Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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92歳のパリジェンヌ   パスカル・プザドゥー

おばあちゃん、誕生日おめでとう! 100歳まであと少し! 親族が開いてくれたおめでたい席でマドレーヌは浮かない顔。92歳を迎えた彼女の願いは、2カ月後にこの世とおさらばすることだったのです。困惑した子どもたちや孫はマドレーヌの望みにどう向き合うのでしょうか。

 

母親の決定に対する子供らの共感の強弱は、それまでの接し方に比例しているようでした。後ろめたい気持が強いほど本人の意思に強い態度で反対してしまうのです。そりゃそうですよね、あいつは親不孝者だったと思われたまま死なれては後味が悪い。

 

一般論としてこの問題を提示されたら、本人の気持ちを尊重すべき、誰にも尊厳を持って死ぬ権利があるはず、と私は応えるはずです。でも、実際に自分の肉親やごく親しい人が来月末を以て命を絶ちますと宣言したら、そんなこと受け入れられない、と拒絶してしまうかもしれない。

 

どのようにして人生から退場したいのか。最後の大問題を考えるのに早すぎるということはない、とマドレーヌは伝えてくれました。

 

死ぬ準備とは、その時までをいかに生きるかという問いです。まずは、思う通りに生きること。そして元気なうちから普通の問題として周囲の人たちと理解を深め合うこと。そうすれば幸せな退場ができるかなあ。

 

いや、それにしても、人は時間を区切られないからこそ平気な顔で生きていられるんだなあ、と再認識した次第。

 

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ピュア 純潔   リサ・ラングセット

母はアルコール依存症、自らはSNSを通じて買春をくり返した過去を持つカタリナ。クラシック音楽が好きな彼女はコンサートホールの受付として社会復帰を目指しますが、気晴らしを求めていた指揮者アダムにもてあそばれ、挙げ句に失職。キルケゴールの著作に記された「勇気が人生を開く」という言葉を信じたカタリナが自らの居場所をつかみ取ることが出来るのでしょうか。

 

社会的弱者の少女が偽善的なパワハラ・セクハラ親父に復讐するという単純な構図を超え、福祉国家の代名詞とも言えるスウェーデンが抱える社会の陰をあばいているように感じます。

 

全編を通じて漂うのは同じスウェーデン映画「リリア 4-ever」と同質の絶望感。もはや逃げ道も未来もないという泣き出したくなるような閉塞状況です。弱者に対する制度が整っているという社会の自負が、その安全ネットをすり抜けてしまった人たちの存在を見えにくくしているような気がします。

 

カタリナは閉塞状況を破って人生を開くために「勇気」を振り絞ります。でもそれはキルケゴールの言葉を自分に都合良く解釈して得た破れかぶれの蛮勇に過ぎず、倫理的に許されるものではないところが悲しい。

 

ラストシーンのアップは印象的です。臭い物にふたが出来るほどタフな精神はまだ獲得できず、この先、カタリナが過去の行動に苛なまれ続けることは明らかです。おそらく、何度も転落することになるでしょう。観客の私には祈ることしかできません。

 

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おゝ猛妻   菱田義雄

玩具会社社員の勇太は借金の形として質屋で奉公することとなり、女性上位一家の中で結婚・浮気問題、詐欺事件に巻き込まれてしまいます。若干やきもきさせながら、最後は全てが丸く収まる明るいコメディ。

 

制作は1965年制作。かつて「戦後強くなったのは靴下と女性」と言われたようですが、この映画でも世の中を実質的に仕切っているのはたくましい女性たち。男共はからきしだらしなくて、その傾向は今も変わらずに受け継がれているような。でも、明るく尻に敷かれていた方が家庭内は円満です。

 

この映画に登場するような若いけれど大人の色気がある女将を目当てに居酒屋通いするの楽しそうです。10回に1回くらいはよろめいてくれるあたりが、通い甲斐のあるところ。

 

1965年にはまだ、質屋が普通に存在していたんですね。テレビ受像器もありましたが、それを見ている場面はなかった。当時の風俗が楽しい一本でした

 

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マルクス・エンゲルス   ラウル・ペック

産業革命によって資本家と労働者の格差が絶望的に広がった19世紀ヨーロッパ。舌鋒鋭く社会批判を行うマルクスは国を追放され、資本家の息子として生まれたエンゲルスは労働者の苦境を見かねて社会主義に傾倒。そんな二人が出会い、志を同じくした妻たちとともに「共産党宣言」を完成させる物語。

 

個人的には、共産党宣言が執筆されるに至った時代背景が理解できたことは良かったけれど、映画作品としての出来に突出したところは感じませんでした。でも、資本主義経済が行き詰まり閉塞感に覆われる今だからこそ、この映画に描かれた若き二人の情熱に接する価値はあると思います。世界は変わらなければならない(変わって欲しい)。

 

倫社の授業で社会思想史を学んだ折、マルクスとエンゲルスに激しく心を揺さぶられたことを思い出しました。もう、すっかり忘れていたけれど、進学先を決める大きなきっかけがこの二人でした。

 

ずぼらな学生だった私は入学したとたんに高校時代の感動を忘れ去って、結局共産党宣言すら読み通しませんでした(先生、卒論まだ提出していません。ごめんなさい)。結局、私のように無批判な人間が支配者層に馴化され、資本家の搾取を許し続けているのでしょう。反省せねば。

 

 

エンゲルスは工場経営者の息子でありながら労働者の苦境に目を向けました。彼は特異な存在だったのでしょうか? 己の利益のみを良しとしない態度は当時の社会主義思想の影響なのでしょうが、あっぱれな心意気ですよね。時に及び腰になるマルクスの尻を叩いてくれたことにも感謝です。

 

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近松物語   溝口健二

これまで観てきた映画の中でも個人的ベスト10クラスの美しい作品でした。同じ溝口監督では「山椒大夫」や「雨月物語」も印象的でしたが、この映画の仕上がりは頭ひとつ抜きんでているように感じます。

 

時は江戸時代、京都で関白の御用を承る大店が舞台。内儀の兄が金の無心に来たことをきっかけに運命の歯車が回り出し、職人上がりの有能な手代と内儀が不義密通の濡れ衣を着せられてしまいます。ところが、逃亡中に二人は心を通わせて本物の咎人となってしまい、一方、店と己の体面を守ろうとする主人の画策は使用人やライバル店の邪魔にあって功を奏さず。関係者は皆、失意の最後を迎えてしまうのでした。

 

時代劇という表現の到達点のひとつに数えられる作品だと思います。完成の域に達した様式美に感嘆の声をあげ、浸りきる心地良さ。演技も物語も時代劇に要求される枠をはみ出るものではありません。しかし、同じ形式を積み重ねた挙げ句に到達した洗練の極みですね、これは。

 

優れた美術品や音楽に似て、何度でも体験したくなります。実際、1週間に2度見てしまいましたが、まったく飽きるということがなく、美しさにため息がこぼれるばかりです。この先も任意の一部分だけを選んで楽しむ機会がありそうです。

 

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暗殺の森   ベルナルド・ベルトルッチ

第二次世界大戦前夜のイタリア。哲学を教えるマルチェロは友人を介してファシズム組織に身を投じ、フランスへ政治亡命した恩師クアドリを監視するために新婚旅行を装ってパリへ向かいます。

ところが、クアドリ宅を訪ねたマルチェロは恩師の妻に一目で惹きつけられ、暗殺指令を受け取った後も自ら決断を下すことが出来ません。業を煮やした組織はマルチェロに見切りをつけ、山中で行動を起こすのですが……

マルチェロがファシズムに身を投じる経緯が分かりにくい、というか、共感できず、この映画の最も肝心な部分で躓いてしまった。空っぽで長いものに巻かれる男だということは分かるけれど、その背景を理解できないために面白さが減じてしまいました。

ただ、何度も見てみたいと思わせる印象的なシーンが多かった。わけてもこの映画を支配していたドミニク・サンダ。きつい視線はデビュー作と変わらず、普通の男にはうかつに近寄れない雰囲気を漂せています。

バレエ教室でマルチェロに見せた挑発的態度は腰が引けそうになるし、その妻と踊るダンスシーンでは妖艶な同性愛的雰囲気にくらくら。一方で、暗殺者に追われて死を覚悟した顔には、こちらの心をえぐるようなリアルさが現れていました。

確かに惹きつけられる俳優です。身の回りにはいて欲しくないけど。

 

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早春   小津安二郎

蒲田から丸ビルの会社に通勤する若者たちはプライベートでも大の仲良し。その中で華やかな独身女性キンギョと妻のある杉山がハイキングを機に親しさを増し、現代的な恋愛観をもつキンギョが積極的にアタック。杉山は誘いに応じて一夜をともにしてしまいます。
 

成り行きだったにも拘わらず押しの強いキンギョにまとわり付かれて困惑する杉山君、仲間には意見されるし、妻には愛想を尽かされるしでふてくされ気味。
このままではまずいと分かっていながら現状から足を踏み出せない日々が続く折、遠い岡山山中への転勤話が持ち上がり、倦怠期を迎えていた夫婦生活をやり直すために異動を受け入れることにするのでした。

 

「お茶漬けの味」と逆パターンで、夫がありふれた日常生活のありがたさに気付き、心機一転、やり直しを誓うお話。
同じテーマを繰り返すのが小津監督のやり方ですからストーリー展開は容易に予想がついてしまいます。だからと言って興味が失せる訳ではなく、異なる俳優が見せる演技や漂わす雰囲気の違いを楽しめるのでした。個人的には浦辺粂子の達観した母親ぶりがベスト。

 

様々な最新機器で生活の場を埋め尽くされた現在から見た昭和30年頃の風物が純粋に興味深いです。空き地だらけの蒲田駅周辺。テレビのない夕食後の過ごし方。55才停年。元出生兵らの同期会。満員の通勤電車だけは今も昔も変わらないようです。

 

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リザとキツネと恋する死者たち

元日本大使未亡人のアパートに看護師として住み込むリザ。外出もままならない彼女の楽しみは日本の恋愛小説と亡くなった日本人歌手「トミー谷」の幽霊が歌う歌謡曲。

ところが、このトミー君、リザに恋して彼女と永久に暮らしたいと願い、彼女に近づく男達を次々と亡き者にしてしまうのです。

リザはこの現象を「九尾の狐」に取り憑かれた自分のせいだと勘違い。もう恋愛など不可能だと思い込んだ彼女に小説のようなハッピーエンドはあるのでしょうか。

いやあ、笑った、笑った。特にトミー谷のおかしな70年代風ポップスにぐっときてしまった。ロカビリーやGSを思わせる軽快なリズムにツイスト系ダンス。すぐにサントラ欲しいと思いました(iTunes Storeで扱っていた!)。

外国人による勘違い的日本観で作られたのかと思いきや、制作者たちはリアルな日本に精通しているように感じます。その上で敢えて不思議な日本文化を作り上げてしまった(Eiko Todaさんなる人が監修している?)。歌謡曲の歌詞はその一例でして、違和感がないけれど、所々で混じる微妙な単語が日本人である私の心をくすぐるのでした。

人は大勢死んじゃうけど、コメディですから深刻さはゼロ。ポップで明るく、日本人以外の人だって陽気に楽しめる(と思う)ナイスな映画でした。ああ、楽しかった!

新潟ではシネ・ウインドでたった1回きりの上映。なんてもったいないんだ。再上映してくれませんかねえ。そしたらみんなにお勧めするんだけど。

 

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日本以外全部沈没

筒井康隆に馴染みがあるかないかで、この映画の印象はずいぶん違うはずです。筒井ファンなら、原作を思わせるブラックユーモアにニヤニヤ。もし、筒井体験がなければ、ふざけんなーと叫びたくなるのでは。

一見するとあまりに差別的、あまりに偏見に満ちた内容で、大問題になること間違いなし。よく劇場公開できたものです。

筒井康隆自身が嫌みなおっさん役で登場していたり、日本沈没の映画、テレビドラマでそれぞれ主役を演じた2人が嬉々として(?)類型的な人物を演じていることをとっても、しゃれのきつい一種の文士劇で、内輪のお楽しみのために作ったのではないかと想像されます。

チープさ加減、呆然とするような設定に惑わされることなく、これは原作の意図を忠実に表現しているのだと考えると、現代社会に対する痛烈な風刺であり、自己愛に浸りきる人類に警鐘を鳴らす啓蒙映画として見ることも可能です。今の世界はまさにこの映画の描く状況に向かって一直線じゃないですか。

筒井さん、しばらくご無沙汰していましたが、また読みたくなっちゃいました。

 

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サイの季節

イラン革命前夜のテヘラン。詩人サヘルは妻に横恋慕した運転手が巡らせた策略により、政治犯として30年の投獄生活を強いられることになります。出獄後、ようやく妻ミナを尋ね当てたたものの、彼女は元運転手アクバルによる軟禁状態にあり、しかも2人の子どもが同居していたのです。

サヘルは再会を熱望していたにもかかわらず、妻の行方をイスタンブールの海沿いに尋ね当てた後は、岸壁に停めた車中から彼らの暮らす家を注視したり、外出時に後をつけるだけです。知り合う人たちとも殆ど言葉を交わさず、表情にも乏しい。いったいサヘルは何を思って妻たちを見守っているのでしょうか。

彼の心中をうかがい知るには、映画中に挿入される詩、そして心象を写したとおぼしき非現実的なシーンに頼るほかありません。しかし、監禁部屋に降りしきるカメ、車中に顔を差し入れるウマ、砂漠を疾走するサイの群れを見せられても私の頭は困惑するばかりなのでした。

では、その困惑が苛立ちにつながるかというとそんなことはなく、無心のうちに目が画面に吸い寄せられてしまうのです。やがて、そこに漂う静かな絶望感、あるいは諦観がゆっくりと胸にしみ込み始め、心が不思議な静けさに満たされるのでした。
ある種の宗教体験と呼べそうな、他に例のない映画でした。

50歳を目前にしたモニカ・ベルッチ、良い感じに年齢を重ねていますね。

 

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