Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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ヤナ・ノボトナの涙 

ボルグとマッケンローの手に汗握る攻防に夢中になって以来、ウィンブルドン選手権の虜になり、アガシ引退の年まで熱心にテレビ観戦したものです。
数々の名勝負、名場面が思い出されます。その中で、私の心に最も印象深く残っているのは、ボルグの5連覇でもなく、アガシの純白のウエアでもなく、ひいきにしていたイワニセビッチ初優勝でもなく、ヤナ・ノボトナが決勝戦敗退後に流した涙です。

1993年の決勝戦、相手は女王グラフ。第1セットのタイブレークを接戦の末落としたものの、第2セットを6-1で取り戻し、そのままの勢いで第3セットも4-1とリード。初優勝は決定的と思われましたが、ダブルフォルトをきっかけにずるずると5ゲームを連続で失い、まさか、まさかの逆転負け。
表彰式で優勝プレートがグラフに手渡されるとノボトナは感情を抑えられなくなりました。その涙を目にしたケント公夫人がノボトナの肩に腕を回すと、彼女はその肩を借りて泣きじゃくることになるのでした。

後にノボトナはBBCのインタビューでこう語っています。
「翌日新聞を広げたら1面にケント公夫人と私の写真が載っていて、まるで優勝したみたいだった。
負けてしまったのに93年の試合をいちばん誇りに思うと言ったら怪訝な顔をされるかもしれない。でも、あの試合があったからこそ私のプレーは進歩し、人として成長できた」

肩を借してくれたケント公夫人は「あなたならできるわよ」と励ましてくれたのだとか。その後もノボトナはウィンブルドンへの出場を続け、97年は再び準優勝、そして翌98年、3度目の決勝戦でついに優勝。ケント公夫人の言葉が正しかったことを証明して見せたのでした。
愛おしそうに優勝プレートを抱きしめた姿も忘れられません。

がんのため49歳で亡くなったノボトナさんのご冥福をお祈りします。

 

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雨月物語

天正11年、琵琶湖北岸の陶工、源十郎は戦景気で一儲けしようと企て、侍になって出世を果たしたいと願う義弟、藤兵衛夫婦を伴って長浜へ。

品物がやんごとなき姫、若狭の目にとまった源十郎は、屋敷へ届けるよう仰せつかり、供応を受ける中、その娘と契りを交わしてしまいますが、彼女はこの世のものではなかった。
一方、妻、阿浜を放りだしたまま侍の端くれに加えてもらった藤兵衛はどさくさに紛れて敵将の首を手に入れ、武将として出世。ところが、祝いとして部下ともどもしけこんだ女郎屋で変わり果てた阿浜と再会するのでした。

という、欲をかいて散々な目に遭った2人の男と巻き添えを食った妻たちのお話。
ただ、男たちの浅はかさが悲劇を招いたと単純には割り切れないものも感じます。戦国の世にあっては、「慎ましくとも親子で楽しく生きる」という望みは簡単に叶えられるものではなく、源十郎や藤兵衛のように賭に出なければ手に入れられない夢だったのではないかと思えるのです。

日本的な恐怖感に満ちたこの映画で圧倒されたのは、京マチ子の妖しさですね。幸せを知らずに死んだ女が男を捉えようとする妄念は見ているこちらもタジタジ。目に現れる感情の変化が素晴らしくも恐ろしい。いやあ、迫真の演技です。
そして、それとは好対照をなす田中絹代の健気な雰囲気も良かった。私ならあれほどの賢婦を捨て置いて危ない橋など渡りませんけどね。

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騎士団長殺し

友人から譲ってもらい、遅ればせながら読了。
春樹さんは自分の目指す小説に近づけたのだろうか? といらぬ心配をしつつも、馴染んだ文体をいつものように楽しませてもらいました。

村上作品は、作家本人の意見が反映される装幀も見どころのひとつです。カバー装画の剣もよく見ると羊のデザインが施されていたりして、往年のファンをニヤリとさせてくれます。

見返しの紙は色も含めて何となく日本画や掛け軸の表装を連想させるし、各章のタイトルも工夫が凝らされていますね。装幀に係わる人たちがわいわい楽しみながら作業していたのではないかと想像してしまう仕上がり。なんとも幸運な本です。

 

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彼は秘密の女ともだち

最愛の妻ラウラの死後、女装癖が顕在化したダヴィッド。ラウラの親友クレールはそんな彼をヴィルジニアと名付け、秘密を共有するとともに唯一の理解者となります。ダヴィッドはやがてヴィルジニアとして生きることを決意。クレールは自分の気持ちに正直に生きようとする彼/彼女を応援するうち、女としてのヴィルジニアに惹かれてしまい…

いつものように独特なあくがあるものの、人生を肯定しようという、オゾン監督らしい明るくハッピーな映画でした。

クレール役アナイス・ドゥムースティエの自然体が良かったなあ。あまりに普通なので、なんだか知り合いのような気がしてきます。そんな彼女が自分の中に同姓への嗜好があると気づき、女と認めたヴィルジニアに身を任せようとする場面が個人的ハイライト。私って、そいいう人なの? と戸惑う表情が良かった。そして、いくら女を宣言してもヴィルジニアの肉体は男。いざとなったら逃げ出してしまう(やだ、この人、女じゃない!)あたりが笑えました。

お二人さん、よき女友達として末永く付き合い続けてくださいね。

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アンナ・カレーニナ

離婚騒ぎでもめる兄夫婦の調停にモスクワへ向かったアンナは、そこで貴族の軍人ヴロンスキーに出会います。彼は社交界デビューを果たしたばかりの少女キチイをものにしようと目論んでいましたが、アンナの姿を認めるや、素早く目標を変更。美しく高い精神性で評判を呼んでいたアンナですが、やがてヴロンスキーと恋に落ち、夫と子どもを捨てて破天荒な人生を歩み始めることに。

一方、ヴロンスキーに振られたキチイは、野暮ったくも実直な領主リョービンの求婚を受け入れて田舎へ移り、理想の農地経営に燃える夫を支えることになるのでした。

2組の夫婦の対照的な歩みを中心に物語は進み、そして、中盤以降は破滅に向かって突き進むアンナの混乱ぶりが際立ってきます。
アンナ、どうしてしまったんだよ、とやきもきする一方で、18世紀末のロシアが置かれた状況にどんどん惹きつけられていきました。

トルストイは膨大な登場人物を配し、宗教、農地解放、革命、男女格差と離婚、国際政治、そしてロシア人のアイデンティティなど実に様々な問題を取り上げています。そこには世界はもっと良くなるはず、人はもっと賢明になれるはず、という作者の熱意があふれ、読み手に「そう思うだろう」と力強く語りかけているように感じるのでした。

トルストイ渾身の力技、未読の方は是非一読を。最後まで飽きさせませんよ。

 

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高瀬舟

京都を南北に流れる高瀬川。同心の羽田庄兵衛は弟殺しで遠島に処された喜助を舟で護送しますが、罪人らしからぬ素直な心根を不思議に思い、罪を犯した理由を尋ねてみることに。

幼くして両親と死に別れ、その後も不運に見舞われ続けた喜助兄弟。やがて弟は病を得てしまい、兄に迷惑を掛けたくないと自害を企てますが、カミソリでのど笛を切っても死にきれず、帰宅した兄にひと思いに逝かせてくれと幇助を願います。

医者を呼んでも間に合うはずもなく、苦しみから解放してやろうとした喜助の行為は殺人なのか? 庄兵衛は言葉を失い、二人を乗せた高瀬舟は夜の川を下り続けるのでした。

映画は基本的に小説を忠実に再現していますが、奉行が裁きを下すシーンを加えています。
この奉行、裁かれる人物が置かれた状況を全く斟酌しない杓子定規で情のない役人として表現されています。「だから役人は嫌いだ」と毒づいた私でしたが、しかし、遠島とはいえ、居場所を与えてもらって感謝するという喜助の言葉に、待てよ、と思ったのでした。

仮に無罪を言い渡されたとしても、喜助はこの世に身よりも居場所もありません。仕事を得られるかどうかも定かではない自由な暮らしより、罪人として住む場所を与えてもらった方がまし。もしかしたら、あの奉行はそこまで察して有罪を言い渡したのではなかろうか。でなければ、わざわざ付け加えた意味もないような。

共に小品ながら余韻の残る映画と小説でした。

 

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パターソン

朝6時15分前後に起床、妻に「まだ寝ていていいよ」と声を掛けたのち一人で朝食。通勤途中で詩作にふけり、発車前のバス運転席でノートに書き留める。つつがなく仕事を終えて帰宅すると、エキセントリックな妻の行動にちょっぴり驚き、ユニークな夕食の後は愛犬を連れて夜の散歩。馴染みのバーに立ち寄り、ジョッキ一杯のビールを楽しんで帰宅、そして就寝。

これが、ニュージャージー州パターソンに暮らすバス運転手パターソンの日常です。
特にドラマチックな出来事も起きず、判で押したような毎日。
世界中の普通の人は、程度の差こそあれ、パターソン君と同じように変わりばえのしない毎日を送っているはずです。

なんて退屈な私の人生、と感じている人に薦めたい映画ですね。一見金太郎飴を切ったような人生でも、毎日小さな出会いがあったり、おやっと感じる出来事が起きたりするものです。それをどう受け止めるか。

世界に心を開いてさえいれば、ありふれた人生も詩のように美しく感じられる。「ナイト・オン・ザ・プラネット」や監督が出演した「ブルー・イン・ザ・フェイス」を思い出させる映画でした。Aha

 

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残像

カンディンスキーやシャガールとも親交のあったポーランドの前衛画家ストゥシェミンスキ。第二次世界大戦後のポーランドでは共産党による統制が進み、芸術も社会主義実現に寄与する表現に制限される。
美術大学で教鞭を執るストゥシェミンスキは「芸術は新たな表現を求めるもの」として、党の方針に反発。そんな彼を英雄視する学生たちには慕われ続けるものの、職場を追われ、画家組合から除名され、生活の糧を失っていく。

予告編を見た限りでは、信念を貫き通して体制に抵抗し続けた芸術家の生き様を描いた作品だろうと予想していました。
実際、その通りだったのですが、「信念を貫き通す=美しい」という単純な価値観ではなかった。

確かにストゥシェミンスキは己の芸術を追究しようとしますが、食べていけない現実は厳しかった。困窮し、ついに意に沿わぬ仕事さえ引き受けたとしても(スターリンの肖像を描くなんて…)、幼い娘を抱える身であれば仕方ありません。親であれば己の主義より、子どもの安全を優先するのは当然です。

しかし、党は容赦しなかった。ストゥシェミンスキは信念を曲げて獲得した小さな仕事までも次々と奪われ(社会主義国家で仕事を与えられないってどういうこと?)、失意の内に最期を迎えてしまうのです。

個人の抵抗など国家という巨大な組織には痛くもかゆくもない、ということなのでしょうか? このやりきれない気持は初期の「世代」や「地下水道」を観た後と同じです。いつの日かワイダ監督の意図を理解できると良いのだけれど。

 

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そして、デブノーの森へ

デビュー作「冬の旅」で文壇の寵児となったセルジュ・ノヴァクことダニエル。義理の息子の結婚式に向かう船中で魅力的な女性ミラと知り合い一夜を過ごしたが、なんと彼女は息子の花嫁だった。
そして、ミラの登場は偶然ではなく、「冬の旅」盗作を巡る大がかりな復讐劇の始まりに過ぎなかった。

緊迫感漂う展開に引き込まれるうち、ついつい事の真相を解明したくなってしまい、あれこれと頭を悩ませてしまいました。
そもそもダニエルが下した決断の理由が腑に落ちないし、最後にはダニエルと自殺した友人ポールが入れ替わっていると示唆するかのようなシーンが用意されています(そうなると、いろいろと辻褄が合わなくなりますが…)。

いったい、どうなっていたんだ? と映画を振り返ると「人は単純ではない」と言ったダニエルの言葉が思い出されました。
そう、人間の思考や感情は複雑なものだし、本人だって完全に理解しているとは言いがたい。
そう思えば、この映画の見どころは謎解きではなく、本人の意思に反して移ろいゆく人の気持ちの不思議さ、抑えきれずに噴出する感情の高まりにあるのだと感じられてきます。

謎は謎のままに残しておけばいいのでしょう。複雑なものごとを分かりやすくまとめて解決したつもりになっていては、人生の機微を味わうことができない、そう教えられたような気がします。

 

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赤いアモーレ

クルマが故障した外科医ティモーテオは通りかかった掃除夫イタリアに電話を借り、一目で彼女を気に入ってしまう。
妻と不足のない暮らしを送るティモーテオだったが、イタリアへの思いは狂おしいほど。やがてイタリアは子を身ごもり、ティモーテオは人生の判断を迫られる。

情欲におぼれた身勝手な男の独りよがりな愛の行方を描いたお話、と言ってしまっては身も蓋もないけれど、役者の演技力によって人の世の辛さを感じさせる印象的な映画に仕上がっていました。

ティモーテオは妻との暮らしを守るべきかイタリアと新しい人生を始めるべきか大いに葛藤しています。一見感情に乏しい表情は、判断に苦しみ、あらゆる思考が停止してしまったが故なのかもしれません。
イタリアのゆがめた口元やがに股歩きは見ていて切ないなあ。身に降りかかる悪事をあきらめと共に受け入れる姿。ペネロペ・クルスは幸薄い人生を体当たりで演じていました。
そして、夫の心をつかめない不安に怯える妻エルサ。不幸を予感しているかのような表情に私の心も揺れました。
これが俳優の演技というものでしょう。

ティモーテオは多くの人から勝手な男とそしられるだろうし、私もそう思います。
一方で、制御できない感情に突き動かされて逸脱しても構わないと思う気持ちも理解できる。社会規範からはみ出さず、良識ある人として暮らすことは難しいものです。

ところで、邦題ひどすぎませんか?
ソープオペラみたいだな。

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