Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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食べあわせ:ふきのとうとグレープ



胃腸のじょうぶさだけがとりえなのに、深夜、突然の胃痛に目を覚まされ、布団の中でのたうちまわってしまいました。ゆうべの「ふきのとう」と「グレープ」の食べ合わせが悪かったのか?

とはいっても食べ物ではなくフォークソングなのでした。偶然立ち寄った店で「ふきのとう・ベスト」「ひこうき雲」「氷の世界」を手に取ってしまい、ついつい全部聴いてしまったのです。3枚とも72、3年頃のアルバム(および楽曲)なので、同時代のグレープ、かぐや姫もついでに。
懐かしいなと思いつつも、どうして「ふきのとう」だけ忘れ去られたのだろうと気になります。
今はほとんど話題に上ることもない「ふきのとう」。叙情的な曲が切なく胸に迫り、さびのメロディーもオリジナルで(雨降りの道玄坂、バスを待つあなたの…)、一度聞いたら忘れられないのに、なぜ? 業界の陰謀なのかな?

73年は他にキャンディーズも「あなたに夢中」でデビュー。小学生だった私はもちろんキャンディーズに夢中なのでありました。食べ合わせ解消にはやっぱりキャンディーでしょうかね。
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最後の闘い



ベッソン監督。
気になるけれど、まだ半分も映画を観ていないのです。「ジャンヌ・ダルク」をスタートにして「フィフス・エレメント」「グラン・ブルー」と続き、これが4作品目。以前観た三つとも大のお気に入り。
そして最初の作品(?)「最後の闘い」には、いやはや驚かされました。

1983年制作でモノクロームですよ。しかも台詞無し!
なんと挑戦的、なんと大胆なのでしょう。おかげでストーリーはよく分かりませんでした。崩壊した文明社会に残された人々の生き残りをかけた闘いなのか、それとも生き延びようとする人類と滅ぼそうとする運命の闘いなのか。
でも、映像の迫力を堪能してください(音楽も同じく迫力満点!)。
「おれの映画を観ろ、おれのイメージを観ろ、どうだ、すごいだろう!」そんなベッソンの意気込みと自信がびんびん伝わってきて、もう細かいことなんかどうでもかまわない。ひとつひとつのシーンがスティル写真の作品としても通用するほど凝っています。

できることなら、83年の公開当時に観たかったなあ。
「ピンク・パンサー」やら「だいじょうぶマイ・フレンド」なんかに現を抜かしている場合じゃなかった…



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海に帰る日

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訳者の村松さんが解説でうまく書いているのでそのまま引用します。

「わたしをわたしとして成り立たせていた人間が死んでしまったあとも、わたしが存在することは可能なのか? 未来がぽっかりとあいた空虚な穴でしかなくなったとき、わたしはなかば本能的に原風景の中に戻っていくが、幾層もの記憶を掘り起こしていけば、わたしは生きた時間の輝きをもう一度取り出すことができるのだろうか。」

自分の存在が寄る辺ないものとして感じられるとき、確かに輝かしかった過去の記憶にひたることがあります。愛されていた記憶、受け入れられていた記憶。それは錨として、揺れるわたしをこの世界のどこかにつなぎとめてくれているようです。
ただ、そんな記憶すら持ち合わせなかったらどうしたらいいのでしょう。「海に帰る日」の著者はそこまで意地悪くはないのでご安心を。
ただ、将来、ほんとうにひとりきりになったとき、わたしの心は何処をさまようのだろうと不安になりますけどね。楽しい記憶を持ち合わせられるような人生を送らなくては。

少年の視線の生々しさはリアルですね。こどもは決して無邪気な天使なんかではないということを思い出させてくれます。

こちらもどうぞ。

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リリア 4-ever

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救いのない映画の制作理由ってどこにあるのでしょうかね? 

ソ連の退屈な町に暮らす16才のリリア。彼女の不幸は母親に捨てられることから始まります。住む家を奪われ、友だちに裏切られ、すがりつけるものを必要としていたリリアはスウェーデンの売春組織に他愛もなく騙されてしまうのです。
彼女は「あばずれ!」とからかわれながらも、アパートのベンチに「Lilja 4 ever」とガラスの破片で自分の名前を刻みます。それはだれにも記憶されることなく異国で消え去ってしまう運命を予感していたかのようで切なさがつのりました。

最後まで救いのない映画なのに、その視線は突き放すようではありません。社会のゆがみを告発しようという視線とも違うような気がします。あきらめとも違うし…
正義や悪といった価値観、あるいは神という(可能性の)存在すらを超越したものの視線とでもいうのでしょうか。

映画の中では、だれもリリアのことを覚えていないことになります。でも、映画を観たわたしたちは覚えているからね。
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エヴァとステファンと素敵な家族



またもやABBAでした。「わたしたちの愛はどこへいってしまったの。あなたなしでは生きていけない。ねえ私のS.O.Sが聞こえないの?」映画の冒頭とエンディングロールに流れた「S.O.S」。
1975年のスウェーデンで、それぞれの理想を胸に一つ家で共同生活を送る若者たち。根拠のない自信と希望に胸をふくらませ、そして他者の振る舞いやことばに傷ついたりします。若いってことは面倒くさいな、と思いながらも、どこか温かい気持ちになれるのは、彼らが傷ついた人のS.O.Sを聞き届けているからでした。S.O.Sをキャッチしたからといって、必ずしも救いをさしのべられるわけではないけれど、だれかに届いたということだけでも発信者は救われるかもしれません。

共同の住まいを追い出された女の子が、電話ボックスから泣きながらお母さんに電話をかける場面があります。電話ボックスって絵になりますね。切ない場面は特に。携帯電話が駆逐してしまった情緒がなつかしいです。

公式サイト
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「ムー脳化人間」大槻ケンヂに脱帽

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電車やバスの中で読んではいけない作家。いますよねえ。「うはははは」とつい声が出てしまう危険な作家。本日私はついつい、声を上げてしまい、昼食を楽しむ人たちから冷たい視線をあびてしまいました。
大槻ケンヂさん。
私にとって今もっとも危険な作家。
テレビで拝見するお姿にはどうしてもシンパシーを感じることができないのですが、これがひとたび文章になると無抵抗に引き寄せられ、笑わされてしまうのですから、人は見かけで判断しちゃいけませんなあ。
今、大槻さんは「ムー脳化」がはなはだしく、世の中のふしぎなできごと、謎の生物探求に全霊を傾けておられるようです。11月号の「本の雑誌」に掲載された高野秀行氏との対談はすごいですよ。どう考えてもいんちきくさいことに血道を上げる執念たるやすごすぎて笑わずにはいられません。「いるわけない」とわかっている理性を踏みにじる情熱! 心の支えは「シーラカンス」、今後は書斎派として「マツドドン」を捜したいとか。
おそらく「本の雑誌」読者には同じように大槻さんの魔力にとらわれた人が大勢いるとみえて、今回の対談は6ページの大サービス。
これからも独自路線を突っ走ってほしいです。

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Norah Jones



ある程度の年齢を超えてから、同世代以下のひとたちが作る音楽に感情移入できなくなりました。いい曲だな、と思うことはあっても、それは彼らの音楽であって、私の(世代の)音楽ではないのです。まあ、それはあたりまえのことで、だからいつの時代にも懐メロ番組が成立するわけですが。

でもノラ・ジョーンズは私たち世代にもファンが多い。ゆったりとした曲のテンポと独特のハスキーさがすっと馴染んでくれるのです。私たちの音楽ではないかもしれないけれど、私たちの音楽の影響を受けた音楽。
なんだかとても親密な感じがします。例えば、昔遊んであげた親戚や友人の娘が、ひょいと顔を出して歌ってくれているような。おじさんたち、こういうのが好きなんでしょう、と。

私のいちばんのお気に入りは「The Little Willies」。彼女はきっとカントリーを聴いて育ったのでしょうね。ソロが仕事だとすると、こちらは大好きな趣味という感じで、実に楽しげに歌っています。気負いがないし、良い意味で力が抜けている。他のミュージシャンに甘えるようでもあり、なんとも愛らしいボーカルです。

(Amazon.comに彼女の大きな写真が何枚もアップされていましたよ)
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冷血



読書傾向が同じ方向を向きながら微妙に違う、という友人がいると重宝します。気になりながらも手を出していなかった本を読んでいてくれたりするので、読もうかどうしようか参考になります。
小説は村上春樹と、最近の芥川賞系が好みという友人が絶賛していたのがこの「冷血」。「取材対象の殺人犯に対するカポーティの態度が、だんだん投げやりになっていくところがおかしい」とは彼の感想ですが、本当に同じ本を読んだのかな? そんな場面ないんだけど… 

この本を読んで思い出したのが村上訳のマイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」。
どちらも膨大な資料とインタビューを整理し再構築された作品で、同じように「小説」として生まれ変わっています。
殺人犯の思考が私自身の思考になり得る可能性に驚き、おののいてしまうし、また、まっとうで正直な人生を送っていても不幸に巻き込まれてしまう可能性に暗澹たる気持ちになります。
この2作品には普遍性があり、真理が現れています。事件に向きあう真摯な態度が伝わる噂どおり、評判どおりの好作品でした。

「冷血」に対する感想はそういうわけなのですが、殺人犯二人の動機と、犯行時の思考には首をかしげてしまいました。なんだか、動機とも言えない動機だし、犯行もじつにあっけらかんと行っているし、そんな安直で良いのか、と思いましたよ。その安直さが怖いといえば怖いのですが。
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