Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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銀の匙   中勘助

小さい子供は程度の差こそあれ、この小説の主人公のようにナイーブで傷つきやすく、自分の思うままにならないじれったさにやきもきしたり涙をにじませたりするものです。作者の中さんは幼子の繊細な心の動きを慈しむべきものとして詩的に描いていますが、私としては幼い頃のやるせなさがリアルに思い出され、二度とあんな思いはしたくないと身震いしてしまうのでした。

 

「銀の匙」という物語を尊いものにしているのは同居する寡婦の伯母さんの存在だと感じます。生まれつき虚弱な主人公を無条件に愛し、どんなときでも救いの手を差し伸べてくれる菩薩のようです。あまりの献身ぶりによって、彼女の将来に不幸が忍び寄ってくるような不安感が漂い始め、それが現実となる終盤には頁をめくる手が止まってしまいました。愛情にあふれた善意の人が不幸の中に人生を終えてしまうやるせなさがあるからこそ、この物語がいっそう美しく感じられる気がします。

 

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北愁

父親同士が兄弟のあそぎと順治。性格が異なる2人は互いに薄い関心を保ちながらそれぞれの人生を歩み、しかし、心細さを覚えるような節目では相手に話を聞いてもらいたいと考える間柄です。的確なアドバイスを願っているわけではないけれど、はぐらかされると腹が立つ。

 

普段は特に関心があるわけではないけれど、ことあるごとに何となく思い出す関係なのですね。自分のことを顧みても、確かにいとこ達とは儚い結びつきです。そして歳を重ねるにつれて、血のつながりというものが良くも悪くもどこかで人を拘束しているのだと感じることが増えました。

 

ところで、主人公のあそぎちゃん。幼い頃から男勝りのさっぱりした気性で、自分に恋愛は無縁と考えていました。分別、世間知ばかりが身についてしまい、情熱に身を委ねるすべを知らない大人になってしまったのは可哀想だった。一度くらい誰かに恋い焦がれてもよかったのにと思います。

 

幸田文の著作は随筆、小説ともに数作品しか読んでいないけれど、不思議に惹きつけられるものがあります。あそぎちゃんではないけれど、さっぱりしすぎて、ちょっと人を突きはなすように感じられる文体が妙に心地よいのです。ほら、だらだらしてないで、しゃきっとしなさい、と諭されているようで。

 

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フォマルハウトの三つの燭台〈倭篇〉   神林長平

家電が人工人格を与えられ、その意識が人間の意識とコンフリクトする松本市。意識は人間以外のハードウエアにコピー可能かもしれず、そして、私たちが五感を通して認識する世界は「リアルな世界」とは違うのかもしれない。

 

「我思う故に我あり」は良しとして、その「我」とは誰/何なのか? 三つの燭台に火が灯されて世界が終わったにもかかわらず物語は続き、本当の終わりは語り手の幕引き次第。相変わらずの神林節に柔軟性を失いつつある脳が心地よく刺激されました。

 

ところで、小口に仕掛けを施した本は初めての体験でした。左手で小口を広げるとウサギのようなジャカロップの姿が、右手では燭台が現れるようデザインされています。ただ色を塗るだけの造本とは凝り方が違う。私たちが見ているものは見た通りではない。物語の内容に呼応するかのようなアイディアに参りました。

 

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世界を回せ   コラム・マッキャン

1974年8月7日、ニューヨーク。神は空と地上で2つの美を実現させました。ひとつは世界貿易センタービルのツインタワー間で45分に渡って演じられた綱渡り、もうひとつは交通事故に端を発した普通の人々の不思議な結びつきです。

 

綱渡りは現実の出来事。演じたフィリップ・プティ本人の著作や映画などで、そのパフォーマンスの途方もない美しさを確認することができます(私は今回映画「ザ・ウォーク」を見ました)。人間の持つ可能性は無限なのかもしれない。

 

当日、遙かな上空に綱渡りの様子を目撃した人々の人生を辿ったフィクションもまた、人間の可能性を読者に示すものでした。人は何かをきっかけに利他的な行動に踏み出すこともできるのです。

 

でも、マッキャンは神が意地悪だと考えているようです。と言うのも、そのきっかけが肉親の死やパートナーの裏切りなど、ことごとく何かを喪失することなのです。神に仕えると誓い、娼婦たちに手を差し伸べ続けたコリガンになぜ無慈悲な死を与えるのでしょう。更生を願う女たちをなぜ突き落とし続けるのでしょう。試練の必要性が私には分からない。

 

コリガンと共に事故死した娼婦の娘、ジャスリンによる物語の幕引きは諦観と淡い希望がない交ぜになった静けさに満ちています。「Trans Atlantic」と共通する余韻に次作も期待が高まるのでした。

 

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ブギウギ   坂東眞砂子

終戦間際の箱根芦之湯温泉。東京湾で米軍に最新Uボートを撃沈され、乗組員とともに捕虜として軟禁されていたドイツ人艦長の死体が池に浮かびます。死因は自殺と断定されたものの、第一発見者で旅館の女中だったリツ、通訳として海軍中尉に従った法城は戦後の東京で陰謀に巻き込まれてしまい、命を脅かされる事態に。

 

読み手をぐいぐい引きつける筋立てはさすがです。しかし、ミステリー仕立ての物語で坂東さんが伝えたかったのは、最終盤に法城に語らせた「愛に翻弄された女たちの物語」だったように感じます。

 

女が言う「愛」とは男であり、子供であり、動物であり、政治体制でもある。何であれ、対象に向かう気持ちに愛と名付けて従うことが女の行動原理。理念ではなく心と情熱で立ち向かう生き物が女なのだとは、男の作家が実感を以て書くことは難しいと思います。

 

坂東さんの小説は、どれをとってもぬるっとした感触がつきまとっていたように思います。女である(あるいは人間である)という生々しさに加工を施さず、そのまま「ほら」と言って差し出すのが彼女の流儀だった。本作中、対象がめまぐるしく変わりながらも最も愛に忠実だったリツに感じる生々しさはその最たるものでした。きっと坂東さん本人の投影だったんじゃないだろうか。

 

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浮雲   二葉亭四迷

父が亡くなり、叔母一家の厄介になりながらも苦学の末に役人となった文三君。さあ、これから母を上京させよう、仲良くなった従妹のお勢と結婚しようと意気込んでいたところでなんと免職に。

 

叔母のお政が無職となった甥を疎んじ出したところへ、文三の元同僚でお調子者、上司におもねることが得意な本田君が登場。母娘ですっかり夢中になってしまい、文三君の悶々とした日々が始まるのでした。

 

もちろんタイトルは知っていました。言文一致体小説の草分けですよね。でも、まさかこんなにおちゃらけた娯楽小説だったとは知らなかった。しかも、落ちがない。文三君が優柔不断な自分に決別する日は来るのかしら、こないのかしら、とすっとぼけて終わるんだもんなあ。恐れ入りました。

 

明治の庶民の生活がおもしろおかしく描写されていて、昔も今も人のやること、感じる不安は同じだなあと頷くことしきり。明治の文豪と言われる作家の小説もいくつか読みましたが、娯楽性ではこの小説がダントツです。教科書向きではないから紹介される機会が少ないのだろうけれど、本好きなら読まずにいるのはもったいない。

 

新潟の方言だとばかり思っていた言葉が昔の共通語(東京弁)だったことには驚きました。
「発明な」「じぶくりだす」「もだくだ」なんていかにも方言ぽいでしょう? 知らなかったなあ

 

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息子と恋人   D.H.ロレンス

職工の娘ガートルードは踊り自慢の炭鉱夫モレルと恋に落ち、つましい暮らしの中で3男1女を設けます。しかし、夫は大酒飲みで粗暴。やがて愛想を尽かした彼女は子どもたちの世話を焼くことが生きがいとなり、とりわけ次男の人生に多大な影響を与えることになってしまうのですが……

 

長大な物語を「子離れできない母と精神的に自立できない息子の哀しいお話」とまとめては身も蓋もない気がするけれど、要はそういうことです。母親の影響下から抜け出そうともがきながらも叶わず、言い寄る女性たちと成熟した関係を持てないポール君。彼の苦悩と再生の予感に共感できたら結構楽しい読書体験となるけれど、そうでなければ無駄に長いだけのだらだらした小説だった、で終わってしまうかも。

 

ポール君とその母にいらっとする人は、視点を変えて彼を慕うミリアムを中心に据えて読むと面白いかもしれません。モレル家の近隣の農場に暮らし、文学について語り合う中に親しくなった二人でしたが、やがて彼女が求めすぎる、母の場所がなくなるとしてポールは彼女を遠ざけてしまいます。

 

そこからミリアムの人生は苦難の連続。彼女の後釜に座った人妻の愛人が元の鞘に収まり、最大の難敵だった母ガートルードがこの世を去ってもなおポールは地に足をつけようとしません。ああ、でもミリアムはどこまでも忍耐強い。やはり結婚できないと別れを告げる後姿に「もうこりごりだということになれば、ひざまづいて私にすがってくるだろう」と、どこまでもポールの帰還を待ち続ける覚悟なのです。ポールの何がミリアムをそうさせるのか、改めて読み直してみるのも好いかもしれない。

 

面白いといえば、ポールの考え方はかなりユニーク。いわく、純粋にプラトニックであれば複数の女性と付き合っても問題ない、いわく、性欲は具体的な一人の女性とは無関係な独立した存在なので浮気はOK。今に生きていたら世間からバッシングの嵐だよ、ポール君。

 

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洪水の年   マーガレット・アトウッド

ジョージ・オーウェルが全体主義的超管理社会を描いた「1984年」は見たくない悪い夢でした。しかし、ITが発達しIoTが常識になりそうな現在、為政者がその気になればその悪夢は簡単に実現してしまうところまで来ています。私たちはあの小説から何も学ばなかった。

そして、今度はマーガレット・アトウッドが倫理観の欠如した生物工学が導く悪夢を描きました。

 

遺伝子操作技術が高度に発達し、新たな生物や怪しげな食物が溢れる近未来。行政組織のない社会は巨大企業「コーポレション」のエリートと平民の二つに分断され、コーポレーションと不正に結びついた民間警備会社「コープセコー」が警察機能を担っています。

 

そのような社会に対抗する菜食主義の狂信的環境団体「神の庭師」は、やがて水なし洪水で世界が滅びると説き、生き残って新たな世界を築く計画でした。しかし、予言通りに発生した水なし洪水の威力は凄まじく、神の庭師を含む人類はほぼ全滅。わずかに生き残った人々、遺伝子操作で生まれた新人類、そして影響を受けなかった他の生物たちの未来は?

 

三部作の二作目で「オリクスとクレイク」の前日譚。前作の翻訳出版から11年は長かったけれど、待った甲斐がありました。私たちが無反省に今の生活を続けていれば、必然的に人類は滅びる。小説好きだけではなく、現代に生きる全ての人々に読んでもらいたい物語です。

 

アトウッドは人類が遭遇しないであろうSFを書いたわけではなく、現実に起こりうる、あるいは既に起きつつある世界の近未来を書いたと語っています。そして、人類が生き延びるためには「理解の神経回路」を作る物語や文学を含む芸術が必要だと強調します。

 

世の中には様々な小説が溢れかえっていますが、誰にでも分かりやすい形で社会に警鐘を鳴らす物語は多くありません。破滅の危機に瀕した現実から目を背けるなと問い続けるアトウッドは、現代のレイチェル・カーソンと言えるし、神の庭師のイブそのものだと感じます。

 

あまり待つことなく次作が読めますように。

 

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賭博者   フョードル・ドストエフスキー

家庭教師アレクセイは雇い主の貴族一家と共にドイツのカジノタウン、ルーレテンベルクに滞在中。彼らが待っているのは莫大な資産を持つおばあさんの訃報。自称フランス人貴族に多額の借りを作った将軍はその遺産で精算したうえで、これまた自称フランス人貴族のブランシェと結婚したいと願っているのです。

 

ところが、待てど暮らせど吉報(?)は届かない。どころか、当のおばあさんが元気な姿でカジノに登場。ビギナーズラックで大金を手にしたおばあさんでしたが、大方の予想通りその後は負け続けてしまい、持参した大金を全て失ってしまうのでした。

 

さあ、将軍は金目当てにうろついていたフランス人たちに見捨てられ、ドイツ滞在中に賭博のことしか考えられなくなったアレクセイも転落の道をひた進むことに。果たして一家の再生はあるのか?

 

またもやドストエフスキー小説に登場する典型的なロシア人たちです。感情の起伏が激しく(ゼロか100か、この世の極楽か地獄か)破滅志向。自分のことを客観視することはできるのだけれど、軌道修正することはできません。そして洗練されたフランスに対して憧れと憎悪の念を併せ持つ。いやはや、厄介というか切ないというか。

 

謎なのは、なぜアレクセイ君が貴族一家に気に入られているのか。将軍の義理の娘、ポリーナは彼を見下しながらも屈折した愛情を感じているようだし、一度しか顔を合わせたことがないおばあさんも全幅の信頼を寄せて賭の指南役に命じるのです。私には読み取れない魅力があるのかしら?

 

英人ブルジョワジーのアストリーが一家に寄せる好意も理由が分からない。家庭教師に過ぎないアレクセイはじめ、フランス人貴族に袖にされたポリーナや落剥した将軍の面倒まで見ようとするのは何故なのだろう。親切なふりで、興味本位にロシア人という民族を観察しているようにも感じます。

 

終盤に登場するパリは、印象派が誕生した前後のパリです。政治的には体制がめまぐるしく変わる激動の世紀でした。新しい芸術を目指す画家たちは明るい色彩で世界を描くと共に、社会が抱える負の側面も暴いています。そんな喧噪の街を想像すると、少しはこの陰鬱な小説にも彩りが添えられます。印象派の画集など傍らに置いて読んでみるのも一興かと。

 

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The Sweetness at the Bottom of the Pie アラン・ブラッドリー

フレーヴィアは化学実験が大好きで毒物に興味津々の11歳。2人の姉とはそりが合わないし、やもめになった父親は切手蒐集だけが生きがいで、彼女のことに無関心ですが、なあに、自分の実験室に籠もっていれば大満足。

 

とある日のこと、お屋敷の勝手口を開けると、そこにはにコシギの骸。くちばしの先を見るとオレンジ色の切手が刺さっていて、それを見た父は顔面蒼白に。その後キュウリ畑に倒れていた見知らぬ男が息を引き取り、なんと、父が殺人容疑者として逮捕されてしまうのでした。

 

さあ、大変。お父さんを助けなきゃ。真相を探るため、大胆な行動力と大人顔負けの知識を持ったフレーヴィアの活躍の始まりはじまり。

 

主人公の一人称語りなので文体は易しいけれど、いかんせん未知の単語が多すぎた(11歳なんだから難しい言葉を使うなよ……)。辞書をめくる時間が多すぎて、この小説のスピード感を体感できなかったことが残念。

 

でも、調べてみたら、既に「少女探偵フレーヴィア・シリーズ 」として翻訳が出ていました。はつらつとした主人公は元より、意地悪な姉たち、実直な使用人、夫への愛にあふれた料理おばさんなど魅力的な登場人物が揃っています。今後もバックショー荘で繰り広げられる謎解きを楽しむには日本語かな。

 

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