Un gato lo vio −猫は見た

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残像

カンディンスキーやシャガールとも親交のあったポーランドの前衛画家ストゥシェミンスキ。第二次世界大戦後のポーランドでは共産党による統制が進み、芸術も社会主義実現に寄与する表現に制限される。
美術大学で教鞭を執るストゥシェミンスキは「芸術は新たな表現を求めるもの」として、党の方針に反発。そんな彼を英雄視する学生たちには慕われ続けるものの、職場を追われ、画家組合から除名され、生活の糧を失っていく。

予告編を見た限りでは、信念を貫き通して体制に抵抗し続けた芸術家の生き様を描いた作品だろうと予想していました。
実際、その通りだったのですが、「信念を貫き通す=美しい」という単純な価値観ではなかった。

確かにストゥシェミンスキは己の芸術を追究しようとしますが、食べていけない現実は厳しかった。困窮し、ついに意に沿わぬ仕事さえ引き受けたとしても(スターリンの肖像を描くなんて…)、幼い娘を抱える身であれば仕方ありません。親であれば己の主義より、子どもの安全を優先するのは当然です。

しかし、党は容赦しなかった。ストゥシェミンスキは信念を曲げて獲得した小さな仕事までも次々と奪われ(社会主義国家で仕事を与えられないってどういうこと?)、失意の内に最期を迎えてしまうのです。

個人の抵抗など国家という巨大な組織には痛くもかゆくもない、ということなのでしょうか? このやりきれない気持は初期の「世代」や「地下水道」を観た後と同じです。いつの日かワイダ監督の意図を理解できると良いのだけれど。

 

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