Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
<< September 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

蒲団   田山花袋

有名なラストシーンはなかなか強烈な印象を残します。ただ、読み手の私もいろいろ経験を重ねてくると、主人公の行為を単純に「気持ち悪い!」と斬り捨てることができないなあ。

 

兼業作家の時雄が妻子ある身でありながら同居させた内弟子の若さにくらくらしてしまい、妻を亡きものにして後添えに迎えたいと懊悩する姿は確かに醜悪です。恋心を募らせるながらも世間の目を恐れるあまり、想いを告げることも妻と別れることもせず、ひたすら悶々とするだけだなんて、全くもって文学者の態度とも思えない(いや、文学者だからか)。

 

策を弄した挙げ句に芳子を失った主人公に対しては、自業自得だよねと思うものの、いや、お前だって人のことは言えないだろうという声がどこからともなく聞こえてくるような。恋愛に限らず、様々な欲望と世間体の間で足掻くのが人というものですから。私もずいぶんじたばたしました。

 

この小説では時雄の周囲の人々が、文学者という表向きの態度にひたすら恐れ入ってしまうのだけれど、心の内でどんなことを思っていたのやら。妻は芳子に彼氏が出来たことで「無用な心配はしていません」という態度に変わりますが、本当は若い体に未練たっぷりの夫の気持ちを見抜いていたと思うのです。芳子本人も中年男の欲望を感じながら、その想いを逆手にとって居候を決め込み、自分の都合の好いように利用していた可能性だってあります。人の気持ちばかりは分かりません。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

A Spark of Light   ジョディ・ピコー

ミシシッピ州ジャクソン。人工妊娠中絶に反対するグループが取り囲むリプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)クリニック、通称「センター」で発砲事件が発生。犯人と人質解放交渉を行う警官のヒューは通常の事件とは異なる緊張状態にさらされていました。人質の中に姉と高校生になったばかりの自分の娘が含まれていたのです。

 

人質解放交渉を行う緊迫の場面から始まり、時系を当日朝に向かって辿りながらセンターに居合わせた人々の人生の一部をつまびらかにするという構成です。彼らの人生を肯定するかのような視線はとても温かい。

 

群像劇として充分面白い小説ですが、作者の意図は米国における人工妊娠中絶を巡る問題に一石を投じることのようです。ミシシッピ州では受胎後16週を過ぎると処置が行えず、違反者は殺人罪に問われると知り、驚いて調べてみると、米国では中西部州を中心に多くの州で妊娠中絶を制限する非常に厳しい法案が成立していました。しかし、大きな矛盾をはらんでいるうえに人権侵害であるとして重大な政治問題化しているようです。次の大統領選挙でも争点の一つだとか。

 

作者は結論を提示していません。インタビューによれば、妊娠中絶に賛成・反対両者の主張を中立的に取り上げ、互いの意見に耳を傾けるよう促したいのだとか。受胎の瞬間から人権を認めるべきなのか、その場合、性的被害に遭った女性の人権とどちらが優先されるべきなのか。そして、人は定められた運命に抗うことができるのか否か、様々に考えさせられる小説でした。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

月と六ペンス   サマセット・モーム

ゴーギャンをモデルにした物語ということで、発表当時大ベストセラーになったそうです。

 

美を創造するために全てをなげうったストリックランドの人生を知人である作家が回想するという構成のため、画家の美に対する価値観、創造の苦悩を読者が直接窺うことは叶いません。あくまでも、他人の目に映る破天荒な行動からその胸の内を察するほかないのです。没後に評価されなければ彼の情熱は簡単に忘れ去られたことでしょう。

 

むしろ最も丁寧に描かれていたのは、ストリックランドの才能を最初に発見した画家のストルーヴでした。彼は優れた審美眼を持ちながら絵の才能は凡庸に過ぎないというなかなか悲しい役柄。

 

どれほど邪険にされようと、利用されようと、ストリックランどを見捨てることはありません。果てに妻を奪われて激しく落ち込んでいるにもかかわらず、いつか二人が自分の下にもどれば喜んで迎え入れるつもりなのです。お人好しでは美を創造できないということなのでしょう。ストリックランドが月でストルーヴが六ペンスか。

 

今回最も印象に残ったのは中野好夫さんの訳文でした。奥付の初版日付は昭和34年。ということは、おそらく昭和30年代初めの仕事だと思われますが、実にこなれた訳文でいきいきとしていた。最近は改訳が流行りだけれど、これはこのまま現代でも違和感が無い。いや、すばらしい仕事です。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

デトロイト美術館の奇跡   原田マハ

財政破綻から危機的状況に陥った年金財源を守るため、市美術館の所蔵品を売却すべきという世論が高まっていた米デトロイト市が舞台。セザンヌの描いた「マダム・セザンヌ」に魅せられた人々を物語の中心に据え、所蔵品を「友人」のように愛する人々が美術作品と年金財源を共に救った奇蹟のようなお話。

 

原田さんの美術関連小説は、どれをとってもアートに対する愛情が感じられ、気持ち良い時間を過ごすことができます。この作品ではアートを心の糧として慈しむ人々の暮らしが愛おしく、また「マダム・セザンヌ」に深く分け入っていく作者の想い(妄想?)を楽しめました。

 

 

本作の主人公と言える「マダム・セザンヌ」を3年前のデトロイト美術館展(東京)で実際に目にする機会がありました。あのときはピカソとマティスの熱量に圧倒され、モディリアーニのキラキラするような美しさに魅入られたものでした。ゴーギャンの肖像やゴッホの寝室も印象的。でも、そんなきらびやかな作品の中で「マダム・セザンヌ」は実に地味だった。

 

評価の高い作品ということもあり、じっくり向き合ってみたけれど、なんだかモデルがつまらなそうにしているように感じただけでした。会場を一回りした後にもう一度絵の前に立ってみたけれど、小説の登場人物たちのように親しみを覚えることは出来なかったなあ。

 

どうもセザンヌは私の作家ではないようですが、それはそれとして、美を求める人たちの物語には引きつけられて止むことがありません。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

蘆刈   谷崎潤一郎

月に誘われて淀川の堤を散策していた語り手は川の中州で不思議な老人に出会い、十五夜にまつわる思い出話に耳を傾けることになりました。

 

老人は子供の頃、十五夜の夜になると決まって父に連れ出され、巨椋池の畔にある広壮な別荘の生け垣から中をのぞき見ていたと言います。2人の視線の先には裲襠をまとって琴を弾く女主人と賑やかな取り巻き達。子供の目にも美しいその女性は、今は逼塞した父がかつて愛した「お遊さま」。2人の間に繰り広げられた物語は実に奇妙なものでした。

 

お遊さま、その妹の静、老人の父である時雄が繰り広げる不思議な三角関係、そしてあこがれの女性に隷属しようとする男の姿は私が愉しませてもらった谷崎小説に共通のもの。短い物語りながらも谷崎世界を堪能し、妄想を広げられる佳作でした。

 

「卍」の光子のように関係者全員を破滅に導くようなことはせず、新しい境遇にあっさりと順応してしまうところが別れた男にとっては辛いところかなあ。

 

そして、この話を物語った老人は、本当に時雄と静の息子なのでしょうか。今も存命のお遊さまを忘れられない時雄の妄念が老人の姿を借りて現れたのかもしれない。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

The Accidental Further Adventures of the Hundred-year-old Man ヨナス・ヨナソン

101歳の誕生祝いにバリ島で熱気球に乗ったアランと友人のユリウスは手違いから海に落下。通り掛かった輸送船に救助されたのは良かったけれど、なんとそれは濃縮ウランを積んだ北朝鮮船でした。さあ、今度も世界を股にかけた101歳のじいさんの冒険の始まり、始まり。

 

アランは行く先々でトラブルに巻き込まれてしまいますが、前作同様、流れに身を委ねるだけ。名だたる世界の指導者と知己になっても101歳は泰然としたもの。あまりの成り行き任せぶりにトラブルの方がしっぽを巻いて逃げ出してしまうのでした。ただ、人々が手にしたタブレットにばかり気をとられ(本人も中毒状態)、世界が少しずつ悪くなっていることが気がかりのようです。

 

映画化された「100歳の華麗なる冒険」の続編ですが、これは当面映画化が無理でしょう。なにしろ現役で(2018年現在)世間を賑わす世界のリーダー達が実名で登場し、作者に揶揄されているのですから。

 

映画は、人生なるようになるさ、というメッセージを明るく伝えていましたが、原作者のヨナソンは20世紀が最悪の100年だったことを書きたかったのだとい言います。悲惨な事例を思い出すことで同じ過ちをくり返さないで欲しいという願いだったとか。しかし、本はベストセラーになったけれど世界が変わることはなかった。そこで、無駄を承知の上でもう一度アランに登場を願い、同じメッセージをくり返したかったということです。

 

102歳のアランが登場しないことを願いましょう。

 

なんと、翻訳世界を救う100歳老人」が間もなく書店に並ぶようです!

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

銀の匙   中勘助

小さい子供は程度の差こそあれ、この小説の主人公のようにナイーブで傷つきやすく、自分の思うままにならないじれったさにやきもきしたり涙をにじませたりするものです。作者の中さんは幼子の繊細な心の動きを慈しむべきものとして詩的に描いていますが、私としては幼い頃のやるせなさがリアルに思い出され、二度とあんな思いはしたくないと身震いしてしまうのでした。

 

「銀の匙」という物語を尊いものにしているのは同居する寡婦の伯母さんの存在だと感じます。生まれつき虚弱な主人公を無条件に愛し、どんなときでも救いの手を差し伸べてくれる菩薩のようです。あまりの献身ぶりによって、彼女の将来に不幸が忍び寄ってくるような不安感が漂い始め、それが現実となる終盤には頁をめくる手が止まってしまいました。愛情にあふれた善意の人が不幸の中に人生を終えてしまうやるせなさがあるからこそ、この物語がいっそう美しく感じられる気がします。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

北愁

父親同士が兄弟のあそぎと順治。性格が異なる2人は互いに薄い関心を保ちながらそれぞれの人生を歩み、しかし、心細さを覚えるような節目では相手に話を聞いてもらいたいと考える間柄です。的確なアドバイスを願っているわけではないけれど、はぐらかされると腹が立つ。

 

普段は特に関心があるわけではないけれど、ことあるごとに何となく思い出す関係なのですね。自分のことを顧みても、確かにいとこ達とは儚い結びつきです。そして歳を重ねるにつれて、血のつながりというものが良くも悪くもどこかで人を拘束しているのだと感じることが増えました。

 

ところで、主人公のあそぎちゃん。幼い頃から男勝りのさっぱりした気性で、自分に恋愛は無縁と考えていました。分別、世間知ばかりが身についてしまい、情熱に身を委ねるすべを知らない大人になってしまったのは可哀想だった。一度くらい誰かに恋い焦がれてもよかったのにと思います。

 

幸田文の著作は随筆、小説ともに数作品しか読んでいないけれど、不思議に惹きつけられるものがあります。あそぎちゃんではないけれど、さっぱりしすぎて、ちょっと人を突きはなすように感じられる文体が妙に心地よいのです。ほら、だらだらしてないで、しゃきっとしなさい、と諭されているようで。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

フォマルハウトの三つの燭台〈倭篇〉   神林長平

家電が人工人格を与えられ、その意識が人間の意識とコンフリクトする松本市。意識は人間以外のハードウエアにコピー可能かもしれず、そして、私たちが五感を通して認識する世界は「リアルな世界」とは違うのかもしれない。

 

「我思う故に我あり」は良しとして、その「我」とは誰/何なのか? 三つの燭台に火が灯されて世界が終わったにもかかわらず物語は続き、本当の終わりは語り手の幕引き次第。相変わらずの神林節に柔軟性を失いつつある脳が心地よく刺激されました。

 

ところで、小口に仕掛けを施した本は初めての体験でした。左手で小口を広げるとウサギのようなジャカロップの姿が、右手では燭台が現れるようデザインされています。ただ色を塗るだけの造本とは凝り方が違う。私たちが見ているものは見た通りではない。物語の内容に呼応するかのようなアイディアに参りました。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

世界を回せ   コラム・マッキャン

1974年8月7日、ニューヨーク。神は空と地上で2つの美を実現させました。ひとつは世界貿易センタービルのツインタワー間で45分に渡って演じられた綱渡り、もうひとつは交通事故に端を発した普通の人々の不思議な結びつきです。

 

綱渡りは現実の出来事。演じたフィリップ・プティ本人の著作や映画などで、そのパフォーマンスの途方もない美しさを確認することができます(私は今回映画「ザ・ウォーク」を見ました)。人間の持つ可能性は無限なのかもしれない。

 

当日、遙かな上空に綱渡りの様子を目撃した人々の人生を辿ったフィクションもまた、人間の可能性を読者に示すものでした。人は何かをきっかけに利他的な行動に踏み出すこともできるのです。

 

でも、マッキャンは神が意地悪だと考えているようです。と言うのも、そのきっかけが肉親の死やパートナーの裏切りなど、ことごとく何かを喪失することなのです。神に仕えると誓い、娼婦たちに手を差し伸べ続けたコリガンになぜ無慈悲な死を与えるのでしょう。更生を願う女たちをなぜ突き落とし続けるのでしょう。試練の必要性が私には分からない。

 

コリガンと共に事故死した娼婦の娘、ジャスリンによる物語の幕引きは諦観と淡い希望がない交ぜになった静けさに満ちています。「Trans Atlantic」と共通する余韻に次作も期待が高まるのでした。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |