Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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巨人と青年



この映画の本質部分とは関係のない(?)最後のシーンが気になって仕方ありません。
生きながら伝説になっている老作曲家とその妻。そして仕事を手伝う若い女性。作曲家と若い彼女の間にはこどもが産まれることになります。こどもを望みながら恵まれなかった妻は彼女を受入れ、3人で奇妙な同居を始めることに。
傍目には老夫妻の娘に孫ができて、幸せに同居しているように見えるところが複雑な気持ちになります。事実は一夫多妻なのですから。
妻は夫の性癖を知り尽くし、そのうえで理解を示す、あるいはあきらめを持って若い娘とこどもを受け入れる。
冗談じゃない、わたしは出ていく! ふたりで楽しく暮らしてください! と言えない妻が切ないです。芸術家としての夫の才能を愛しているのか、困った性格も含めてあるがままを愛しているのか、それとも日々の積み重ねが別れることをためらわせるのか。

作曲家はもう先が長くなさそうです。そして、彼に再び作曲の情熱をよみがえらせてくれた青年が、もしかしたらこの疑似家族に加わる予感が漂っています。この幼子は奇妙な家庭でどんな運命をたどるのだろう? そんな設定で続編を作ってくれないかなあ。

そうそう、40年ぶりに作曲した交響曲(合唱付き!)ですが、フォルテの連続、単調なメロディの繰り返しが辛かった… 演奏場面はカットして、観客の想像力に曲のできばえをゆだねた方がよかったかも。


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狩野永徳



ややや、狩野派の絵に人物が! 
狩野派って花鳥風月の障壁画ばかりではなかったのですね。おまけに永徳は四代目かあ。自分の無知が恥ずかしいです(澤田ふじ子「闇の絵巻」や「花篝」を読んでいたのに… )。
今までは絵の好き嫌いとは別に、工房制度を取り入れてシステマティックに製作していたということで、なんとなく敬遠していたのです。なあんだ、真筆じゃないのか、と。小説なんかでも、自由放埒な絵師 v保守的な狩野派 という構図がありがちで、イメージはよくありませんでした。
ところが、昨日の番組で目にした「洛中洛外図屏風」や「洛外名所遊楽図屏風」。描かれている人物の可愛いこと! 聚光院の「花鳥図」なんて、実に大胆で生命感にあふれていました。
いやあ、認識を新たにさせられました。びっくりです(山本寛斎にはもっとびっくり)。
そして高校の授業って、いったい何だったのだろう。

新日曜美術館(あるいは、今日の檀ふみ) | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

バタフライ・エフェクト



あのとき、あの場所に戻ってやりなおしたい、それはだれもが一度は抱く願いではないでしょうか。
「I'll come back for you」。エヴァンは初恋の幼なじみによりよい人生を歩ませるため、切ない選択を強いられます。そして悲しいハッピーエンドにたどり着くまで、エヴァンはさまざまな人を傷つける。だれかを救うと、別のだれかの人生をめちゃくちゃにしてしまうのです。それは果てしのない試行錯誤でした。

過去に戻ってやり直すエヴァンを見て私が思ったことは、逆に「やりなおしはきかない」のだということでした。みんなが幸せになれる道は険しく厳しいし、途中で途切れていることもしばしばです。
だから、今ここでふんばって、できる限りで最善を尽くせ、そんなメッセージを受けたと思うことにします。

この映画が気に入った人にはケン・グリムウッドの「リプレイ」がおすすめ。目黒考二大絶賛でした。
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やっぱりこの男だった!

ペタッキファンの私としては万々歳の結果でしたが、この日の主役は文句なしにマキュアンでしょう。例のごとく、どこからともなく現れてスプリント。おっ、今日はやる気だ、ペタッキか、マキュアンか、フレイレか、とこぶしに力が入った次の瞬間。
なんだあ? マキュアンがフレイレにいきなりヘッドバッド! ペタッキを差しそうな勢いだったフレイレは左へよろよろ。マキュアンはヘルメットとサングラスがずれて大村混状態。
うははははは、思わず笑い転げてしまいました。膝で寝ていたねこもびっくり。

今年のレースはジロ以降問題が起きすぎてしらけてしまい、個人的には全く盛り上がらないつまらないシーズンでした(最後にディルーカまで…)。でも終了間際に笑わせてくれてありがとう。
サービスでやってくれたのかとも思いましたが(まさかね)、スローで見ると観客と接触していたのですね。気の毒といえば気の毒ですが、差し勝ってしまうより、こっちの方がマキュアンらしくてインパクトが大きいです。
来年もたのむよ、マキュアン!
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アイドルたち



うーん、すなおに「おもしろかった!」とは言い難いけれど、なにかしら気をそそられる映画でした。パワーにあふれています。なんとなく「ロッキー・ホラー・ショー」を思い出したりして。
落ち目の歌手3人をユニットとして売り出し直し、話題作りのユニークな記者会見を開く。そこでマネージャーたちの意に反した赤裸々な事実が語られ始め、とんでもない結末へ向かう、という設定。
単純に驚いたのは作品がカラーで、1968年の映画とは思えないほど色鮮やかだったこと。そしてファッションがちょうど現在に帰ってきていること。そしてなによりアイドルたちの語ることばがぶっとんでいることです。消費されることに疑問を感じ始めたらアイドルはやってられませんね。

そうそう、バンディッツやブルース・ブラザーズとは逆に、この映画のサントラを買おうという気にはなれませんでした。なにしろ前衛的なもので、わたしはついていけなかった。

公式サイト(があるなんてびっくり!)
http://www.step-by.co.jp/idoles/
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バンディッツ



音楽界最長のPVですね、これは。
悪口ではありませんよ。それだけ映画中で演奏される曲のできが良かったということです。「ブルース・ブラザーズ」を連想してもらうとわかりやすいかもしれません(さすがに、あのレベルには届かないけれど…)。

囚人4人のバンドが警察でのライブに乗じて脱走。彼女たちは逃げ切れるのか?
逃亡の身でありながらいろんな場所で演奏せずにはいられない、目だたずにはいられない、というミュージシャンの性がおかしい。自分たちの脱獄が無視されているといってマスコミに取材させたり、検問で渋滞中の橋の上で歌わないでしょう、普通。
そして自ら人質になり、バンディッツの4人と逃避行を続けるアメリカ人青年の間抜けぶりが際だっていました。男はあほですよ。

結末は少し悲しい気分になりますね。仲間のひとりが亡くなってしまったことで、残された3人は逃亡以外の道を選ぶことになります。警官たちを誘うかのように廃ビルの屋上で最後の演奏。その潔さがさわやかとも言えるし、悲しいとも言えます。
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男だねえ、村田君



スワローズ鈴木健の引退試合。8回裏に代打で登場。ファールで粘ったあげくの15球目をセンター前ヒット。スワローズファンの目は涙で曇りました。よかった、よかった。
そしてこれをお膳立てしてくれたベイスターズの選手、監督のはからいにも胸が熱くなりました。
マウンドに上がった横山は全部ストレート勝負。
ことごとくファールで粘る鈴木健でしたが、ついに13数球目で3塁フェンス際へのフライ。スタンドには届かない。ああ、最後はファールフライか、残念。そう誰もが思ったはずです。ところが3塁手村田の打球を追いかける足がゆっくりになり、打球の軌跡より30センチ手前でグラブを閉じた。何事もなかったかのように守備位置に戻る村田にスタンド中から拍手ですよ。鈴木健は苦笑いと安堵の表情。
それを笑顔で見ていた大矢、斉藤にも感謝。
そしてそのはからいにクリーンヒットで応えて選手生活に幕を引いた鈴木健は、最後まで一流のバッターなのでした。

でもこれだけでは「男だねえ」とは思わなかった。うならせたのは9回表村田自身の打席。高津の放った外角低めのシンカーをみごとホームラン。「これでさっきの落球に文句はつけるなよ!」とフロントにアピールするかのような一発でした。スワローズファンからも拍手。
うーん男だねえ、村田君。
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天唄歌い



琉球の南東にあるらしい孤島でおおらかに暮らす島民と、犬扱いされながらも気楽に暮らす漂着民。ある種の楽園とも言えるこの島の平穏さが破られる事件が持ち上がり、結末やいかに。

さて、物語とは別にゴーガンを思い浮かべました(南海の孤島という設定と、坂東さんが暮らしているという安直な連想ですが)。タヒチの明るい空気と力強い生命力にあふれた女性像。ゴーガンはそこに美しさを見いだしたのですが、絵の背景に一筋黒い雲を浮かべるか、女性の目に妖しい光を浮かべると、「ようこそ坂東眞砂子の世界へ」ということになりそうです。

坂東眞砂子の描く怖さは、日本人の土着性とそこから立ち上る湿った情念にあるのだと思います。それは今回の舞台が母系制社会の南の孤島に設定され、あっけらかんとした島民たちと漂着した日本人の対比が気づかせてくれるものでもありました。日本人である私は当然ながらその湿った情念の向かう先が想像できるし、また行く先を失った情念がどのような形を取るのか容易に想像され、情景的に怖くなくても震えることになるのでした。
そしてまた、女性たちの底の深さは男性を震え上がらせます。それは今に始まったことではありませんが、特に坂東さんの描く女性と篠田節子さんの描く女性は怖い。わたしなんかはぜったい太刀打ちできません。
くわばら、くわばら…
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最後のウィネべーゴ



飼い犬を失った二組の男女がいます。
モーターホーム「ウィネベーゴ」で国中を旅して回る老夫婦は、車中に放置した犬を死なせてしまいます。その責任をたがいに押しつけあいながら、狭い車中で何十年も顔をつきあわせてきました。
カメラマンは可愛がっていた「最後の犬」を初心者ドライバーにはねられてしまいます。ドライバーの少女は非を全面的に認めて、その責任にうちひしがれて暗い影を引きずった生活を送ります。

野生動物が絶滅に瀕した舞台で、カメラマンは道路でひかれたジャッカルを目撃し、やがてその犯人に気づきます。そして、犯人の心中を推し量るうち、自分の犬が死んだ本当の理由と向きあわなければならなくなるのですが、その過程が切ないです。自分を欺き続けてきたことを認めなければならないし、認めたところで少女の失われた生活を取り戻すことはできないのですから。

悲しみが大きすぎると、ひとはなかなか許しのことばをかけられないものです。それが自分自身であっても。
ひとこと「もういいんだよ」と言えれば互いに楽になれると分かっているのに…

ところで、この短編集はコニー・ウィルスが好きという理由よりも、ジャケットのイラストが気に入って手に取りました。
このシリーズは装幀がいいし、ジャケットのイラストがどれも読者の心をくすぐるんですよ。
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