舞台はローマ熱(マラリア)が蔓延する1817年のエジンバラ。貴族出の母と海軍士官の父の元に生まれたヘイゼルはパンデミックで兄を失ったことがきっかけとなり解剖学に熱中することに。
しかし、女性外科医など存在しない時代において、人々を救いたいという熱意だけでは勉学はままなりません。そんな時に出会ったのが埋葬された死体を掘り起こして外科医に販売する「復活男」の1人、ジャック。図らずも病気で苦しむ貧しい人々を診療することなった2人は互いに好意を抱くようになりますが、その愛情は身分の差を超えられるのか、そしてヘイゼルの志は叶えられるのか。
このゴシックロマン作者は売れっ子批評家でポッドキャストの人気番も持っているとか。そりゃないだろうという都合の良さは脇に置くとして、丹念に調べた19世紀初頭のイギリスの様子が実に興味深かった。外科技術発展は綺麗事だけでは成し遂げられなかったのですね。生計のために墓を掘り返して外科医に人体を提供する人たちが存在し、必要悪だと認められていたとは……
志半ばのヘイゼルと正真正銘の「復活男」となったジャックの物語は「Immortarity 」へと続くようです。どちらもまだ翻訳はされていないようですが、とても素直な文体で展開もおもしろい。これから英語で小説を読んでみようかなという人にもお勧めの作家です。
JUGEMテーマ:読書
]]>
京都で造り酒屋を営む小早川(こはやがわ)家。主人の万兵衛は妻を亡くして隠居の身となり、店は長女文子夫婦が仕切っています。彼らの喫緊の悩みは早逝した長男の未亡人秋子と次女紀子の縁談、そして大手企業との合併話。どちらも進展しない中、万兵衛とかつての愛人の間で焼け木杭に火がつき、文子は激怒。はてさて、一家の騒動はどう落ち着くのでしょう。
万兵衛と元愛人つねの屈託のなさが良かった。しかも京言葉(?)による台詞のせいか、辛辣な会話にもある種の軽妙さが感じられて、二人の達観した雰囲気が際立ちます。あっけなく万兵衛が亡くなってもつねに深刻さはなく、人が生まれて死ぬのは当たり前とばかりに、さばさばと事を運びます。これまで相応の苦労を背負ってきたにせよ、この二人は自分の思うように生きたのだな、と羨ましくなってしまった。存分に生きてあっけなく死にたいものです。
紀子三部作は実は周吉に理想の「うーん」を言わせる試みだったのではないかと片岡義男が書いていましたが、晩年の作品では原節子に何度も「私このままでいいんです」と言わせていることに気づきました。おそらくこれが小津との決別の原因なのでは? 原さんはそんな消極的な役柄に嫌気が差していたのではないだろうか。
JUGEMテーマ:映画
パリの安下宿屋に集う訳ありの面々。法律家を目指して上京した貧乏貴族の息子ラスティニャック、盲目的な父性愛ゆえに財産をすり減らすゴリオ、富豪の父親に認知してもらえないヴィクトリーヌ、謎の山師、実は大悪党のヴォートラン。ラスティニャックは社交界で散財を続けるゴリオの2人の娘、デルフィーヌとアナスタジーに取り入って出世の糸口を掴もうと策略を巡らせますが結末やいかに。富と権力を得ようと右往左往する彼らの姿はおかしさなど通り越して実に哀れでした。
欧米の小説や映画にはよく社交界というものが登場します。日本の庶民である私にはどこに誰が集まって何をするのか今ひとつピンとこなかった。先日読んだゾラや本作を読む限り、そこは富豪や貴族が集ってコネを作る場であり、若い男女にとっては年配者に気に入られて立身の糸口をつかむ憧れの場のようです。残念ながら扉の開閉はひどく厳重で、平民は近寄ることさえできません。
それを考えれば、細いつながりを最大限活用して、その堅固な門をくぐったラスティニャックの執念は大したものだった。もちろん手酷いしっぺ返しを喰らう訳ですが、彼はそこでうなだれずに「今度こそ」と拳を握り、他の小説でも顔を出すようです。ゴリオ爺さんの後日譚としては「幻滅」「浮かれ女盛衰記」もあるようで、もう少し王政復古後のパリ市民に付き合おうかな。
そうそう、述べ2千人以上が登場するという「人間喜劇」シリーズ。バルザックくは実に書きまくったものですが、実は無類の新し物好きが災いして常に借金返済に追われていたのだとか。物語を地で行く人生だったようです。登場人物たちの口にする警句に説得力があるのも頷けるというもの。
JUGEMテーマ:読書
]]>
ドイチェベレに映画関連の面白い記事が掲載されていたので一部紹介します。
それによれば、この映画は渋谷区がヴェンダースに「東京トイレプロジェクト」のドキュメンタリー作成を依頼したことがきっかけだったそうです。もともと小津の影響も受けていた監督は日本文化に興味があり、慎重な協議を重ねる中に映画に変更したのだとか。
DW記者が日本のトイレ事情に驚いている点がおもしろい。調査によれば東京都は10万人あたり53の公衆トイレを設置している一方、ベルリンは倍増したにもかかわらず11.5。そして改修された渋谷区17ヶ所のトイレ利用者の満足度は44%から90%へ、公衆トイレに対する否定的感覚は33%から3%へ変化したと数字を引用し、日本は世界のトイレ界のリーダーだと称賛しています。
JUGEMテーマ:映画
トイレ清掃員平山の日常を淡々と描いた地味な内容にも関わらず、清々しい映画体験でした。こんなの久しぶり。精神を満足させる本と感情を揺する音楽と肉体をリラックスさせる酒があれば人生に不足はなし。さらに、人を思いやる気持ちや想像力を持ち合わせていれば他者との交流が芽生えるし、そこに理解が生まれたならその日はパーフェクトデイなのです。後にヴェンダースの代表作として評価される気がする。個人的には「パリ、テキサス」と甲乙つけ難い。
平山は寡黙な男で謎めいています。毎日同じことを丁寧に繰り返す姿はある種の修行僧を思わせます。そして彼がどのような人生を辿って現在に至っているのか、さまざまに推測することになりました。几帳面な家事のこなし、車中で流す音楽、就寝前に手に取る本、木漏れ日の写真撮影、そして人々との接し方。
多くを語りませんが、彼は人嫌いではありません。時に誰かのせいでルーティーンが破られると感情を乱すこともありますが、普段は他者の痛みをすぐに察知できるほど人を良く見ています。迷子の少年、ちゃらんぽらんな同僚、家出した姪、妹、姿を見ぬトイレ利用者、居酒屋ママの元夫。誰に対しても彼は目を向けずにはいられないのです。
そしておそらく、そのような人々を含め誰かと心を通わすことができた日は平山にとってパーフェクトデイなのであり、そして新たな明日を迎える糧になるのだと感じます。充足した日々を迎えることは難しくない。人の心の中を察して共感できる程度の精神を持ち合わせていれば。
以下余談。
・幸田文がもっと評価されるべきという古本屋の意見に一票。
・石川さゆりが「朝日のあたる家」を歌ってくれる居酒屋、本当に作ってほしい。もちろん毎週通います。
・すごいぞ渋谷区。公衆トイレ巡りをしたくなる。
・ジャームッシュの「パターソン」と良く似た映画だけれど、決定的に違うのは、パターソンが詩的な美しさを見つけることで充足しているのに対して、平山は心の通いあいに幸福を感じていること。
・ラストシーンの平山のアップとニーナ・シモンの歌声が見事な組み合わせ。
Oh, it's such a perfect day
I'm glad I spent it with you
Oh, such a perfect day
You just keep me hanging on
You're going to reap just what you sow
JUGEMテーマ:映画
]]>
日常の道具に美を見出し、「民藝」という新しい思想を世に広げていった若者たち。その志が熱かった。昨年日本民藝館を訪れて感激したけれど、この小説を先に読んでおくべきでした。
バーナード・リーチ、柳宗悦、河井?次郎、濱田庄司そして富本憲吉。それぞれがどのような業績を残した人なのか断片的には知っていたし、作品を実際に手にする機会もありました。でも、その知識が結びつくことはなかった。
こうして一編の物語として提示されると、情熱を持った若者たちの関係が有機的に理解され、改めてその生涯や作品に興味を掻き立てられることになりました。
原田さんのうまさは、史実に架空の人物を差し込むことです。しかも彼らは善意の人。そのおかげで物語を自在に展開することが可能になり、フィクションでありながら作者が理解する真実が効果的に読者に伝わる。原田さんにはこの路線をもうしばらく突っ走って欲しいものです。
JUGEMテーマ:読書
]]>
商家の古沢が店を畳むこととなり、世話をしていた芸者梅吉の住まいへ転がり込むことに。義理堅い彼女は旦那の面倒を見ることにしたものの、さばさばとして計算高い妹おもちゃは迷惑顔。古沢を追い出そうと算段する一方、自分は呉服商の主人を取り込むために策を弄します。事はおもちゃの思惑通り進んだに見えたのですが、結局二人はあっけなく男たちに裏切られるのでした。
公開された1936年は二・二六事件が起こり、日本が軍事色を強めていた時代。まだ検閲などは行われていなかったと思いますが、時勢を考えればよく制作・上映を行ったものだと感心します。花街の下層から這い上がる手立てなどなく、結局は利用されるだけの芸者たち。そして男尊女卑的な考えを誇るかのような男たち。見ようによっては封建制批判、平等を訴える社会主義的な作品と捉えられるのですから、軍部の勢いを考えればかなりの勇気が必要だったのではないかと思うのですが。
それはともかく、対照的な性格の姉妹がうまく演じ分けられていたし、お調子者で人が良さそうに見えた古沢のしたたかさが見事でした。溝口さんの映画はどれも観客の感情に訴えかける力強さがあり、この作品も「いいものを見た」という満足感を味わうこととなりました。
JUGEMテーマ:映画
パリ大改造で不正な不動産取引を通じて成り上がったアリスティッド・サッカール。その家族を物語の中心に据え、退廃的なブルジョワの暮らしや官僚の腐敗を丹念に描いた一冊。いやはや、金のためなら妻に愛人を持たせ、息子に放蕩をけしかける徹底ぶりには住む世界が違いすぎると脱力します。
たまたま手に取ったこの作品、巻末の解説によれば、ゾラが24年をかけて執筆した「ルーゴン=マッカール叢書」全20巻中の第2巻とのこと。ルーゴン(=サッカール)家の物語を通して読むには体力が要りそうです。
ゾラが作家として大成功を収めたことは映画「セザンヌと過ごした時間」からも窺えましたが、この小説群はいったい誰が読んでいたのだろう? 当初は新聞連載だったとのことなので、知識人やブルジョワに限らず幅広い層に受け入れられたということなのでしょうか。
と疑問に思うのは、上流階級の暮らしぶりをしつこいほど詳細に描写する筆に批判的なにおいを感じるからです。庶民が彼らを揶揄して溜飲を下げるのはわかるとしても、批判されるブルジョワや官僚たちから圧力がかからなかったのだろうか。ガス抜きをさせておけということなのか。
王侯貴族にも匹敵するようなサッカールの贅沢な暮らしぶりを、その家具調度、装飾品、料理、衣装などあらゆるものについて丹念に描写するゾラ。さすがに想像だけで書けるとは思わない。本人もこのような贅沢な環境を知悉し、社交界にも通じていたのだろうと思います。でもそこに批判的な目を持ち込むとき、自分のことは棚にあげてしまうのだろうか。それとも襟を正すのだろうか。
JUGEMテーマ:読書
前作「そして人生は続く」は大地震で亡くなった人々への鎮魂作品。そして、その派生作とも言えるこの映画は復興への応援歌のように感じます。
山間地で暮らす人々は地震の際に道路が寸断されて救助が間に合わず、被災者の多くが便利な街道沿いに引越したとのこと。「そして人生は続く」のメイキングという体裁の本作は、今では閑散としてしまった村への愛惜の念が強く伝わってきます。私たちはあなたたちを、そしてこの村を忘れないよと。
そして、人はいつ死ぬか分からない。だから生きているうちにやりたいことを全うしよう、というメッセージ。それを体現したのが雑用係のホセインです。代役として新婚夫婦の夫役で映画に出演することになり、その相手が学生のタヘレ。実生活でホセインは彼女に求婚中なのですが、家がなく字が読めないとして祖母の猛反対にあっているのです。
しかしホセインはめげない。撮影中も撮影後もしつこい程に求愛を繰り返します。無視される日々が続きとうとう撮影最終日。オリーブの林を抜け丘を登って帰宅する彼女に、ホセインはこれが最後の機会と猛アタック。最後の固定長回しはこの映画でも印象的でした。遠ざかる二人がやがて小さな点となって消えるかと思われた瞬間、一人勢いよく戻ってくる男の姿。果たして彼はどんな返事をもらったのか。
いつもながら、この監督の目は暖かい。
JUGEMテーマ:映画
]]>
30年振りの再読。というのも、遅まきながら続編が出版されていた(2021年)ことを知り、まずは前作の内容を確認したかったから。
クーデターによる監視社会の出現とそこに暮らす人々の無力感はオーウェルの「1984年」を彷彿とさせるもので、今読んでも衝撃は鮮やかでした。いや、むしろ、電子機器が発達して誰もが日常的に監視されうる(されている?)今日では、衝撃をもたらす問題作というより、ごく近い将来の予言・警告の書という意味合いが強くなったと感じます。
密かに抵抗運動を続けるわずかな人々も存在しますが、大多数は圧倒的な支配力に対して無力感を覚えるのみです。物理的な恐怖の前にはアイデンティティなど何ほどの役にも立たず、簡単に仲間を裏切り主張の取り下げは当たり前。幸運にもこれまでそれほどの恐怖に晒されたことはないけれど、いざ自分がそのような現場に立たされたら己の主張を貫き通せるとはとても思えない。
人がどれだけ早く理不尽な状況を受け入れてしまうものなのか、それを思い知らされることは無駄ではないと思います。その可能性を常に意識しながら生きていかなければ、いつかオーウェルやアトウッドの描く世界が実現してしまう。ああ、恐ろしい。続編「請願」には希望があるのだろうか? 読みたいような読みたくないような。
JUGEMテーマ:読書
1994年ウィーン国立歌劇場、カルロス・クライバー指揮
好色なおっさんをこらしめ、時の移ろいの残酷さを実感し始めた女性の引き際を称賛するストーリーは「フィガロの結婚」とコレット「シェリ」を融合したよう。中年女性のしたたかさと若者の無邪気さの対比が楽しく、あっという間の3時間でした。
存在感の大きさは元帥夫人がいちばんでしょう。夫の不在中に17歳の伯爵オクタヴィアンを引き入れて恋愛遊戯に耽ります。うっかり漏らした言葉によれば、これまでにも若い男を取っ替え引っ替えしていた様子。どうやら自らの衰えを自覚したが故のあせりのようです。
彼女が見事だったのは、若い男が若い娘に走るのは必然であると理解しており、情事に執着しなかったこと。好色な従兄オックス男爵の結婚話と彼のオクタヴィアンへの執着を利用して捨てられる前に自ら退いてしまう姿は、以前から引き際のタイミングを窺っていたとしか思えません。オックスの婚約相手と恋に落ちたオクタヴィアンに対して、若い人同士でお幸せにね、なんて格好良すぎでしょう。
JUGEMテーマ:音楽
]]>そんなわけで手に取ったのがこの一冊。雪深い海辺の寒村で両親を亡くした娘が己の才覚だけを頼りに生き延びようとするお話。
類稀な計算能力と論理的思考に長けたカトリは資産に恵まれた絵本画家アンナに目をつけると、お手伝い・秘書としてその能力を発揮し、瞬く間に財政状況を好転させます。そして利益の一部を頭の鈍い弟マッツのために確保する約束を取り付け、全ては順調かと思われました。
しかし、三人と一匹の犬による新しい暮らしがそれぞれに影響を与え合い、誰もが元の自分ではいられなくなる。アンナは人を疑うことを覚えてしまい、カトリは実利が全てという世界観に自信が持てなくなった。犬は服従を忘れて野生へ回帰、マッツも自らの考えを口にするようになり、同居は解消されるのでした。
さて、彼らはどこへ行くのだろう。自信を失った25歳のカトリにはまだ長い人生が待っているし、安心と引き換えに服従していた犬と弟もこれからは自らの才覚で生きていかねばなりません。アンナは損なわれていた芸術へのインスピレーションを取り戻しましたが、おそらくその作品は受け入れられなくなりそうです。
ということで、ムーミン谷とは全く違う世界が展開されましたが、ヤンソンの中ではなんら矛盾するところはないのだろうと感じます。私たちが暮らす社会を理想主義的な目で見ればムーミン谷が出現するし、現実的に見ればこの小説のように表される。もう少しヤンソンに付き合ってみよう。
JUGEMテーマ:読書
愛と芸術に情熱を捧げたトーベ・ヤンソン。子供のようなひたむきさで己の欲求に忠実であろうとする姿は私が思う芸術家の姿そのものでした。当然、周りの人々の気持ちには無頓着でさまざまな軋轢を生むことにもなるのですが、それを良しとして突き進む姿は潔かった。
15年ほど前の芸術新潮でヤンソンを特集した折に、彼女がさまざまな形式の芸術に取り組み、ムーミンはその成果の1つに過ぎなかったことや、彫刻家の娘という生い立ちなどを興味深く読んだものです。この映画ではそこで取り上げられていなかった彼女の愛の変遷が大きな柱となっていて、より立体的にトーベを理解できることとなりました。
60年代生まれの私にとってはトーベ・ヤンソンはあこがれの存在の一人でした。もちろんムーミンに夢中。新潟ではアニメ放映が2年近く遅れたため、最初の出会いはムーミン・コミック。学校帰りに近所の図書館で片っ端から借りまくり、閉館まで粘っていたことを思い出します。ただ、内容は全く理解できなかった。それもそのはず、今回の映画によれば、あのコミックは英新聞社用の連載をまとめたものだったそうで、小学生に分かるわけがない。しかもほとんどが弟の手によるものだった。
その後、「ムーミン谷の彗星」をはじめとする一連の小説を楽しんだものですが、70年代以降に書かれた一般向けの作品があることは知らなかった。映画で描かれた情熱的な人物がどのような物語を紡いだのか、にわかに興味が湧いてきました。
JUGEMテーマ:映画
]]>
アルコールが持つ楽しさとそこに潜む危険な側面を描いたコメディ。高校教師の仲間4人組は塞ぎ気味のマーティンを元気付けるため、とんでもない実験を行うことに。なんと哲学者が提唱した仮説「血中アルコール濃度を0.05%に保つと仕事の効率が良くなり想像力がみなぎる」という理論を実証しようというのです。
退屈でボイコットさえ受けたマーティンの授業は、飲酒と共に快活でユーモアにあふれ出し、それを見た仲間もそれぞれが実践して好結果を出すことになります。しかし、酒飲みはそこでやめられない。濃度を上げたらもっと良くなるのではないかと、実験をエスカレートさせることに。やがてトミーが依存症に陥ってしまうなど制御不能となり、職場や家族との関係は悪化。はてさて、飲酒は善なのか悪なのか。
私の場合、血中濃度0.05%はおよそビール中瓶1本かワイン2杯程度。爽快期とほろ酔いの境界くらいで、確かに気持ちがほぐれて舌も滑らかに動き出す感じです。3時間で分解される計算なので、1時間おきにワインを1杯くらい摂取していれば常に快活でいられるかも。試してみたい気もするけれど、トミーの二の舞を演じそうだなあ。
映画中では、高校生がビール飲み競争に興じたり、教師が生徒に飲酒量を尋ねたりします。どういうことなのかと調べてみたら、なんとデンマークでは16歳から飲酒可能なのだとか。バイキンングの末裔は肝臓と自らを制御する意思が強靭なのかしら。ともあれ、アルコールとうまく付き合って人生を楽しみたいと思わせてくれる作品でした。
JUGEMテーマ:映画
]]>
2001年経済危機に見舞われたアルゼンチン。農協を設立して地域を元気づけようとしたフェルミン夫妻は銀行責任者と組んだ悪徳弁護士に資金を騙し取られてしまうことに。このまま泣き寝入りでいいのか? 自分たちを騙した銀行と弁護士に一泡吹かせようと、夫妻と出資者たちは立ち上がるのですが。
この映画で最も印象的だったのはリカルド・ダリン。悲嘆に沈む表情は見る者の心に同情心を呼び覚まさずにはおかないし、一方で失意の底から浮かびあがろうとする際に目の奥に潜む力は圧倒的なものがあります。個人的に最も気になる俳優の一人です。
ストーリーと関係なしに気になったこと、その1。「La odisea de los giles」という原題と共に流れてきたのが「美しき青きドナウ」。「2001年宇宙の旅」へのオマージュ? その2。資金奪還作戦を思いつくきっかけがテレビで流れていた「おしゃれ泥棒」。こんな風に自分の好きな映画を使われると心をくすぐられますなあ。その3。悪徳弁護士の秘書役を演じたアイリン・サニノビチ。清潔感溢れるキュートさがデビュー当時のペネロペ・クルスを思い出させました。まだ他の出演作はないようだけれど、今後が楽しみ。
JUGEMテーマ:映画