Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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洪水の年   マーガレット・アトウッド

ジョージ・オーウェルが全体主義的超管理社会を描いた「1984年」は見たくない悪い夢でした。しかし、ITが発達しIoTが常識になりそうな現在、為政者がその気になればその悪夢は簡単に実現してしまうところまで来ています。私たちはあの小説から何も学ばなかった。

そして、今度はマーガレット・アトウッドが倫理観の欠如した生物工学が導く悪夢を描きました。

 

遺伝子操作技術が高度に発達し、新たな生物や怪しげな食物が溢れる近未来。行政組織のない社会は巨大企業「コーポレション」のエリートと平民の二つに分断され、コーポレーションと不正に結びついた民間警備会社「コープセコー」が警察機能を担っています。

 

そのような社会に対抗する菜食主義の狂信的環境団体「神の庭師」は、やがて水なし洪水で世界が滅びると説き、生き残って新たな世界を築く計画でした。しかし、予言通りに発生した水なし洪水の威力は凄まじく、神の庭師を含む人類はほぼ全滅。わずかに生き残った人々、遺伝子操作で生まれた新人類、そして影響を受けなかった他の生物たちの未来は?

 

三部作の二作目で「オリクスとクレイク」の前日譚。前作の翻訳出版から11年は長かったけれど、待った甲斐がありました。私たちが無反省に今の生活を続けていれば、必然的に人類は滅びる。小説好きだけではなく、現代に生きる全ての人々に読んでもらいたい物語です。

 

アトウッドは人類が遭遇しないであろうSFを書いたわけではなく、現実に起こりうる、あるいは既に起きつつある世界の近未来を書いたと語っています。そして、人類が生き延びるためには「理解の神経回路」を作る物語や文学を含む芸術が必要だと強調します。

 

世の中には様々な小説が溢れかえっていますが、誰にでも分かりやすい形で社会に警鐘を鳴らす物語は多くありません。破滅の危機に瀕した現実から目を背けるなと問い続けるアトウッドは、現代のレイチェル・カーソンと言えるし、神の庭師のイブそのものだと感じます。

 

あまり待つことなく次作が読めますように。

 

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賭博者   フョードル・ドストエフスキー

家庭教師アレクセイは雇い主の貴族一家と共にドイツのカジノタウン、ルーレテンベルクに滞在中。彼らが待っているのは莫大な資産を持つおばあさんの訃報。自称フランス人貴族に多額の借りを作った将軍はその遺産で精算したうえで、これまた自称フランス人貴族のブランシェと結婚したいと願っているのです。

 

ところが、待てど暮らせど吉報(?)は届かない。どころか、当のおばあさんが元気な姿でカジノに登場。ビギナーズラックで大金を手にしたおばあさんでしたが、大方の予想通りその後は負け続けてしまい、持参した大金を全て失ってしまうのでした。

 

さあ、将軍は金目当てにうろついていたフランス人たちに見捨てられ、ドイツ滞在中に賭博のことしか考えられなくなったアレクセイも転落の道をひた進むことに。果たして一家の再生はあるのか?

 

またもやドストエフスキー小説に登場する典型的なロシア人たちです。感情の起伏が激しく(ゼロか100か、この世の極楽か地獄か)破滅志向。自分のことを客観視することはできるのだけれど、軌道修正することはできません。そして洗練されたフランスに対して憧れと憎悪の念を併せ持つ。いやはや、厄介というか切ないというか。

 

謎なのは、なぜアレクセイ君が貴族一家に気に入られているのか。将軍の義理の娘、ポリーナは彼を見下しながらも屈折した愛情を感じているようだし、一度しか顔を合わせたことがないおばあさんも全幅の信頼を寄せて賭の指南役に命じるのです。私には読み取れない魅力があるのかしら?

 

英人ブルジョワジーのアストリーが一家に寄せる好意も理由が分からない。家庭教師に過ぎないアストリーはじめ、フランス人貴族に袖にされたポリーナや落剥した将軍の面倒まで見ようとするのは何故なのだろう。親切なふりで、興味本位にロシア人という民族を観察しているようにも感じます。

 

終盤に登場するパリは、印象派が誕生した前後のパリです。政治的には体制がめまぐるしく変わる激動の世紀でした。新しい芸術を目指す画家たちは明るい色彩で世界を描くと共に、社会が抱える負の側面も暴いています。そんな喧噪の街を想像すると、少しはこの陰鬱な小説にも彩りが添えられます。印象派の画集など傍らに置いて読んでみるのも一興かと。

 

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The Sweetness at the Bottom of the Pie アラン・ブラッドリー

フレーヴィアは化学実験が大好きで毒物に興味津々の11歳。2人の姉とはそりが合わないし、やもめになった父親は切手蒐集だけが生きがいで、彼女のことに無関心ですが、なあに、自分の実験室に籠もっていれば大満足。

 

とある日のこと、お屋敷の勝手口を開けると、そこにはにコシギの骸。くちばしの先を見るとオレンジ色の切手が刺さっていて、それを見た父は顔面蒼白に。その後キュウリ畑に倒れていた見知らぬ男が息を引き取り、なんと、父が殺人容疑者として逮捕されてしまうのでした。

 

さあ、大変。お父さんを助けなきゃ。真相を探るため、大胆な行動力と大人顔負けの知識を持ったフレーヴィアの活躍の始まりはじまり。

 

主人公の一人称語りなので文体は易しいけれど、いかんせん未知の単語が多すぎた(11歳なんだから難しい言葉を使うなよ……)。辞書をめくる時間が多すぎて、この小説のスピード感を体感できなかったことが残念。

 

でも、調べてみたら、既に「少女探偵フレーヴィア・シリーズ 」として翻訳が出ていました。はつらつとした主人公は元より、意地悪な姉たち、実直な使用人、夫への愛にあふれた料理おばさんなど魅力的な登場人物が揃っています。今後もバックショー荘で繰り広げられる謎解きを楽しむには日本語かな。

 

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すみだ川 永井荷風

おじさんという立場は気楽でいいよな、と思っていました。時々甥や姪の顔を見てはお小遣いをあげたり、どこかへ連れて行っては「ありがとう!」なんて抱きつかれたりしてね。おじさんは物わかりがいいのだ。

 

商家の跡取り息子だったにもかかわらず道楽が過ぎ、俳諧師として浮世を渉る蘿月は、常磐津を教える妹の息子、長吉君が進学して堅気の仕事に就くのだろうと思っていました。

 

ところが、長吉君は想いを寄せる幼なじみのお糸が芸者の道を選んだことにがっくり。恋しさのあまりに学業が疎かになって落第、こうなったら役者になろう、伯父さんならおれの気持を分かってくれるはずと蘿月にすがることに。

 

さあ、困った、板挟みだ。道楽者だった己の身を振り返れば長吉の気持も理解できるけれど、不安定な自分たちとは違って堅実な道を歩んで欲しいという妹の気持ちもよく分かる。

やっぱり、ここはまともな意見をするべきだよなあ、とおじさんは日和ってしまった。

 

長吉君の落胆したことといったらありません。死んだ方がましとばかりに雨の中を歩き回り、わざとのように腸チフスに罹ってしまいます。様子を見に来た蘿月は絶望した甥の書き付けを見て大後悔。

ああ、長吉よ、おじさんが何としてもお糸と一緒にしてやるからな、役者の道も後押ししてやるからな、と涙にむせぶのでした。

 

と、こんな風にあらすじを書くと単なるよくある話で終わってしまうけれど、実際の小説は人情の機微が細かに描かれ、特に長吉君の若さ故の不安や絶望感が身に迫ってきます。時代は違うけれど若いということは辛いものだと思い返されます。

 

そして、明治の終わりから昭和初期にかけた自分では見たこともないはずの東京の風景に対してやけに郷愁を感じてしまうことが不思議です。新奇な事物が次々と生まれる都会だけれど、小路を折れてみるとそこには昔から変わらぬ活の匂いが漂っている。街は未来に向けてどんどん進んで行くものの、多くの人々は心の内にある江戸や明治を忘れることが出来ない。

 

そんな移ろいゆく東京の町を、冬の夕陽を浴びながら長吉君と一緒にあてどもなくさまよってみたい気分になるのでした。

 

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細雪 谷崎潤一郎

日中戦争が世界大戦へ拡大しそうな時局の中で、関西の旧家出身4姉妹の生活を通して、伝統的価値観が現代的価値観へと取って代われるさまを描いています。

 

言わずとしれた谷崎潤一郎の代表作ですが、これまで「刺青」「痴人の愛」「鍵」などをはじめ、いくつかの小説を楽しんできた私には実に意外な印象でした。というのも、他の作品とは違って、登場人物がいたってまともな人ばかり。抑えきれない情慾に身悶えする人が見あたらないのです。

 

作家が美しいと信じる古き良き風習や価値観が失われてしまうことを惜しみながら慈しむ、これがこの小説の楽しみ方でしょうかね。薄闇に美を見いだす随筆「陰翳礼賛」を物語に仕立てあげたといったところでしょうか。これなら中学校の先生も安心して教えられます。

 

気の毒だったのは末っ子の妙子。駆け落ち騒ぎが新聞に報じられたのちは、手に職を得て自立を目指すものの、世間体にとらわれる身内やしつこくつきまとう男達が足かせとなって自由な生活を営めないのです。奔放すぎると周囲は批判しますが、今ならごく普通の若者。戦後に生まれていたら時代の旗手となっただろうに。

 

ラストシーンは美しさを追求する物語にそぐわないような下ねた。なぜに? と思わないでもありませんが(吉永さんが雪子役で出演した映画はどのように扱ったのだろう)、谷崎潤一郎にとって美とは何かを示すエピソードなのでしょう。

 

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憂鬱な10か月  イアン・マキューアン

胎児は胎内でどのような日常を送っているのでしょう。心臓をはじめ、胃、腸、膀胱など、母の内臓が活動するさまは感じているような気がします。では、母体が摂取する飲食物を血液の変化という形で認識するものなのか、また、外界で交わされる会話、環境音、音楽が何らかの形で伝わるものなのか、そして羊水と皮膚の向こうに光を感じるものなのか。

誰もが体験済みなのに誰にも答えられない疑問。マキューアンは新作でそこに目をつけています。しかも、この胎児は産まれるべきか、産まれざるべきか、胎内で苦悩するというのですから驚くほかはありません。

愛人と共謀して夫を無き者にしようとする母。計画が成就すれば、産まれた我が子を捨てるつもりで、失敗すれば、刑務所内で子育てをすることになるはず。語り手の胎児にとってはどちらも受け入れがたい運命です。

両親の手元で成長したい彼/彼女は父親殺害を阻止したいのですが、いかんせん起こせる行動は限られています。自らの力で運命を切り開くことが出来るのでしょうか。

マキューアンの小説はいくつか映画化されていていますが、この物語の映像化はハードルが高そうです。でも、難しいことにこそ闘志を掻き立てられる人たちが多いことも事実。どなたかチャレンジしてくれませんかねえ。絶対観に行きますよ。

 

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The Dalai Lama's Cat  デイビッド・ミチー

犬や猫をはじめとする愛玩動物たちは飼い主を選ぶことが出来ず、飼われている環境によってずいぶんと違う人生を送ることになります。わが家の猫が今の暮らしに満足してくれていると好いのだけれど。

さて、この小説に登場する猫の飼い主はすごい! 生まれて間もなくお金目当ての子どもたちにさらわれたあげく、足が悪くて捨てられそうになったところを救ってもらったのですが、その人は世界でもとびきりの有名人にして人格者、ダライ・ラマだったのです。

表紙に「小説」と記されているものの、ダラムサラの法王庁で暮らす雌猫の生活を通じて仏教の教えを説くソフトな読み物、といった読後感です。

自分のことしか考えていなかった(そりゃ当たり前だ)無垢な猫がダライ・ラマをはじめ、その側近、料理名人のイタリア人おばさん、カフェの主人、凛々しい雄猫などと交流しながら、真理に目覚めていくという筋立ては、ありきたりで物足りなさを覚えます。

ただ、普段知ることのないダライ・ラマの暮らしぶりや、法王庁があるマクロードガンジの描写がとても興味深く、完全なお上りさん気分で楽しんだのでした。

 

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未成年  フョードル・ドストエフスキー

この物語を一人称の語りで進めるのは、自尊心が高いくせに世間知らずで頭でっかちなアルカージイ君。くどすぎる喋りと突飛な行動のくり返しにイライラと惑わされてしまうのですが、物語の核心となるのは実父であるヴェルシーロフ。

貴族出身の彼は平等な価値観を持った世界人でありたいという「高邁な思想」を抱く一方、女性にくらくらしてしまう弱点を抱えているのでした。出会うご婦人方に衝動的に対処するものだから、あちらこちらでトラブルの種を捲いてしまい、異腹の子どもたちや内縁の妻は大迷惑を被ってしまいます。

家族を不幸に突き落とす人間に人類の幸福や未来を語る資格はあるのか? 政治家が善人である必要はないという意見同様に、議論しても決着がつかない問題ですね。

ドストエフスキーの小説で共通して興味を惹かれるのは、自分たちを二流の民族だと卑下するロシア人の心持ちです。一方で、「イデーを総和させて世界市民になれるのもロシア民族だけ」だと自負し、少なからぬ登場人物が両極端な思いに引き裂かれるように精神の分裂を起こしてしまう。
これ、一般的なロシア人の傾向なのか、この作家の特徴なのか、詳しい方がいたら教えていただきたいものです。

そうそう、当時のロシアでは死別しないかぎり離婚できなかったこと、農奴制が崩壊し、社会主義思想が広がり始めていたことなどが読み始める前に分かっていなかったため、「なぜにその発言?」と何度も頭をひねることになりました。
学校でいったい何を習っていたんだ、私は。

 

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楽園のカンヴァス  原田マハ

アンリ・ルソーの大コレクターであるバイラーは死期を悟り、所有する大作を世界的権威に鑑定依頼して優れた講評を述べた人物に取扱権を譲渡すると決意。選ばれたのはMoMAアシスタントキュレーターのティム・ブラウンと新進気鋭の研究者、早川織絵。

真贋の判定方法は、7章からなる書物を毎日1章ずつ読み進めるという奇妙なもの。MoMA所蔵「夢」に酷似した「夢を見た」は果たして本物なのか、いずれが勝者となるのか、そして譲渡の意図は。

ストーリー展開のスリリングさもさることながら、作者の絵画作品に対する姿勢が興味深かった。作中の主要人物は何百時間も一つの作品と対峙し、作家の意思、情熱を探り当てようとします。もちろん、原田さん自身も同様か、それ以上の熱意を持って対象作品に向かい合っているでしょう。1つの作品からこのような物語を紡ぎ出すほどなのですから。

新しい視点を与えてもらえるとはなんと楽しいことだろう。私自身も「日曜画家」レベルじゃないの? と見ていたルソーに対する別な視点を教えてもらいました。

そして、他の画家に対しても柔軟な心、素直な気持で作品に対峙したいと思いますね。これまで、原田さんや、作中人物と同じように、とことん絵画作品に向き合ったことはなかったなあ。

作中に現れるルソーの物語だけを独立させ、細部をもっとふくらませても興味深い作品になりそうです。

 

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ウォーターメソッドマン ジョン・アーヴィング

映画「ホテル・ニューハンプシャー」は、登場人物が勢ぞろいするラストシーンが最高でした。生者も死者も、好い人も悪い人も、熊も犬も、みんなが笑顔でホテルの庭に集う様子は、原作に通底する人生賛歌を肯定的に表現しています。

この場面、小説にもあれば良かったのにと思っていたところ、なんと、別の作品にその原型を見つけてしまいました。

最近は新刊本に気を惹かれることもなく、もっぱら過去のお気に入りを再読していまして、先日選んだのはアーヴィング2作目の長編「ウォーターメソッドマン」。
不器用すぎて2人の妻と子ども、友人や親などに迷惑ばかりかけているトランパー君が、ついに自らの責任を意識して大人になろうと決意するお話。

あまりの駄目さ加減に(自分を見ているようで)いらいらし通しでしたが、誰もが人生を謳歌すべき、生きているって素晴らしいんだから、と達観する最終章。明け方の海辺で起き上がろうとするトランパー君を祝福するかのように、家の窓が開き、家族や友人が朗らかに声をかける場面はまさに、ニューハンプシャーのラストシーンそのもの。

映画の脚本家がこの最終章からアイディアを拝借したのだとしたら、やはり目の付け所が良いと唸らざるを得ませんね。

 

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