Un gato lo vio −猫は見た

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未成年  フョードル・ドストエフスキー

この物語を一人称の語りで進めるのは、自尊心が高いくせに世間知らずで頭でっかちなアルカージイ君。くどすぎる喋りと突飛な行動のくり返しにイライラと惑わされてしまうのですが、物語の核心となるのは実父であるヴェルシーロフ。

貴族出身の彼は平等な価値観を持った世界人でありたいという「高邁な思想」を抱く一方、女性にくらくらしてしまう弱点を抱えているのでした。出会うご婦人方に衝動的に対処するものだから、あちらこちらでトラブルの種を捲いてしまい、異腹の子どもたちや内縁の妻は大迷惑を被ってしまいます。

家族を不幸に突き落とす人間に人類の幸福や未来を語る資格はあるのか? 政治家が善人である必要はないという意見同様に、議論しても決着がつかない問題ですね。

ドストエフスキーの小説で共通して興味を惹かれるのは、自分たちを二流の民族だと卑下するロシア人の心持ちです。一方で、「イデーを総和させて世界市民になれるのもロシア民族だけ」だと自負し、少なからぬ登場人物が両極端な思いに引き裂かれるように精神の分裂を起こしてしまう。
これ、一般的なロシア人の傾向なのか、この作家の特徴なのか、詳しい方がいたら教えていただきたいものです。

そうそう、当時のロシアでは死別しないかぎり離婚できなかったこと、農奴制が崩壊し、社会主義思想が広がり始めていたことなどが読み始める前に分かっていなかったため、「なぜにその発言?」と何度も頭をひねることになりました。
学校でいったい何を習っていたんだ、私は。

 

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