Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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愛しき人生の作り方   ジャン=ポール・ルーブ

作家志望のロマン君は家族思いの好青年。連れ合いをなくして一人になった祖母宅をまめに訪れるし、定年を迎えてイライラする父と、そんな夫にうんざりする母の仲を何気なく仲裁したりします。恋人がいたらいいなと思いながら、現在は軽いノリの友人と同居中。

 

さて、祖母マドレーヌが怪我をして施設に一時入居した時のこと。父とその兄弟達が彼女のアパートを勝手に処分してしまい、怒ったマドレーヌは施設から逃亡。そして、行方を捜すことになったロマン君は旅の途中で恋を見つけ、祖母の願いを叶え、不協和音が生じた両親に和解のきっかけを与え、めでたし、めでたし。

 

個人的には父親役ミシェル・ブランの存在感が一番の見所でした。退職で心のよりどころを失ったことを隠すかのようにイライラして、妻や弟たちには命令口調。でも重要な場面で決定を下せなくなった、ちょっと面倒くさいおっさんなのです。ただ、妙に素直なところがあって、子供の助言にも従ったりする可愛らしさがマイナス面をカバーしてしまう。「仕立て屋の恋」で見せた計算され尽くされた非の打ち所のない演技には脱帽したものですが、こんなチャーミングな役を軽くこなすところもナイスです。

 

ところで、ハートウォーミング系(?)映画の邦題って、ことごとく安直なハウツー本の題名のようで、タイトルを聞いてもどれがどれだか区別がつかなくなってきました。そろそろ別な工夫を凝らして欲しいものです。

 

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未来を乗り換えた男   クリスティアン・ペッツォルト

ドイツ軍によるフランス侵攻を現代に再現するというアイディアにやられた。物語の設定が今になることで欧州が抱える現在の難民問題をも取り上げることが可能になり、先の見通せない不安感が重層的に迫ってくるのでした。

 

エンドロールで流れるトーキング・ヘッズの唐突な明るさには面食らってしまいましたが、記憶を探ってみれば曲のタイトルは「Road to Nowhere」。迫害を逃れようとマルセイユに集まった人々の状況を端的に表しています。行くこともならず退くこともならない状況は程度の差こそあれ、観客の私たちにもあてはまるもの。他人事じゃないことに気づくと怖ろしさに身がすくみそうになります。こりゃもう、夢に見てしまうな。

 

クリスティアン・ペッツォルト監督の作品を観るのは「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」に次いで3作目。閉塞状況に置かれた人たちの不安がにじみ出る緊張感漂う画面、そこに独特な情緒をミックスした作風にすっかり惹きつけられています。次作も期待です。

 

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家へ帰ろう   パブロ・ソラルス

人生の終盤を迎えた男が遠い昔に友と交わした約束を果たすため遙かな旅路を辿る。本当にただそれだけのお話なのに、胸に迫るものがありました。人はひょんなことからとんでもない事を成し遂げてしまえるものなんだ。

 

そもそもアブラハムは約束の事なんて忘れていました。頭にあるのは、どうすれば子供たちの言いなりにならずに済むかということ。いくら役立たずであろうと相棒「ツーレス(脚)」を切断したくないし、施設入りなんてとんでもない。ところが、自宅で過ごす最後の日に友のために仕立てたスーツが発見され、そうだ、あいつに届けなくちゃ、と勇み立つことになるのですからねえ。

 

その約束は70年前に交わしたもので、目的地はアルゼンチンから遙かに遠いポーランド。しかも、ホロコーストを生き延びたユダヤ人のアブラハムとしてはドイツだけは通りたくない。おお、前途多難です。

 

でも思い出した約束を果たさなければ、人の道に背くとアブラハムは感じたのでしょう。旅先で無茶な突進をくり返しても、出会った人々は彼の熱意に気持を揺り動かされ、つい救いの手をさしのべてしまうことになるのでした。

 

生涯最後の大仕事が行きずりの善意に支えられたからこそ、ラストシーンに胸を打たれたのでした。

 

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ハモンハモン   ビガス・ルナ

物語が結末に向かって収束しはじめ、そしてラストシーン。ええっ、これコメディ映画だったのか…… 欧州の人たちのユーモアって日本人の私には理解できないことがままあるわけでして、文化が違うんだなあ、と改めて感じる次第。

 

この映画は2組の親子と1人の青年が繰り広げる恋愛劇。乾燥して荒涼とした土地柄が生み出す気質なのか、登場人物たちの神経はどこかささくれだっていて、刹那的な快楽に身を委ねがち。もちろんその傾向は恋愛においても変わらず、年の差や人間関係など超越した無節操な6角関係が展開されてしまうのでした。

 

マストロヤンニ主演の「華麗なる殺人」も最後までコメディだって気づかなかったけれど、あれは振り返ってみれば突っ込みどころが盛りだくさんのご機嫌な映画だった。一方、この映画では登場人物が揃いも揃って自分勝手でげんなり。スペインの人たちはどのように反応したんだろう? もしかすると、恋愛=情熱=自己中心的で正解なのかもしれない。ラストシーンはあまりにばかばかしくて笑えたけれど、娯楽作品と言うには見ていて辛い場面が(私には)多過ぎました。

 

見所は、初々しいペネロペ・クルスの演技でしょうか。のちの映画で見せる地に足のついたスペイン女の風格がすでに見え隠れしていました。彼女の良さは強靭な意志ともろい感情の同居にあると思います。その素材の良さをが存分に発揮されるのはハリウッドではなくスペインなのだと、このデビュー作で再認識しました。

 

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アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語   カレン・シャフナザーロフ

原作からアンナとヴロンスキーの物語だけを抽出、そこに日露戦争に従事したヴロンスキーが当時を振り返るというオリジナル設定を加わえた長編でした。

 

アンナファンの私としては、ヴロンスキーが都合良く事実をねじ曲げていたら許さん! という意気込みでスクリーンに向かいましたが、特にひねりはなく原作通り。淑女の見本として社交界の花形だったアンナが女たらしに惚れてしまい、あれよあれよという間に身を持ち崩してしまうお話。

 

ひねりはないと言うものの、スクリーンに繰り広げられる絢爛絵巻には息を吞みました。貴族の邸宅や舞踏場のスケールが私のちっぽけな想像力をはるかに超えていたのです。何十畳もあるような部屋が連なり、どの壁にももれなく巨大な絵画。高い天井からはシャンデリア群がまばゆい光を放ち、ちょっとした宮殿といった趣です。やれやれ、当時の貴族はどれだけ領地からの上がりがあったのでしょう(領民はどれだけ絞られていたのか)?

俳優が纏う衣装、装身具もきらびやかでした。いや、もうストーリー関係なしにファッションショーとしても楽しめる。

 

とりわけ目を惹いたのはアンナですが、その理由はマネの絵を思い出させるから。特にモリゾを描いた一連の作品と実に雰囲気が似ているんだなあ。もしかしたらマネに触発されていくつかのシーンを撮ったのかな、と感じます。

競馬のシーンはドガの描いた競馬場作品そのものだった。ああ、緑が目にしみる、なんとも優雅だなあ。

 

原作未読の方には映画を先に見ることをお薦めします!

 

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出発   イエジー・スコリモフスキ

美容師のハンサム青年マルク君は大のクルマ好き。目下の目標はポルシェ「911S」でラリーに出場することですが、若い身空で高級車を所有できるはずもなく、クルマを手に入れるために悪戦苦闘。そんな折り、元モデルのお嬢様ミシェルと知り合い、彼女と2人でレース出場を目指すのですが……

 

マルクはもう無茶苦茶ですな。練習のためにオーナーの911を無断借用するのは序の口。ディーラーを欺して試乗車を盗もうとするわ、お金持ちのマダムに近づいて体と引き替えに借りようとするわ、モーターショーの会場からパーツを盗んでレンタル資金を作ろうとするわ、善悪の判断がつきません。ラリー出場のためならなんでもあり。

 

もちろん、ミシェルが垣間見せる好意にも無頓着。気にはなるけど恋を発展させようというつもりもなさそうです。いや、もしかすると女性経験が少なくて、少々積極的な彼女の行動に尻込みしているのかもしれませんね。

 

なんだか、若いって楽しそうだなあ、とひさびさに感じた映画でした。夢中になって他に何も見えないって、羨ましいような辛いような。ラリーの結果? あれれ……な結末は見てのお楽しみ。マルク君、もしかしたら少し成長したかもね。

 

それにしても小さい911って楽しそう! 狭い道だって苦にならない。今のポルシェじゃなくて、この映画に登場するようなナローポルシェ運転してみたいです。

 

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かくも長き不在   アンリ・コルビ

パリ近郊でカフェを営むテレーズ。バカンスを控えて暇になった店の前を見知らぬ男が通りかかるようになります。「セビリアの理髪師」のアリアを口ずさみ、警官を怖がる様子を見た彼女は、その男が16年前に強制連行されたまま所在不明の夫ではないかと期待をかけるのですが、彼は記憶を失っており、自分が何者なのか定かではありません。

 

テレーズは男を何度も自宅に招き、記憶を取り戻すよう手を尽くしますが見込みはなし。食事を終えた男が雨の夜道に消えようとしたとき、テレーズはその背中に向かって夫の名前を連呼するのでしたが……

 

テレーズがジュークボックスの音楽をかけながら二人で穏やかにダンスするシーン。回した手が男の後頭部にある大きな傷跡に触れた時、彼女はおそらく彼の記憶が戻らないことを悟ったのだと思います。

 

私がカフェの常連の一人であったなら、彼を正体不明の男のままに受け入れ、新たに連れ合い同士として出発したらどうかと提案したいです。その男が夫なのか他人なのかに関係なく、テレーズは既に彼を大切な人として扱っているのですし、これ以上せっついて逃げられてしまっては元も子もありません。
あいつの正体なんてどうでもいいじゃないか、気になるんだろう。しっかりつかまえなよ。

 

そして気の毒なのは、常連のトラック運転手。彼はテレーズに気があるにもかかわらず、正体不明の男に心を奪われた彼女に最後まで親切です。いい人は報われないのだなあ、やっぱり。

 

自転車レースファンとしては、おやじ達がカフェに集まり、ツール・ド・フランスのスタートからラジオにかじりついて盛り上がっている様子や石畳の通りが興味深かった。パリ祭後にツールマレーを通過するステージという設定でした。男がドイツ軍のパリ占領中に連行されたという前提で調べてみると、57年7月16日の第18ステージが該当するようです。まあ、映画ですからそこまで事実に基づいているかどうかは分かりませんが、調べてみるのも楽しかった。

 

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麦秋   小津安二郎

終戦から5年ほど。北鎌倉で穏やかに暮らす3世代7人家族の気がかりは28歳の娘、紀子の将来。当然のように縁談が持ち上がるものの、彼女は自らの意思で未来を選択し、家族は北鎌倉、奈良、秋田の3か所に分かれてしまうのでした。
 

結婚適齢期を迎えた娘の縁談となると、どうしても前作「晩春」と比較してしまうことになります。
淡々とした展開の中にも隠しきれないユーモアと見終えた後のそこはかとない寂しさは共通していますが、原節子演じる紀子はまるで違う人物として描かれていました。私はこちらが好み。

 

父の世話をする生活に充足感を覚え、結婚など考えも及ばない晩春の紀子は浮世離れしすぎていて違和感がありました。対する麦秋の紀子は結婚に対する前向きな意志もある明るく溌剌とした娘。お酒も大好きだし、900円もする高価なケーキだって躊躇なく買ってしまいます。おどけて秋田弁だって喋ってみせる。そう、こんな人いるよな、というリアルさが良かった。
 

押しつけられた結婚の結果、父を一人にしてしまった晩春の紀子は、もしかしたら後悔したかもしれません。でも、話の成り行きだったとはいえ、自ら結婚相手を選んだ麦秋の紀子は、家族が離ればなれになることにもやましさは感じていないでしょう。
 

ところで、日本映画をほとんど観たことがなかったという片岡義男が「彼女が演じた役」という著作で原節子が出演した小津映画について評論しています。そのユニークな意見に納得できるか否か確認するため、もう一度「東京物語」を観なくては。

 

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92歳のパリジェンヌ   パスカル・プザドゥー

おばあちゃん、誕生日おめでとう! 100歳まであと少し! 親族が開いてくれたおめでたい席でマドレーヌは浮かない顔。92歳を迎えた彼女の願いは、2カ月後にこの世とおさらばすることだったのです。困惑した子どもたちや孫はマドレーヌの望みにどう向き合うのでしょうか。

 

母親の決定に対する子供らの共感の強弱は、それまでの接し方に比例しているようでした。後ろめたい気持が強いほど本人の意思に強い態度で反対してしまうのです。そりゃそうですよね、あいつは親不孝者だったと思われたまま死なれては後味が悪い。

 

一般論としてこの問題を提示されたら、本人の気持ちを尊重すべき、誰にも尊厳を持って死ぬ権利があるはず、と私は応えるはずです。でも、実際に自分の肉親やごく親しい人が来月末を以て命を絶ちますと宣言したら、そんなこと受け入れられない、と拒絶してしまうかもしれない。

 

どのようにして人生から退場したいのか。最後の大問題を考えるのに早すぎるということはない、とマドレーヌは伝えてくれました。

 

死ぬ準備とは、その時までをいかに生きるかという問いです。まずは、思う通りに生きること。そして元気なうちから普通の問題として周囲の人たちと理解を深め合うこと。そうすれば幸せな退場ができるかなあ。

 

いや、それにしても、人は時間を区切られないからこそ平気な顔で生きていられるんだなあ、と再認識した次第。

 

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ピュア 純潔   リサ・ラングセット

母はアルコール依存症、自らはSNSを通じて買春をくり返した過去を持つカタリナ。クラシック音楽が好きな彼女はコンサートホールの受付として社会復帰を目指しますが、気晴らしを求めていた指揮者アダムにもてあそばれ、挙げ句に失職。キルケゴールの著作に記された「勇気が人生を開く」という言葉を信じたカタリナが自らの居場所をつかみ取ることが出来るのでしょうか。

 

社会的弱者の少女が偽善的なパワハラ・セクハラ親父に復讐するという単純な構図を超え、福祉国家の代名詞とも言えるスウェーデンが抱える社会の陰をあばいているように感じます。

 

全編を通じて漂うのは同じスウェーデン映画「リリア 4-ever」と同質の絶望感。もはや逃げ道も未来もないという泣き出したくなるような閉塞状況です。弱者に対する制度が整っているという社会の自負が、その安全ネットをすり抜けてしまった人たちの存在を見えにくくしているような気がします。

 

カタリナは閉塞状況を破って人生を開くために「勇気」を振り絞ります。でもそれはキルケゴールの言葉を自分に都合良く解釈して得た破れかぶれの蛮勇に過ぎず、倫理的に許されるものではないところが悲しい。

 

ラストシーンのアップは印象的です。臭い物にふたが出来るほどタフな精神はまだ獲得できず、この先、カタリナが過去の行動に苛なまれ続けることは明らかです。おそらく、何度も転落することになるでしょう。観客の私には祈ることしかできません。

 

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