Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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早春

蒲田から丸ビルの会社に通勤する若者たちはプライベートでも大の仲良し。その中で華やかな独身女性キンギョと妻のある杉山がハイキングを機に親しさを増し、現代的な恋愛観をもつキンギョが積極的にアタック。杉山は誘いに応じて一夜をともにしてしまいます。
 

成り行きだったにも拘わらず押しの強いキンギョにまとわり付かれて困惑する杉山君、仲間には意見されるし、妻には愛想を尽かされるしでふてくされ気味。
このままではまずいと分かっていながら現状から足を踏み出せない日々が続く折、遠い岡山山中への転勤話が持ち上がり、倦怠期を迎えていた夫婦生活をやり直すために異動を受け入れることにするのでした。

 

「お茶漬けの味」と逆パターンで、夫がありふれた日常生活のありがたさに気付き、心機一転、やり直しを誓うお話。
同じテーマを繰り返すのが小津監督のやり方ですからストーリー展開は容易に予想がついてしまいます。だからと言って興味が失せる訳ではなく、異なる俳優が見せる演技や漂わす雰囲気の違いを楽しめるのでした。個人的には浦辺粂子の達観した母親ぶりがベスト。

 

様々な最新機器で生活の場を埋め尽くされた現在から見た昭和30年頃の風物が純粋に興味深いです。空き地だらけの蒲田駅周辺。テレビのない夕食後の過ごし方。55才停年。元出生兵らの同期会。満員の通勤電車だけは今も昔も変わらないようです。

 

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リザとキツネと恋する死者たち

元日本大使未亡人のアパートに看護師として住み込むリザ。外出もままならない彼女の楽しみは日本の恋愛小説と亡くなった日本人歌手「トミー谷」の幽霊が歌う歌謡曲。

ところが、このトミー君、リザに恋して彼女と永久に暮らしたいと願い、彼女に近づく男達を次々と亡き者にしてしまうのです。

リザはこの現象を「九尾の狐」に取り憑かれた自分のせいだと勘違い。もう恋愛など不可能だと思い込んだ彼女に小説のようなハッピーエンドはあるのでしょうか。

いやあ、笑った、笑った。特にトミー谷のおかしな70年代風ポップスにぐっときてしまった。ロカビリーやGSを思わせる軽快なリズムにツイスト系ダンス。すぐにサントラ欲しいと思いました(iTunes Storeで扱っていた!)。

外国人による勘違い的日本観で作られたのかと思いきや、制作者たちはリアルな日本に精通しているように感じます。その上で敢えて不思議な日本文化を作り上げてしまった(Eiko Todaさんなる人が監修している?)。歌謡曲の歌詞はその一例でして、違和感がないけれど、所々で混じる微妙な単語が日本人である私の心をくすぐるのでした。

人は大勢死んじゃうけど、コメディですから深刻さはゼロ。ポップで明るく、日本人以外の人だって陽気に楽しめる(と思う)ナイスな映画でした。ああ、楽しかった!

新潟ではシネ・ウインドでたった1回きりの上映。なんてもったいないんだ。再上映してくれませんかねえ。そしたらみんなにお勧めするんだけど。

 

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日本以外全部沈没

筒井康隆に馴染みがあるかないかで、この映画の印象はずいぶん違うはずです。筒井ファンなら、原作を思わせるブラックユーモアにニヤニヤ。もし、筒井体験がなければ、ふざけんなーと叫びたくなるのでは。

一見するとあまりに差別的、あまりに偏見に満ちた内容で、大問題になること間違いなし。よく劇場公開できたものです。

筒井康隆自身が嫌みなおっさん役で登場していたり、日本沈没の映画、テレビドラマでそれぞれ主役を演じた2人が嬉々として(?)類型的な人物を演じていることをとっても、しゃれのきつい一種の文士劇で、内輪のお楽しみのために作ったのではないかと想像されます。

チープさ加減、呆然とするような設定に惑わされることなく、これは原作の意図を忠実に表現しているのだと考えると、現代社会に対する痛烈な風刺であり、自己愛に浸りきる人類に警鐘を鳴らす啓蒙映画として見ることも可能です。今の世界はまさにこの映画の描く状況に向かって一直線じゃないですか。

筒井さん、しばらくご無沙汰していましたが、また読みたくなっちゃいました。

 

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サイの季節

イラン革命前夜のテヘラン。詩人サヘルは妻に横恋慕した運転手が巡らせた策略により、政治犯として30年の投獄生活を強いられることになります。出獄後、ようやく妻ミナを尋ね当てたたものの、彼女は元運転手アクバルによる軟禁状態にあり、しかも2人の子どもが同居していたのです。

サヘルは再会を熱望していたにもかかわらず、妻の行方をイスタンブールの海沿いに尋ね当てた後は、岸壁に停めた車中から彼らの暮らす家を注視したり、外出時に後をつけるだけです。知り合う人たちとも殆ど言葉を交わさず、表情にも乏しい。いったいサヘルは何を思って妻たちを見守っているのでしょうか。

彼の心中をうかがい知るには、映画中に挿入される詩、そして心象を写したとおぼしき非現実的なシーンに頼るほかありません。しかし、監禁部屋に降りしきるカメ、車中に顔を差し入れるウマ、砂漠を疾走するサイの群れを見せられても私の頭は困惑するばかりなのでした。

では、その困惑が苛立ちにつながるかというとそんなことはなく、無心のうちに目が画面に吸い寄せられてしまうのです。やがて、そこに漂う静かな絶望感、あるいは諦観がゆっくりと胸にしみ込み始め、心が不思議な静けさに満たされるのでした。
ある種の宗教体験と呼べそうな、他に例のない映画でした。

50歳を目前にしたモニカ・ベルッチ、良い感じに年齢を重ねていますね。

 

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ゴーギャン タヒチ、楽園への旅

新たなインスピレーションを求めてタヒチへと旅だったゴーギャン。「原始のイブ」を見つけた喜びをキャンバスに表現し続ける一方、破局の予感に苦悩し、やがて衰弱していく…

実のところ、タヒチで描かれた一連の作品を見ても、巷で言われるような生の喜びが伝わらないなあ、と思っていました。鮮やかすぎる色彩とフラットな描き方に違和感を覚え、私の画家ではないな、なんて。

ところがです。この映画に登場するモデルであり配偶者(?)のテフラを見た瞬間、ゴーギャンの有名な作品群がどっと頭によみがえり、そこに込められたであろう画家の興奮や情熱をまざまざと感じることになってしまったのです。

生命力に溢れる健康美、島の部外者にはうかがい知れない心の奥。「おれの求めるものがここにあった!」とゴーギャンは有頂天になります。よくぞこの女優をテフラ役に採用したものです。私だって彼女と一緒に南国の生活を謳歌してみたいと思いました。

実に楽しげな、そして辛そうなタヒチでの生活。これ、実話なのかな? ストーリーがまとまりすぎていて、もしかすると代表作の数々を元に紡ぎ出された完全な創作かもしれない、と感じました。
もちろん、それで全く問題なし。もしそうであれば、その作業は楽しいだろうなあ。

「月と六ペンス」も再読したくなります。

 

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ハッピーエンド

端から見れば、裕福でうらやましくなるような生活を送る建設会社社長一家。しかし、普通の家庭と同じようにさまざまな問題を抱えています。

現場の死亡事故、跡取り候補である長男の無能さ、2番目の妻と共に実家に同居する社長弟の不倫、高齢になった前社長の認知症(の振り)。そして幼い姪が抱える心の傷。

みんな大変だけど、よくあることだな、そう思った私の心を見透かしたかのように、老父が姪に言います。
「庭で大きな鳥が小さな鳥を捕まえて食い殺した。テレビで見ていたらこれも自然の摂理だと理性的に納得できたはず。しかし、現実にこの目で見ると震えるほど恐ろしかった」

観客である私はスクリーンで起きる出来事を理性的に納得しながら見つめています。この映画でも「よくあることだ」と、この家族の問題を一般化しています。しかし、当事者がその悩みを一般化することは難しく、たとえ可能だとしても、「心が震えるほど恐ろしい事実」が消えるわけではありません。

現代人の多くは携帯電話を有し、そのカメラレンズを通して世界を認識する機会が増えています。しかし、レンズを通すことでスクリーンに映る出来事を極度に客観視してしまい、心震わせる人の気持ちをくみ取ることができなくなっている。

媒体を介さずに現実に向き合えば、さまざまな問題を「ハッピーエンド」に終わらせる可能性がある、監督はそう訴えているのかもしれません。

もし、そうであれば、この作品は映画を否定する映画と見ることもできます。

 

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ある愛へと続く旅

オリンピックを目前にしたサラエボで出会ったジェンマとディエゴ。結婚後、子どもが授からない夫婦は思い出の地で代理母出産に踏み切りますが、民族紛争が勃発したサラエボで2人は離ればなれとなり、やがてディエゴ死亡の報が届きます。
16年後、往時の友人、ゴイコに招かれたジェンマは息子ピエトロを伴ってサラエボを訪れ、そこでピエトロ誕生にまつわる驚きの事実を知ることになるのでした。

役者がしっかり演技しているのに、各シーンに深みが感じられず、映画に求心力が働いていない、深刻なテーマをうまく捌けていない、などとくさしていたのに、母子がゴイコの自宅を訪ねる最終場面で印象が一変しました。

それまでは情熱的なジェンマに比べて彼女を取りまく人物がうすっぺらに感じられたのです。しかし、核心となる事実を知ると、実際には彼女以外が善意に満ちた利他的な人物ばかりで、むしろ、ジェンマの利己的な性格が浮き彫りになってしまうのでした。

でも、この映画はそこで終わりません。真実を知った彼女が、他の人物たちに劣らぬほど利他的な人になるであろう可能性を示しているのです。ジェンマが覚醒すれば善意の環が完成する。

そしてもうひとつおまけが。なんとも意地悪いことに、最後の最後に新たな悲劇の種が捲かれていて、なかなか一筋縄ではいかない映画なのでした。

 

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ベロニカとの記憶

何事にも煩わされることなく老後を過ごしたいと思っているトニー。ある日、大学時代に付き合っていたベロニカの母から遺言状が届き、そこにはトニーの親友だったエイドリアンの日記と現金500ポンドを遺すと記されていました。ところが、その日記は娘が焼却処分。かつての恋人にその理由を追及するうち、トニーは封印していた過去の記憶と向き合うことになってしまう。

人は自分の都合に合わせて記憶をねつ造する。どこかで聞いた話だなと思っていたら、原作はジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」でした。精緻な工芸品のような構成に舌を巻き、私自身の苦い記憶を呼び覚まされたことが強く印象に残っています。

映画では若干設定が変えられ、過去のおぞましい記憶を掘り返したトニーが他人の気持ちを斟酌できるようになるという結末を迎えています。その重要な役割を果たしているのはシングルマザーになることを決意している娘のスージー。

父の告白を聞きながら出産の時を迎えてしまう彼女は、不安を鎮めるために「握って」と言ってトニーに手を差し出します。しかし、差し出された手は心が千々に乱れて混乱する父をつなぎ止めるものだった。私の目にはそう映りました。娘の手を握らなかったら、おそらくトニーは現実世界に留まれなかったはず。彼女はこの映画の影のMVPでした。

エイドリアンが自ら命を絶つ理由、その原因となったはずの母娘の葛藤を深掘りするという展開もありだったと思いますが、そちらは小説でどうぞ。

 

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ピクニック

パリの裕福な商人一家が涼を求めて郊外の川岸でピクニックを楽しんでいたところ、地元の女たらしが母娘に目を付け、まんまと誘惑に成功。互いにつかの間のアバンチュールを楽しむという、1時間弱の小品。

降り注ぐ陽光、吹き渡る風、きらめく川面、そして人生を楽しむ人々。ありふれた景色がとても魅力あるものに感じられるこの感覚は、ある種の仮想現実体験と呼びたくなります。以前から、優れた画家の目に世界はどのように映っているのだろうと想像してきましたが、この映画を通して、彼らの心に映る世界を自分の目で確認しているような心持ちになりました。

観客が体験するのは、もちろん印象派の絵描きたちの感覚です。監督ジャン・ルノワールはピエール=オーギュスト・ルノワールの息子。父を尊敬し、大きな影響を受けたのは間違いないでしょう。随所に印象派の作品を思わせる構図が見受けられ、モノクロ映画にもかかわらず(いやモノクロだからこそかな)、あふれる陽光が眩しく感じられました。


そうか、彼らの眼にはこんな世界が広がっていたんだなあ。

終盤に用意される天候の急変場面がもっとも印象に残りました。日射しいっぱいの青空が一天にわかにかき曇り、沸き立つ黒雲が風に流される。やがて豪雨が川に降り注ぐシーンは、まさに動く印象派絵画といった趣でした。

この映画のおかげで、新たな視点で絵画鑑賞を楽しめそう。

 

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モンパルナスの灯

制作に苦悩するモディリアーニの放埒な生活と転落をジェラール・フィリップが演じた伝記的映画です。
 

ジェラール・フィリップっていい男ですなあ。私が女だったら一目惚れ間違いなしだな。しかし、二枚目俳優の常として、演技力に問題があるように感じてしまいますね。こちらの不当なひがみ根性のなせる技かもしれないけれど、モディリアーニが苦しむ理由がさっぱりわからなかった。愛嬌だけの駄目男にしか映らない。そう、なんとなく「美の壺」の草刈正雄的雰囲気。


対照的に、その駄目男に惹かれてしまい、不当な扱いを受けようとも明るく援助するベアトリスが良かった。私がこの男を支えているという矜持ゆえに、不実な愛人の心変わりさえ受け入れてみせる健気さ。恋人のジャンヌより人間が一回りも二回りも大きい。英国に帰った彼女に幸あれと祈らずにはいられませんでした。
 

新潟のシネウインドでは4月以降に再びジェラール・フィリップ主演の「危険な関係」を上映するそうです。これも楽しみ。文句を付けてもジェラール様には吸い寄せられてしまうんだなあ。

 

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