Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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ブギウギ   坂東眞砂子

終戦間際の箱根芦之湯温泉。東京湾で米軍に最新Uボートを撃沈され、乗組員とともに捕虜として軟禁されていたドイツ人艦長の死体が池に浮かびます。死因は自殺と断定されたものの、第一発見者で旅館の女中だったリツ、通訳として海軍中尉に従った法城は戦後の東京で陰謀に巻き込まれてしまい、命を脅かされる事態に。

 

読み手をぐいぐい引きつける筋立てはさすがです。しかし、ミステリー仕立ての物語で坂東さんが伝えたかったのは、最終盤に法城に語らせた「愛に翻弄された女たちの物語」だったように感じます。

 

女が言う「愛」とは男であり、子供であり、動物であり、政治体制でもある。何であれ、対象に向かう気持ちに愛と名付けて従うことが女の行動原理。理念ではなく心と情熱で立ち向かう生き物が女なのだとは、男の作家が実感を以て書くことは難しいと思います。

 

坂東さんの小説は、どれをとってもぬるっとした感触がつきまとっていたように思います。女である(あるいは人間である)という生々しさに加工を施さず、そのまま「ほら」と言って差し出すのが彼女の流儀だった。本作中、対象がめまぐるしく変わりながらも最も愛に忠実だったリツに感じる生々しさはその最たるものでした。きっと坂東さん本人の投影だったんじゃないだろうか。

 

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未来を乗り換えた男   クリスティアン・ペッツォルト

ドイツ軍によるフランス侵攻を現代に再現するというアイディアにやられた。物語の設定が今になることで欧州が抱える現在の難民問題をも取り上げることが可能になり、先の見通せない不安感が重層的に迫ってくるのでした。

 

エンドロールで流れるトーキング・ヘッズの唐突な明るさには面食らってしまいましたが、記憶を探ってみれば曲のタイトルは「Road to Nowhere」。迫害を逃れようとマルセイユに集まった人々の状況を端的に表しています。行くこともならず退くこともならない状況は程度の差こそあれ、観客の私たちにもあてはまるもの。他人事じゃないことに気づくと怖ろしさに身がすくみそうになります。こりゃもう、夢に見てしまうな。

 

クリスティアン・ペッツォルト監督の作品を観るのは「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」に次いで3作目。閉塞状況に置かれた人たちの不安がにじみ出る緊張感漂う画面、そこに独特な情緒をミックスした作風にすっかり惹きつけられています。次作も期待です。

 

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浮雲   二葉亭四迷

父が亡くなり、叔母一家の厄介になりながらも苦学の末に役人となった文三君。さあ、これから母を上京させよう、仲良くなった従妹のお勢と結婚しようと意気込んでいたところでなんと免職に。

 

叔母のお政が無職となった甥を疎んじ出したところへ、文三の元同僚でお調子者、上司におもねることが得意な本田君が登場。母娘ですっかり夢中になってしまい、文三君の悶々とした日々が始まるのでした。

 

もちろんタイトルは知っていました。言文一致体小説の草分けですよね。でも、まさかこんなにおちゃらけた娯楽小説だったとは知らなかった。しかも、落ちがない。文三君が優柔不断な自分に決別する日は来るのかしら、こないのかしら、とすっとぼけて終わるんだもんなあ。恐れ入りました。

 

明治の庶民の生活がおもしろおかしく描写されていて、昔も今も人のやること、感じる不安は同じだなあと頷くことしきり。明治の文豪と言われる作家の小説もいくつか読みましたが、娯楽性ではこの小説がダントツです。教科書向きではないから紹介される機会が少ないのだろうけれど、本好きなら読まずにいるのはもったいない。

 

新潟の方言だとばかり思っていた言葉が昔の共通語(東京弁)だったことには驚きました。
「発明な」「じぶくりだす」「もだくだ」なんていかにも方言ぽいでしょう? 知らなかったなあ

 

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家へ帰ろう   パブロ・ソラルス

人生の終盤を迎えた男が遠い昔に友と交わした約束を果たすため遙かな旅路を辿る。本当にただそれだけのお話なのに、胸に迫るものがありました。人はひょんなことからとんでもない事を成し遂げてしまえるものなんだ。

 

そもそもアブラハムは約束の事なんて忘れていました。頭にあるのは、どうすれば子供たちの言いなりにならずに済むかということ。いくら役立たずであろうと相棒「ツーレス(脚)」を切断したくないし、施設入りなんてとんでもない。ところが、自宅で過ごす最後の日に友のために仕立てたスーツが発見され、そうだ、あいつに届けなくちゃ、と勇み立つことになるのですからねえ。

 

その約束は70年前に交わしたもので、目的地はアルゼンチンから遙かに遠いポーランド。しかも、ホロコーストを生き延びたユダヤ人のアブラハムとしてはドイツだけは通りたくない。おお、前途多難です。

 

でも思い出した約束を果たさなければ、人の道に背くとアブラハムは感じたのでしょう。旅先で無茶な突進をくり返しても、出会った人々は彼の熱意に気持を揺り動かされ、つい救いの手をさしのべてしまうことになるのでした。

 

生涯最後の大仕事が行きずりの善意に支えられたからこそ、ラストシーンに胸を打たれたのでした。

 

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息子と恋人   D.H.ロレンス

職工の娘ガートルードは踊り自慢の炭鉱夫モレルと恋に落ち、つましい暮らしの中で3男1女を設けます。しかし、夫は大酒飲みで粗暴。やがて愛想を尽かした彼女は子どもたちの世話を焼くことが生きがいとなり、とりわけ次男の人生に多大な影響を与えることになってしまうのですが……

 

長大な物語を「子離れできない母と精神的に自立できない息子の哀しいお話」とまとめては身も蓋もない気がするけれど、要はそういうことです。母親の影響下から抜け出そうともがきながらも叶わず、言い寄る女性たちと成熟した関係を持てないポール君。彼の苦悩と再生の予感に共感できたら結構楽しい読書体験となるけれど、そうでなければ無駄に長いだけのだらだらした小説だった、で終わってしまうかも。

 

ポール君とその母にいらっとする人は、視点を変えて彼を慕うミリアムを中心に据えて読むと面白いかもしれません。モレル家の近隣の農場に暮らし、文学について語り合う中に親しくなった二人でしたが、やがて彼女が求めすぎる、母の場所がなくなるとしてポールは彼女を遠ざけてしまいます。

 

そこからミリアムの人生は苦難の連続。彼女の後釜に座った人妻の愛人が元の鞘に収まり、最大の難敵だった母ガートルードがこの世を去ってもなおポールは地に足をつけようとしません。ああ、でもミリアムはどこまでも忍耐強い。やはり結婚できないと別れを告げる後姿に「もうこりごりだということになれば、ひざまづいて私にすがってくるだろう」と、どこまでもポールの帰還を待ち続ける覚悟なのです。ポールの何がミリアムをそうさせるのか、改めて読み直してみるのも好いかもしれない。

 

面白いといえば、ポールの考え方はかなりユニーク。いわく、純粋にプラトニックであれば複数の女性と付き合っても問題ない、いわく、性欲は具体的な一人の女性とは無関係な独立した存在なので浮気はOK。今に生きていたら世間からバッシングの嵐だよ、ポール君。

 

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ハモンハモン   ビガス・ルナ

物語が結末に向かって収束しはじめ、そしてラストシーン。ええっ、これコメディ映画だったのか…… 欧州の人たちのユーモアって日本人の私には理解できないことがままあるわけでして、文化が違うんだなあ、と改めて感じる次第。

 

この映画は2組の親子と1人の青年が繰り広げる恋愛劇。乾燥して荒涼とした土地柄が生み出す気質なのか、登場人物たちの神経はどこかささくれだっていて、刹那的な快楽に身を委ねがち。もちろんその傾向は恋愛においても変わらず、年の差や人間関係など超越した無節操な6角関係が展開されてしまうのでした。

 

マストロヤンニ主演の「華麗なる殺人」も最後までコメディだって気づかなかったけれど、あれは振り返ってみれば突っ込みどころが盛りだくさんのご機嫌な映画だった。一方、この映画では登場人物が揃いも揃って自分勝手でげんなり。スペインの人たちはどのように反応したんだろう? もしかすると、恋愛=情熱=自己中心的で正解なのかもしれない。ラストシーンはあまりにばかばかしくて笑えたけれど、娯楽作品と言うには見ていて辛い場面が(私には)多過ぎました。

 

見所は、初々しいペネロペ・クルスの演技でしょうか。のちの映画で見せる地に足のついたスペイン女の風格がすでに見え隠れしていました。彼女の良さは強靭な意志ともろい感情の同居にあると思います。その素材の良さをが存分に発揮されるのはハリウッドではなくスペインなのだと、このデビュー作で再認識しました。

 

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アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語   カレン・シャフナザーロフ

原作からアンナとヴロンスキーの物語だけを抽出、そこに日露戦争に従事したヴロンスキーが当時を振り返るというオリジナル設定を加わえた長編でした。

 

アンナファンの私としては、ヴロンスキーが都合良く事実をねじ曲げていたら許さん! という意気込みでスクリーンに向かいましたが、特にひねりはなく原作通り。淑女の見本として社交界の花形だったアンナが女たらしに惚れてしまい、あれよあれよという間に身を持ち崩してしまうお話。

 

ひねりはないと言うものの、スクリーンに繰り広げられる絢爛絵巻には息を吞みました。貴族の邸宅や舞踏場のスケールが私のちっぽけな想像力をはるかに超えていたのです。何十畳もあるような部屋が連なり、どの壁にももれなく巨大な絵画。高い天井からはシャンデリア群がまばゆい光を放ち、ちょっとした宮殿といった趣です。やれやれ、当時の貴族はどれだけ領地からの上がりがあったのでしょう(領民はどれだけ絞られていたのか)?

俳優が纏う衣装、装身具もきらびやかでした。いや、もうストーリー関係なしにファッションショーとしても楽しめる。

 

とりわけ目を惹いたのはアンナですが、その理由はマネの絵を思い出させるから。特にモリゾを描いた一連の作品と実に雰囲気が似ているんだなあ。もしかしたらマネに触発されていくつかのシーンを撮ったのかな、と感じます。

競馬のシーンはドガの描いた競馬場作品そのものだった。ああ、緑が目にしみる、なんとも優雅だなあ。

 

原作未読の方には映画を先に見ることをお薦めします!

 

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洪水の年   マーガレット・アトウッド

ジョージ・オーウェルが全体主義的超管理社会を描いた「1984年」は見たくない悪い夢でした。しかし、ITが発達しIoTが常識になりそうな現在、為政者がその気になればその悪夢は簡単に実現してしまうところまで来ています。私たちはあの小説から何も学ばなかった。

そして、今度はマーガレット・アトウッドが倫理観の欠如した生物工学が導く悪夢を描きました。

 

遺伝子操作技術が高度に発達し、新たな生物や怪しげな食物が溢れる近未来。行政組織のない社会は巨大企業「コーポレション」のエリートと平民の二つに分断され、コーポレーションと不正に結びついた民間警備会社「コープセコー」が警察機能を担っています。

 

そのような社会に対抗する菜食主義の狂信的環境団体「神の庭師」は、やがて水なし洪水で世界が滅びると説き、生き残って新たな世界を築く計画でした。しかし、予言通りに発生した水なし洪水の威力は凄まじく、神の庭師を含む人類はほぼ全滅。わずかに生き残った人々、遺伝子操作で生まれた新人類、そして影響を受けなかった他の生物たちの未来は?

 

三部作の二作目で「オリクスとクレイク」の前日譚。前作の翻訳出版から11年は長かったけれど、待った甲斐がありました。私たちが無反省に今の生活を続けていれば、必然的に人類は滅びる。小説好きだけではなく、現代に生きる全ての人々に読んでもらいたい物語です。

 

アトウッドは人類が遭遇しないであろうSFを書いたわけではなく、現実に起こりうる、あるいは既に起きつつある世界の近未来を書いたと語っています。そして、人類が生き延びるためには「理解の神経回路」を作る物語や文学を含む芸術が必要だと強調します。

 

世の中には様々な小説が溢れかえっていますが、誰にでも分かりやすい形で社会に警鐘を鳴らす物語は多くありません。破滅の危機に瀕した現実から目を背けるなと問い続けるアトウッドは、現代のレイチェル・カーソンと言えるし、神の庭師のイブそのものだと感じます。

 

あまり待つことなく次作が読めますように。

 

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賭博者   フョードル・ドストエフスキー

家庭教師アレクセイは雇い主の貴族一家と共にドイツのカジノタウン、ルーレテンベルクに滞在中。彼らが待っているのは莫大な資産を持つおばあさんの訃報。自称フランス人貴族に多額の借りを作った将軍はその遺産で精算したうえで、これまた自称フランス人貴族のブランシェと結婚したいと願っているのです。

 

ところが、待てど暮らせど吉報(?)は届かない。どころか、当のおばあさんが元気な姿でカジノに登場。ビギナーズラックで大金を手にしたおばあさんでしたが、大方の予想通りその後は負け続けてしまい、持参した大金を全て失ってしまうのでした。

 

さあ、将軍は金目当てにうろついていたフランス人たちに見捨てられ、ドイツ滞在中に賭博のことしか考えられなくなったアレクセイも転落の道をひた進むことに。果たして一家の再生はあるのか?

 

またもやドストエフスキー小説に登場する典型的なロシア人たちです。感情の起伏が激しく(ゼロか100か、この世の極楽か地獄か)破滅志向。自分のことを客観視することはできるのだけれど、軌道修正することはできません。そして洗練されたフランスに対して憧れと憎悪の念を併せ持つ。いやはや、厄介というか切ないというか。

 

謎なのは、なぜアレクセイ君が貴族一家に気に入られているのか。将軍の義理の娘、ポリーナは彼を見下しながらも屈折した愛情を感じているようだし、一度しか顔を合わせたことがないおばあさんも全幅の信頼を寄せて賭の指南役に命じるのです。私には読み取れない魅力があるのかしら?

 

英人ブルジョワジーのアストリーが一家に寄せる好意も理由が分からない。家庭教師に過ぎないアレクセイはじめ、フランス人貴族に袖にされたポリーナや落剥した将軍の面倒まで見ようとするのは何故なのだろう。親切なふりで、興味本位にロシア人という民族を観察しているようにも感じます。

 

終盤に登場するパリは、印象派が誕生した前後のパリです。政治的には体制がめまぐるしく変わる激動の世紀でした。新しい芸術を目指す画家たちは明るい色彩で世界を描くと共に、社会が抱える負の側面も暴いています。そんな喧噪の街を想像すると、少しはこの陰鬱な小説にも彩りが添えられます。印象派の画集など傍らに置いて読んでみるのも一興かと。

 

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出発   イエジー・スコリモフスキ

美容師のハンサム青年マルク君は大のクルマ好き。目下の目標はポルシェ「911S」でラリーに出場することですが、若い身空で高級車を所有できるはずもなく、クルマを手に入れるために悪戦苦闘。そんな折り、元モデルのお嬢様ミシェルと知り合い、彼女と2人でレース出場を目指すのですが……

 

マルクはもう無茶苦茶ですな。練習のためにオーナーの911を無断借用するのは序の口。ディーラーを欺して試乗車を盗もうとするわ、お金持ちのマダムに近づいて体と引き替えに借りようとするわ、モーターショーの会場からパーツを盗んでレンタル資金を作ろうとするわ、善悪の判断がつきません。ラリー出場のためならなんでもあり。

 

もちろん、ミシェルが垣間見せる好意にも無頓着。気にはなるけど恋を発展させようというつもりもなさそうです。いや、もしかすると女性経験が少なくて、少々積極的な彼女の行動に尻込みしているのかもしれませんね。

 

なんだか、若いって楽しそうだなあ、とひさびさに感じた映画でした。夢中になって他に何も見えないって、羨ましいような辛いような。ラリーの結果? あれれ……な結末は見てのお楽しみ。マルク君、もしかしたら少し成長したかもね。

 

それにしても小さい911って楽しそう! 狭い道だって苦にならない。今のポルシェじゃなくて、この映画に登場するようなナローポルシェ運転してみたいです。

 

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