってしまったもので。

ひとに言えないやましい行いや思いというのは、だれもがひとつやふたつ抱えているものだと思います。それがだれかの一生を左右するようなものであったと自覚してるなら、一生後悔の念につきまとわられるのは必至。ジョルジュは送りつけられたビデオによって過去の行いを思い出し、次第に高まる自責の念に苛まれ、おそらくもう以前の彼ではいられなくなるでしょう。

一方妻は妻で現在進行形のやましさを抱えているようで、ビデオが自分を監視の対象にしたものではないかとおそれているようにも見えます。だから、穏やかな風貌に似合わない攻撃的な口調で、犯人解明を引き延ばす夫をなじるのではないでしょうか。

いすれにしろ、何の変哲もない一見平和な生活も実は危うい均衡の上に成り立っていて、簡単に崩れ去ってしまうものなのだ、と改めて背筋が寒くなってしまいました。
そしてまた、ひとは心の闇とどう向き合っていくべきなのか、という問を突きつけられたように思います。
自分の記憶に残っている以外にも、意識の奥底に封印されたものがあるはずです。封印されているということは、自分の行いであれ、他人の言動であれ、自分を傷つける種類のものでしょう。それが表に出てこないことを望む気持ちがある一方で、いつかは向き直って精算しなければならないという覚悟を迫られているような気にさせられるのでした。

くわしくはこちら
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関川夏央-新日曜美術館




20代であれだけの絵を描けたという河野通勢の技量に感嘆するとともに、ゲストの関川夏央さんの評論に改めて感心しました。

江戸、明治にも天才画家は存在したけれど、天才はまた、一種の狂気であるという認識があり、画家本人もそれを承知していた。大正は天才が天才としてのみ評価されうる時代であり、河野通勢はそれ故天才としてだけの自分と向きあわざるを得ず、それに耐えきれなくなったのではないか。丹念な描写に魂が宿る「天才」的な絵の製作が3年間という短い期間で終わってしまったことの原因をそう推論していました。

関川さんの文章を読むたびに、冷徹で非常にクールな人物が頭に浮かんできます。生まれてこのかた笑ったことなんかないのではないだろうかと。以前「翻訳の世界」で連載が一方的に打ち切られた際の憤った文章が特に印象に残っているので、「おっかないおやじ」だとばかり思っていたのです。
でもテレビ画面の関川さんはいつも笑顔です。この日もそうでした。
他の人の意見に割ってはいるようなこともしないし、無下に退けるような真似もしません。そして、みんなが虚を突かれるようなオリジナルな評論をするのですから恐れ入ります。「天才は生産的な狂気ですからね」と発言したとき、他の三人は、はっとした表情で、ほんの一瞬凍りついていました。

さすがの檀さんも、関川さんの前では出番なしでありました。
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アスタナ 2008ツール除外

JUGEMテーマ:スポーツ

愚痴は書かないことを自分に課していたのですが、今回だけ。

シーズンを前にして完全にしらけてしまいました。ジロに続いてツールまで…
アスタナはもはや完全に別チームです。スポンサー名だけじゃないですか。アンチ・ドーピングのプログラムにも積極的に取り組むという話だし。
ASOの言い分はいつも子どもじみていてがっかりです。まず、ファンの楽しみを考えてくれと言いたいです。世界最高のレースを「主催してやっているんだ」というような驕りを感じて残念です。

ランスの7連覇がやっぱりいまだに感情的に受け入れられないんでしょうかねえ。だからブリューネル率いるアスタナを拒絶しているとしか思えない。監督がフランス人だったらあっさり出場させていたんじゃないだろうか。
フランス人が勝てないことをランスの強さのせいにするのは筋違いでしょう…

あとはブエルタ主催者の度量の広いことを期待するのみです。
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NHK音楽祭

JUGEMテーマ:音楽


年末に録画していたNHK音楽祭をようやく観たのですが、ぶっとびました。
今さらながらですが、ゲルギエフさんとマリインスキーです。大迫力に◎。
私はクラシック音楽に明るい方ではないので、的外れな感想かもしれませんが、素人はこんなふうに感じるということで。

最初の印象は、切れがあって、くっきりしていて、めりはりがあるなあ、というものでした。そしてなにより、その音量! テレビなので本当はどうだったのか分かりかねますが、なんだかもう溺れてしまいそうな音の洪水であります。津波に襲われたみたいです。
リハーサルで「一音目が大切なんだ、たたきつけるように強く」と指示していましたが、やっぱりフルオーケストラは体格がものをいうのでしょうかねえ。ついつい昨年のラグビー・ワールドカップを思い出しました。日本代表のひたむきなプレーも魂を揺さぶるのですが、例えばアルゼンチン、南アフリカのプレーはその圧倒的な力強さとスピードで、まるで違うスポーツです。今回のマリインスキーもそれと同じものを感じさせました。
持てる技術を衒うことなく発揮し、聴き手に勝負を挑むかのような迫力。こういう演奏にあたると、一気に深みにはまってしまいそうです。
とりあえず、マリインスキー劇場管弦楽団とするどい目つきで髪をかきあげるゲルギエフさんの他の演奏も聴いてみよう。

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鈴本演芸場



鈴本演芸場へはじめてお邪魔しました。細長いビルのせまい入り口がなんとなく入りにくかったのですが、中はすっきりときれいな高座で、なによりビールを販売しているところが丸。

巷はドラマのおかげで落語ブーム、とは聞いていたのですが、12時開場の時点で「立ち見です」と言い渡されたのにはびっくり。
そのせいか、場内はたいへんな熱気で、芸人さんたちのテンションも高いというものです。登場するみんながみんな気合いが入っていました。かったるそうな話しぶりと立ち居が売りの(?)圓歌師匠でさえ、妙に声に張りがありすぎて、今に高座に立ち上がって踊り出すんじゃないかとはらはらしたりして。
客席の受けの良さもたいしたもので、爆笑の連続なのでありました。つられてこちらも、いつもより二割増しの笑い声。
これだけ活気のある寄席を楽しめるなら、ブームも悪くはないなと思うのでした。
寄席デビューの友人も満足げであります。

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血と暴力の国

JUGEMテーマ:読書


マッカーシーは、いつも私に緊張感を強要します。読み飛ばすことを許さないというか、きちんと文意が分かるまで読み返さないと進めないのです。でもその緊張感は心地よいもので、無感動に世の中を眺めてしまいそうな心に活を入れてくれます。

この小説の原題は「No Country for Old Men」。邦題と併せると表向きの内容はよく理解できます。
血と暴力の上に成り立つ合衆国の歴史、国はばらばらで「人に厳しい」その態度は日々悪化しています。そこはもはや年老いた人間、まともな人間が暮らせる場所ではない、と。

しかし、これは単純にアメリカ合衆国の社会問題を問うているのではないでしょう。
毎度毎度で恐縮ですが、マッカーシーのこの小説は村上春樹や、ツイン・ピークスに通じる本質を抱えています。
それは絶対悪の存在。
その前では、まともに生きよう、あるいはやりなおそうという努力などは消し飛ばされてしまいます。善良であることは愚かしいことでしかなく、向きあってしまった人はただ無力感にさいなまれ、為す術もなく立ちすくむほかはないのです。
無慈悲な殺人者シュガーはまさしくそのような存在として描かれていますが、彼はその存在に操られている、あるいはのっとられてしまったのでしょう(「羊をめぐる冒険」の「鼠」はのっとられることを拒否して自ら命を絶ちましたが…)。

私はいわゆる超常現象を信じるものではありませんが、五感で感じられるものだけがこの世の存在の全てではないだろうと思います。そして残念ながら絶対悪というものは存在するように感じるし、だから、人の努力だけではどうにもならないことがあるのだということを心に留めておかなければならないと思っています。


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デーモン木暮閣下さんーNHKニュース



NHKはこっそり過激なことをやらかすので油断できません。
「大相撲に詳しいデーモン木暮閣下さんにおききしました」。
朝7時のニュース画面に目をやるといつもの衣装とメークで(おっと、素顔だった、失礼!)デーモン木暮閣下が登場しているではありませんか! しかもテロップは「相撲に詳しいデーモン木暮閣下さん」です。「さん」ですよ「さん」。「本来相撲界のしごきは愛情に基づいたものであったのに…情報開示が必要になるでしょうね、云々」。おお、なんと常識的、建設的発言。
近年、大相撲中継でのゲスト解説が増え、北ノ富士、舞の海らと絶妙なかけあいでファンを楽しませてくれるデーモン木暮閣下さんですからニュースに進出も不思議ではありませんが、「さん」づけは受け狙いだよなあ、きっと。
本人は「さん」づけが嫌だったのではないかと想像すると、いっそうおかしみがわいてくるのであります。
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忌野清志郎ーSONGS



いやあ、うれしい、うれしいったらないです。いろんなところで少しずつ歌っているようすは流されていましたが、これだけ本格的に歌って踊る姿を見るのは手術後初めて。またこれからも清志郎を聞けるのかと思うと涙がちょちょぎれそうです。

初期の名曲も相変わらず聴かせますが、新しいアルバムを出すごとにレベルアップしていくところが尊敬せずにはいられません。
今夜は「キング・オブ・ロック」と紹介されていましたが、本質はブルーズ・ミュージシャンでしょう。でも清志郎はそういったジャンルに囲ってしまえるミュージシャンではありません。
昔から首尾一貫しているのは、歌うそのとき、時代ごとに感じていることを正直に率直に表現していること。派手な外見やリズムに目を奪われがちですが、よくよく聴けば、「まともに楽しく生きようぜ、ずるはなしだぜ」ということをだれよりも愚直に歌い続けているのです。40年近く、ずっとです。なんて格好好いんだ!

生活向上委員会の梅津さんも、あいかわらず吹きまくっていてしびれましたぜ。

JUGEMテーマ:音楽


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また会う日まで

JUGEMテーマ:読書


う、うかつだった。アーヴィングの「Until I Find You」が翻訳されて昨年出版されていたなんてまったく気づかなかった。なんでそういう肝心なお知らせを送ってこないんだ、と文句を言いながら、いまさっきAmazonで購入。
書店に足を運べなくなったことと、「本の雑誌」の定期購読をやめたことが敗因です。

現役作家では宇江佐真理とアーヴィングがわたしのお気に入り東西の横綱であります。特にアーヴィングは、オリジナルが出版されてから翻訳されるまでえらく長い時間がかかるという前科があるので(オーウェン・ミニイなんて10年待ったぞ)、もう待ちきれずに原書を買ってとりあえずの欲望を満足させ、翻訳が出れば、分からなかったところを含めさらに精読するというほど好きなのであります。

なにがいいかって、まずその分量ですよ。確信犯的に分厚い(村上春樹談)本にぎっしり詰まった活字。手にしたとたん、「これでしばらくアーヴィングの世界にどっぷりと浸れる」と思うと、うっとりしてしまうのであります。
アーヴィングですから、みんなひと癖ふた癖あって、そういう登場人物たちの生活をとにかく細かく細かく描写していくわけです。それが彼らに魂を与え、実在する人間のようなリアリティを持ち始めるのです。だから深く共感できたり、まったく受け入れることができなかったりして、そこがアーヴィングを読む最大の楽しみなのです。

最新作は、逃げた父親を捜す母と息子が、追跡をあきらめ、カナダに戻るところから始まります。息子ジャックは女学校に入学させられ、そこで生涯の友人であり、彼の悪夢でもある(?)年上のエマと出会います。やがて映画俳優となるジャックですが、愛する人たちを次々と失ってしまいます。そして再会の旅に向けてヨーロッパへ渡るのですが…
ね、あいかわらずおもしろそうでしょう。
ここまで500ページ原書で読んだのですが、これで半分ですよ!
続きはもちろん翻訳でじっくり楽しむことにします。
早く届け。

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太陽がいっぱい

JUGEMテーマ:映画



アラン・ドロン、格好良すぎです。「ハーフ・ア・チャンス」の渋いおやじも魅力的ですが、若い姿もなかなか。
「ルックスと才覚で世の中を渡ってみせる」というトムの自信が多分にナルシスティックで、彼の本質的な危うさを感じさせる冒頭の場面。
トムは友人フィリップの服を身にまとい、フィリップの愛のささやきを真似て、鏡の自分に口付けます。トムの企みがことごとく失敗してゆく展開を予想させる秀逸なシーンです。
そしてラストシーン。すべてが水泡に帰すことを知らずに、達成感に恍惚となった表情で立ち上がるトム。エンドロールが流れるまで暗いままの画面。トムという人間の底の浅さと、同時に抱える底なしの闇を感じさせる締めくくりはおみごと、とうなるだけでした。

昨年はフランス映画を観る機会が多かったのですが、有名中の有名を見逃していました。私が映画に興味を持ち始めた頃には既にクラシック扱いで、テレビで繰り返し放送されていましたが、子どもにはおもしろさが分からず、今日に至ったのでした。これでやっとみんなの話に加われる。

原作がパトリシア・ハイスミスとは知りませんでした(読んだことないけど)。この映画は1960年上映ですから、彼女はいったいいくつなんだ?
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