Un gato lo vio −猫は見た

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Fireflies -Faith Hill



最初の印象は「カントリーに帰ってきたんだな。でも、可もなく不可もなくだな」というものでした。こんな感想を持ったアルバムは2、3回聴いて、あとはiPodのシャッフル待ち、という道のりをたどるのですが、この「Fireflies」はどういうわけか頻繁にプレーヤーに乗ります。
それは、このアルバムに幸福感が漂っているからです。

成功を夢見ていたミシシッピの少女がようやく3枚目のアルバム「Faith」で大ブレーク。同じ歌手のマクグロウと結婚、子どもにも恵まれます。その後のアルバムも順調で、映画「パール・ハーバー」の挿入歌もヒットしました。国民的歌手といっても間違っていないでしょう。
「今のところ、私の人生はうまくいってる、幸せっていいものね」、という彼女の満足した笑顔が目の前に浮かぶようです。

もちろん幸福なだけの人生はありません。その幸福は長く続くかもしれないし、つかの間のものかもしれません。彼女もそれは承知しているでしょう。だからこそ、今の幸運に感謝し、それを存分に噛みしめる。
いいですよ、聴くたびに彼女の喜びがじわじわとこちらに伝染してきます。彼女の幸せが長く続きますように。そしてまたお裾分けをお願いしたいものです。
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ノルウェイの森

ピンボールの続きです。
「風」「ピンボール」「羊」の初期3作は「羊3部作」と呼ばれていますが、これは村上さん本人がつけたものではないはずです。
先日「ピンボール」は直子を失った悲しみをのりこえる決意表明ではないかと書きました。その線を採用すると「羊」よりむしろ「ノルウェイ」の方が同じ線上に並ぶことが自然に感じられます。「風」「ピンボール」「ノルウェイ」とつながる「直子3部作」。
もちろん勝手な想像ですが、村上さんは「ピンボール」で悲しみを乗りこえ、新たな境地を切り開こうと「羊」に取りかかった。そして「ハードボイルドワンダーランド」でその試みは一応成功したかに見えたけれど、実際は喪失感を恢復させることができなかったのではないでしょうか。「ピンボール」では具体的な姿を見せなかった直子に実体を与え、物語の中で人生を全うさせ、前回よりはっきりと彼女へ別れを告げて悲しみを昇華させるために「ノルウェイ」が書かれなければならなかったのではないでしょうか。直子との決別、そして強引に「こちら側」へ引き寄せてくれた「ミドリ」への感謝。
「羊」について言えば、その後「ダンス」へと物語が引き継がれたことからも、登場人物が同じということだけで、もともと初期2作とは別物だったのではないか、というのが再読の感想です。

「ノルウェイの森」が書店に並んだときはびっくりしました。真っ赤な無地のカバーの真ん中にタイトルだけ。目立つなんてなんてものじゃなかった。自ら装幀に係わった村上さんは目立たすつもりじゃなかったのに…と書いていたように覚えています。
大ベストセラーの宿命として酷評もあちらこちらで見受けましたが、今こうして読み返してみると、村上さんの作家歴の中でも記念碑的な一冊だったということがよくわかります。
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