Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語   カレン・シャフナザーロフ

原作からアンナとヴロンスキーの物語だけを抽出、そこに日露戦争に従事したヴロンスキーが当時を振り返るというオリジナル設定を加わえた長編でした。

 

アンナファンの私としては、ヴロンスキーが都合良く事実をねじ曲げていたら許さん! という意気込みでスクリーンに向かいましたが、特にひねりはなく原作通り。淑女の見本として社交界の花形だったアンナが女たらしに惚れてしまい、あれよあれよという間に身を持ち崩してしまうお話。

 

ひねりはないと言うものの、スクリーンに繰り広げられる絢爛絵巻には息を吞みました。貴族の邸宅や舞踏場のスケールが私のちっぽけな想像力をはるかに超えていたのです。何十畳もあるような部屋が連なり、どの壁にももれなく巨大な絵画。高い天井からはシャンデリア群がまばゆい光を放ち、ちょっとした宮殿といった趣です。やれやれ、当時の貴族はどれだけ領地からの上がりがあったのでしょう(領民はどれだけ絞られていたのか)?

俳優が纏う衣装、装身具もきらびやかでした。いや、もうストーリー関係なしにファッションショーとしても楽しめる。

 

とりわけ目を惹いたのはアンナですが、その理由はマネの絵を思い出させるから。特にモリゾを描いた一連の作品と実に雰囲気が似ているんだなあ。もしかしたらマネに触発されていくつかのシーンを撮ったのかな、と感じます。

競馬のシーンはドガの描いた競馬場作品そのものだった。ああ、緑が目にしみる、なんとも優雅だなあ。

 

原作未読の方には映画を先に見ることをお薦めします!

 

公式サイトはこちら

 

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洪水の年   マーガレット・アトウッド

ジョージ・オーウェルが全体主義的超管理社会を描いた「1984年」は見たくない悪い夢でした。しかし、ITが発達しIoTが常識になりそうな現在、為政者がその気になればその悪夢は簡単に実現してしまうところまで来ています。私たちはあの小説から何も学ばなかった。

そして、今度はマーガレット・アトウッドが倫理観の欠如した生物工学が導く悪夢を描きました。

 

遺伝子操作技術が高度に発達し、新たな生物や怪しげな食物が溢れる近未来。行政組織のない社会は巨大企業「コーポレション」のエリートと平民の二つに分断され、コーポレーションと不正に結びついた民間警備会社「コープセコー」が警察機能を担っています。

 

そのような社会に対抗する菜食主義の狂信的環境団体「神の庭師」は、やがて水なし洪水で世界が滅びると説き、生き残って新たな世界を築く計画でした。しかし、予言通りに発生した水なし洪水の威力は凄まじく、神の庭師を含む人類はほぼ全滅。わずかに生き残った人々、遺伝子操作で生まれた新人類、そして影響を受けなかった他の生物たちの未来は?

 

三部作の二作目で「オリクスとクレイク」の前日譚。前作の翻訳出版から11年は長かったけれど、待った甲斐がありました。私たちが無反省に今の生活を続けていれば、必然的に人類は滅びる。小説好きだけではなく、現代に生きる全ての人々に読んでもらいたい物語です。

 

アトウッドは人類が遭遇しないであろうSFを書いたわけではなく、現実に起こりうる、あるいは既に起きつつある世界の近未来を書いたと語っています。そして、人類が生き延びるためには「理解の神経回路」を作る物語や文学を含む芸術が必要だと強調します。

 

世の中には様々な小説が溢れかえっていますが、誰にでも分かりやすい形で社会に警鐘を鳴らす物語は多くありません。破滅の危機に瀕した現実から目を背けるなと問い続けるアトウッドは、現代のレイチェル・カーソンと言えるし、神の庭師のイブそのものだと感じます。

 

あまり待つことなく次作が読めますように。

 

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賭博者   フョードル・ドストエフスキー

家庭教師アレクセイは雇い主の貴族一家と共にドイツのカジノタウン、ルーレテンベルクに滞在中。彼らが待っているのは莫大な資産を持つおばあさんの訃報。自称フランス人貴族に多額の借りを作った将軍はその遺産で精算したうえで、これまた自称フランス人貴族のブランシェと結婚したいと願っているのです。

 

ところが、待てど暮らせど吉報(?)は届かない。どころか、当のおばあさんが元気な姿でカジノに登場。ビギナーズラックで大金を手にしたおばあさんでしたが、大方の予想通りその後は負け続けてしまい、持参した大金を全て失ってしまうのでした。

 

さあ、将軍は金目当てにうろついていたフランス人たちに見捨てられ、ドイツ滞在中に賭博のことしか考えられなくなったアレクセイも転落の道をひた進むことに。果たして一家の再生はあるのか?

 

またもやドストエフスキー小説に登場する典型的なロシア人たちです。感情の起伏が激しく(ゼロか100か、この世の極楽か地獄か)破滅志向。自分のことを客観視することはできるのだけれど、軌道修正することはできません。そして洗練されたフランスに対して憧れと憎悪の念を併せ持つ。いやはや、厄介というか切ないというか。

 

謎なのは、なぜアレクセイ君が貴族一家に気に入られているのか。将軍の義理の娘、ポリーナは彼を見下しながらも屈折した愛情を感じているようだし、一度しか顔を合わせたことがないおばあさんも全幅の信頼を寄せて賭の指南役に命じるのです。私には読み取れない魅力があるのかしら?

 

英人ブルジョワジーのアストリーが一家に寄せる好意も理由が分からない。家庭教師に過ぎないアストリーはじめ、フランス人貴族に袖にされたポリーナや落剥した将軍の面倒まで見ようとするのは何故なのだろう。親切なふりで、興味本位にロシア人という民族を観察しているようにも感じます。

 

終盤に登場するパリは、印象派が誕生した前後のパリです。政治的には体制がめまぐるしく変わる激動の世紀でした。新しい芸術を目指す画家たちは明るい色彩で世界を描くと共に、社会が抱える負の側面も暴いています。そんな喧噪の街を想像すると、少しはこの陰鬱な小説にも彩りが添えられます。印象派の画集など傍らに置いて読んでみるのも一興かと。

 

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出発   イエジー・スコリモフスキ

美容師のハンサム青年マルク君は大のクルマ好き。目下の目標はポルシェ「911S」でラリーに出場することですが、若い身空で高級車を所有できるはずもなく、クルマを手に入れるために悪戦苦闘。そんな折り、元モデルのお嬢様ミシェルと知り合い、彼女と2人でレース出場を目指すのですが……

 

マルクはもう無茶苦茶ですな。練習のためにオーナーの911を無断借用するのは序の口。ディーラーを欺して試乗車を盗もうとするわ、お金持ちのマダムに近づいて体と引き替えに借りようとするわ、モーターショーの会場からパーツを盗んでレンタル資金を作ろうとするわ、善悪の判断がつきません。ラリー出場のためならなんでもあり。

 

もちろん、ミシェルが垣間見せる好意にも無頓着。気にはなるけど恋を発展させようというつもりもなさそうです。いや、もしかすると女性経験が少なくて、少々積極的な彼女の行動に尻込みしているのかもしれませんね。

 

なんだか、若いって楽しそうだなあ、とひさびさに感じた映画でした。夢中になって他に何も見えないって、羨ましいような辛いような。ラリーの結果? あれれ……な結末は見てのお楽しみ。マルク君、もしかしたら少し成長したかもね。

 

それにしても小さい911って楽しそう! 狭い道だって苦にならない。今のポルシェじゃなくて、この映画に登場するようなナローポルシェ運転してみたいです。

 

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ピカソ 版画をめぐる冒険 フランス国立図書館版画コレクション

フランス国立図書館が所蔵する約100点の版画作品。新しい表現形態を模索し続けたその足跡を確認できるボリュームたっぷりの展覧会でした。

 

いやあ、版画でもピカソの熱量は高いなあ。芸術面でも生活面でも現状に飽くことを知らず、常に前進しなければ気が済まない人だったんでしょうね。表現様式の多様さはもちろんのこと、関係した女性の数の多さからもそのことがうかがえます。妻・恋人たちの肖像だけでも何人分あった事か。途中で数えるのをやめちゃいました。70代で子供をもうけるなんて、並の熱量では無理、無理。

 

展覧会に行くと、自宅に持って帰るならどれだろう、といつも品定めしてしまいます。今展では「フランソワーズ・ジロー」の肖像が気に入りました。単純な黒い線だけで描写された画面いっぱいの顔。ぱっちりしたお目々の彼女が放つ明るく温かなエネルギーがあれば、寒い新潟の冬を乗り切れそうな気がしたもので。

 

そして、おまけも。ピカソが影響を受けた画家の作品も数点展示されています。なんと、大好きなゴヤのオリジナル版画を2点(共に闘牛)を楽しむことができました。思いがけないプレゼントみたいで嬉しかった。陰鬱な内面を現す表情とリアルな生命感を感じる手の表現に惹かれるんだなあ。

 

ピカソ展は新潟市美術館で12月16日まで。

 

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The Sweetness at the Bottom of the Pie アラン・ブラッドリー

フレーヴィアは化学実験が大好きで毒物に興味津々の11歳。2人の姉とはそりが合わないし、やもめになった父親は切手蒐集だけが生きがいで、彼女のことに無関心ですが、なあに、自分の実験室に籠もっていれば大満足。

 

とある日のこと、お屋敷の勝手口を開けると、そこにはにコシギの骸。くちばしの先を見るとオレンジ色の切手が刺さっていて、それを見た父は顔面蒼白に。その後キュウリ畑に倒れていた見知らぬ男が息を引き取り、なんと、父が殺人容疑者として逮捕されてしまうのでした。

 

さあ、大変。お父さんを助けなきゃ。真相を探るため、大胆な行動力と大人顔負けの知識を持ったフレーヴィアの活躍の始まりはじまり。

 

主人公の一人称語りなので文体は易しいけれど、いかんせん未知の単語が多すぎた(11歳なんだから難しい言葉を使うなよ……)。辞書をめくる時間が多すぎて、この小説のスピード感を体感できなかったことが残念。

 

でも、調べてみたら、既に「少女探偵フレーヴィア・シリーズ 」として翻訳が出ていました。はつらつとした主人公は元より、意地悪な姉たち、実直な使用人、夫への愛にあふれた料理おばさんなど魅力的な登場人物が揃っています。今後もバックショー荘で繰り広げられる謎解きを楽しむには日本語かな。

 

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クボタ v 宗像サニックス   カップ・プール戦

11月11日、久しぶりのトップリーグ観戦はカップ戦のクボタ 対 宗像サニックス。ビールを飲むに支障のないまずまずのお天気で一安心。会場となった新潟市陸上競技場を見渡すと、観客は小学生のラグビー少年少女とその親、高校ラグビー部員、新潟クボタ関係者を中心に1000人程度の入り。来年、日本でワールドカップが開催されるにしては寂しいなあ。

 

試合そのものは白熱して見応えがありました。がむしゃらに攻め続けるサニックスの攻撃にクボタが堅いデフェンスで応じ、ターンオーバーで一気にトライを奪うという展開。ハンドリングエラーや反則も少なく、締まった試合でした。

 

タックルが入った時の衝突音は凄まじいですね(バスン!)。スクラムを組んだときの響きもぞわぞわします(ドスッ!)。あれでよく骨が折れないものだ。昔、体育の実技で第1列に入ったときは、背骨が折れたと思ったことを思い出し、背骨ならぬ背筋がひやりとしました、はい。この圧倒的な肉体の存在感がライブ観戦ならではの楽しみです。

 

ただ、会場に大型スクリーンが設置されていないことが残念。密集しているとボールが見えないし、TOM(ビデオ判定)の際もどのプレーを審議しているのか全く分からず、一喜一憂のしようがないのでした。まあ、会場が会場だけにこればかりはどうしようもない。

 

ともあれ、穏やかな秋の一日を楽しく過ごして満足、満足。

 

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かくも長き不在   アンリ・コルビ

パリ近郊でカフェを営むテレーズ。バカンスを控えて暇になった店の前を見知らぬ男が通りかかるようになります。「セビリアの理髪師」のアリアを口ずさみ、警官を怖がる様子を見た彼女は、その男が16年前に強制連行されたまま所在不明の夫ではないかと期待をかけるのですが、彼は記憶を失っており、自分が何者なのか定かではありません。

 

テレーズは男を何度も自宅に招き、記憶を取り戻すよう手を尽くしますが見込みはなし。食事を終えた男が雨の夜道に消えようとしたとき、テレーズはその背中に向かって夫の名前を連呼するのでしたが……

 

テレーズがジュークボックスの音楽をかけながら二人で穏やかにダンスするシーン。回した手が男の後頭部にある大きな傷跡に触れた時、彼女はおそらく彼の記憶が戻らないことを悟ったのだと思います。

 

私がカフェの常連の一人であったなら、彼を正体不明の男のままに受け入れ、新たに連れ合い同士として出発したらどうかと提案したいです。その男が夫なのか他人なのかに関係なく、テレーズは既に彼を大切な人として扱っているのですし、これ以上せっついて逃げられてしまっては元も子もありません。
あいつの正体なんてどうでもいいじゃないか、気になるんだろう。しっかりつかまえなよ。

 

そして気の毒なのは、常連のトラック運転手。彼はテレーズに気があるにもかかわらず、正体不明の男に心を奪われた彼女に最後まで親切です。いい人は報われないのだなあ、やっぱり。

 

自転車レースファンとしては、おやじ達がカフェに集まり、ツール・ド・フランスのスタートからラジオにかじりついて盛り上がっている様子や石畳の通りが興味深かった。パリ祭後にツールマレーを通過するステージという設定でした。男がドイツ軍のパリ占領中に連行されたという前提で調べてみると、57年7月16日の第18ステージが該当するようです。まあ、映画ですからそこまで事実に基づいているかどうかは分かりませんが、調べてみるのも楽しかった。

 

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麦秋   小津安二郎

終戦から5年ほど。北鎌倉で穏やかに暮らす3世代7人家族の気がかりは28歳の娘、紀子の将来。当然のように縁談が持ち上がるものの、彼女は自らの意思で未来を選択し、家族は北鎌倉、奈良、秋田の3か所に分かれてしまうのでした。
 

結婚適齢期を迎えた娘の縁談となると、どうしても前作「晩春」と比較してしまうことになります。
淡々とした展開の中にも隠しきれないユーモアと見終えた後のそこはかとない寂しさは共通していますが、原節子演じる紀子はまるで違う人物として描かれていました。私はこちらが好み。

 

父の世話をする生活に充足感を覚え、結婚など考えも及ばない晩春の紀子は浮世離れしすぎていて違和感がありました。対する麦秋の紀子は結婚に対する前向きな意志もある明るく溌剌とした娘。お酒も大好きだし、900円もする高価なケーキだって躊躇なく買ってしまいます。おどけて秋田弁だって喋ってみせる。そう、こんな人いるよな、というリアルさが良かった。
 

押しつけられた結婚の結果、父を一人にしてしまった晩春の紀子は、もしかしたら後悔したかもしれません。でも、話の成り行きだったとはいえ、自ら結婚相手を選んだ麦秋の紀子は、家族が離ればなれになることにもやましさは感じていないでしょう。
 

ところで、日本映画をほとんど観たことがなかったという片岡義男が「彼女が演じた役」という著作で原節子が出演した小津映画について評論しています。そのユニークな意見に納得できるか否か確認するため、もう一度「東京物語」を観なくては。

 

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92歳のパリジェンヌ   パスカル・プザドゥー

おばあちゃん、誕生日おめでとう! 100歳まであと少し! 親族が開いてくれたおめでたい席でマドレーヌは浮かない顔。92歳を迎えた彼女の願いは、2カ月後にこの世とおさらばすることだったのです。困惑した子どもたちや孫はマドレーヌの望みにどう向き合うのでしょうか。

 

母親の決定に対する子供らの共感の強弱は、それまでの接し方に比例しているようでした。後ろめたい気持が強いほど本人の意思に強い態度で反対してしまうのです。そりゃそうですよね、あいつは親不孝者だったと思われたまま死なれては後味が悪い。

 

一般論としてこの問題を提示されたら、本人の気持ちを尊重すべき、誰にも尊厳を持って死ぬ権利があるはず、と私は応えるはずです。でも、実際に自分の肉親やごく親しい人が来月末を以て命を絶ちますと宣言したら、そんなこと受け入れられない、と拒絶してしまうかもしれない。

 

どのようにして人生から退場したいのか。最後の大問題を考えるのに早すぎるということはない、とマドレーヌは伝えてくれました。

 

死ぬ準備とは、その時までをいかに生きるかという問いです。まずは、思う通りに生きること。そして元気なうちから普通の問題として周囲の人たちと理解を深め合うこと。そうすれば幸せな退場ができるかなあ。

 

いや、それにしても、人は時間を区切られないからこそ平気な顔で生きていられるんだなあ、と再認識した次第。

 

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