Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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加山又造と横山操-新日曜美術館



情熱の作家は誰だと問われれば、横山操、加山又造の名前を挙げないわけにはいきません。
横山操の作品からは生命そのものが噴出し、加山又造からは美を追究する執拗なまでの情熱がにじみ出ています。

この二人の作品の前に無防備で立つことはとても危険。
うっかりしようものなら、その情熱に魂を奪われ、どこかへ連れ去られてしまうような恐ろしさを感じます。
強い意志を発動しなければ目を離すことすらできなくなるのです。

力強い作家は昔から大勢いると思いますが、横山操はとにかくその力が群を抜いて圧倒的。
そして加山又造は美しさを兼ね備えている点で他とは一線を画しているように思います。

テレビの画面越しでも魂を奪われそうでした。
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飛彈野数右衛門-新日曜美術館



知らない町の、知らない時代の、知らない人たちのスナップなのに妙に懐かしくて、いつまでも眺めていたい気分です。
笑顔の写真っていいですよね。

飛弾野さんは写っている人たちにプリントを渡して喜んでもらうことがなにより嬉しかったとのこと。その気持ち分かります。私も誰かに喜んでもらえる写真を撮りたいものだ、と思うのでした。

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田渕俊夫 新日曜美術館


JUGEMテーマ:美術鑑賞



眼にしたとたん、なんの違和感もなく、すーっとその世界に引き込まれてしまう水墨画。こんな感覚は初めてです。
名品と呼ばれるものもいくつか眼にしたことはありますが、描かれる世界がどこか中国風で、どうも違和感を拭えませんでした。例外は等伯の松林図屏風くらいでしょうか。

田渕さんが題材にする日本の植物は、私の気持ちにすとんと気持ちよく収まってくれます。
なにより惹かれるのは、光を感じること。
たとえば智積院の障壁画として描かれたすすき。
墨の濃淡によって光の強さや柔らかさが感じられるのです。
まぶしくて、思わず手をかざしそうになりました。
日本の水墨画がたどり着いたひとつのゴールのような気がします。

立ったまま襖を思い切り開ける檀さんの手元が怖かった。

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法隆寺国宝・四天王像 新日曜美術館




法隆寺って不思議な場所です。そして仏像も。
私は特に仏教に帰依しているわけでもないし、彫刻に興味があるわけでもありません。思想そのものに純粋に興味はあるけれど、浄土が存在するとも思っていません。

でも、法隆寺には惹かれるのです。そして各地の寺(や美術館)に安置されたさまざまな仏像にもふらふらと吸いよせられてしまう。ねこが鰹節に引き寄せられるがごとく、なのであります。
理由は見当もつかない…

法隆寺には修学旅行を振出しに、はるばる新潟から4度足を運びました。
南大門をくぐると、辺りのざわめきが消え、聞こえるのは白い砂利を踏みしめる音だけ。そして中門をくぐる頃、時間の感覚が消えてゆき… 

それは時代設定の利かないタイムマシンにのったような心持ちです。ここはいつの時代の寺なのだろう。創建当時なのか、戦乱の時代なのか、現在なのか。
回廊を聖徳太子が歩いていたり、金堂を点検する岡倉天心とフェノロサの姿が見えても驚かないことでしょう。実に不思議な感覚です。近隣の法起寺や法輪寺ではそんな錯覚が起きないというのに。

四天王像を始めとするあまたの美術品を鑑賞するのはもちろん至福の時間ですが、ただ境内をぶらついているだけで心がしんとして、いつまでも去ることができない、実に不思議な場所なのです。

NHKはこちら。
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ジャコメッリ 新日曜美術館



45分間ジャコメッリのモノクローム写真と辺見庸の語りだけを流しつづけた放送はなかなか緊張しました。

写真は撮影者の世界観を鑑賞者に示すメディアだといわれますが、この日の番組が私を興奮させたのは、その意味で、番組そのものが写真的だったということです。
ジャコメッリを語りながら、辺見庸は自分の世界観を披露します(パチリ)。そして番組制作者は、その辺見庸だけを映し出すことによって、彼らの世界観をわたしたちに送り届けていました(パチリ)。

自分の内面を探るジャコメッリの写真には(資本の)メッセージなどなく、意味の強要を行わないのだ、と語る辺見庸。その彼を映すことが、メディアのあり方に疑問を投げかける番組制作者のメッセージを伝えるという、ねじれた構成(そしてある種の内部告発)にどきどきしてしまいました。

そんなわけで、檀さんの出番はなかったのでした。

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東山魁夷 新日曜美術館



今さら、また大御所の特集ですか、と斜に構えていたのですが、意外な発見!
青い杜の画面にシベリウスが実にマッチするのです。「白夜光」はフィンランドの風景が題材ということなので、ぴったりはまるのは当然かもしれません。

では、他はどうなんだ?と試しに手元の画集を広げてシベリウスのシンフォニーを流してみたら、ビンゴ!でありました。
描かれた場所の東西を問わず、青い杜の絵はシベリウスをバックにすると動き出すのですよ。霧が漂い始め、冷やりとした空気を肌に感じるのです。見えない湖岸に打ち寄せるさざ波の音までかすかに聞こえる気がします。
静謐で時が止まったような印象を感じていた東山魁夷の新たな楽しみ方でした。

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岸惠子さんとモディリアーニ 新日曜美術館




モディリアーニといえば瞳のない肖像画。アフリカのプリミティブ・アートに影響を受けていたとは知りませんでした。
番組で紹介された何枚もの肖像画は、やはり瞳がありません。気にはなるけれど手元に置きたくはない、というのが正直なところです。
でもただ一枚、恋人ジャンヌの肖像にだけは瞳が描かれていました。あれはなぜなんだろう… とても気になります。

「(描く絵に)自分がのりうつるくらいでなくては、ただの似顔絵描きじゃないですか」と、痛切なことをさらりと口にするのは岸惠子さん。その観点からいけば、「モデルを自分の様式に従属させる」モディリアーニは彼女のきわめて好み、ということなのですね。

岸惠子さんといえば、われわれ世代にとっては「赤いシリーズ」の「パリのすてきなおばさま」という認識なのですが、あのとき「おばさま」だった岸さんは今、おいくつなのか…  年齢は確かに重ねていますが、「おばあさん」にはなっていないところがすごい。
そして檀さんと口を揃えてこういいました。「謎のない、すぐに分かってしまう男性はつまらないですよね」。
私は黒沢アナウンサーと一緒に下を向いたのでした…
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ウルビーノのヴィーナス 新日曜美術館

ウルビーノのヴィーナス 新日曜美術館

「肉体美は無理としても、あのまなざしは目指したい」と、いきなり飛ばす檀さん。そしてそのヴィーナスのモデルが実は高級娼婦だったのではないかと明かされたところで、「そうでしょう! やっぱり目指さなくちゃ」という趣旨の発言。うーん、どういう意味なんだろう。まあ、さすがエロティシズムを永遠の課題にする檀さんです。いやはや、引くべきか、拍手すべきか…

それはともかく、なんといっても驚いたのが、当時のヴェネツィアです。人口11万人の内、1万人が娼婦だったという事実。10人にひとりが娼婦ですよ! しかも高級娼婦は尊敬の対象になり、サロンにも招かれていたとか。時をほぼ同じくした吉原でも太夫が尊敬されていたことを思い出すと、実に興味深い偶然ですよね。

ヴェネツィアでどんな日常生活がくりひろげられていたのか、興味津々。だれか小説か映画にしてくれないかな。
商船に乗り込んだ娼婦が難破で日本にたどり着き、あれやこれやの末に家康から御免状をもらって吉原で太夫を張ることになった、なんてのはどうでしょう。坂東眞砂子さん、どうですか。

NHKはこちら

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関川夏央-新日曜美術館




20代であれだけの絵を描けたという河野通勢の技量に感嘆するとともに、ゲストの関川夏央さんの評論に改めて感心しました。

江戸、明治にも天才画家は存在したけれど、天才はまた、一種の狂気であるという認識があり、画家本人もそれを承知していた。大正は天才が天才としてのみ評価されうる時代であり、河野通勢はそれ故天才としてだけの自分と向きあわざるを得ず、それに耐えきれなくなったのではないか。丹念な描写に魂が宿る「天才」的な絵の製作が3年間という短い期間で終わってしまったことの原因をそう推論していました。

関川さんの文章を読むたびに、冷徹で非常にクールな人物が頭に浮かんできます。生まれてこのかた笑ったことなんかないのではないだろうかと。以前「翻訳の世界」で連載が一方的に打ち切られた際の憤った文章が特に印象に残っているので、「おっかないおやじ」だとばかり思っていたのです。
でもテレビ画面の関川さんはいつも笑顔です。この日もそうでした。
他の人の意見に割ってはいるようなこともしないし、無下に退けるような真似もしません。そして、みんなが虚を突かれるようなオリジナルな評論をするのですから恐れ入ります。「天才は生産的な狂気ですからね」と発言したとき、他の三人は、はっとした表情で、ほんの一瞬凍りついていました。

さすがの檀さんも、関川さんの前では出番なしでありました。
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宮廷のみやび-新日曜美術館


たまたま最近、澤田ふじ子「天の鎖」シリーズを読んだところでした。平安時代の京都庶民の暮らしぶりがテーマの一つなのですが、その感想を「みやび」にからませるのは野暮なので、ここでは書かないことにします。
ただ、ほんのわずかな朝廷や公家の「みやび」な世界と、膨大な庶民の「非みやび」な世界が相容れることなく存在していたことを、忘れないでいたいと思ったのであります。

ということで、今日の檀ふみ(blogタイトルを「今日の檀ふみ」に変えた方がいいかな?)。
今日もやってくれましたよ。ゲストは書をたしなむという奥田瑛二。
「奥田さんの書はバランスがすばらしい」と、国立博物館文化財部部長。すかさず、壇ふみ、「奥田さんは筆をとってさらさらと恋文など書かれたわけですね」。一瞬絶句してから否定する奥田瑛二の弱った顔がおかしかった。
毎週いたずら好きな檀さんであります。

2月24日まで国立博物館で公開中だそうです。
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