Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
<< July 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

憂鬱な10か月  イアン・マキューアン

胎児は胎内でどのような日常を送っているのでしょう。心臓をはじめ、胃、腸、膀胱など、母の内臓が活動するさまは感じているような気がします。では、母体が摂取する飲食物を血液の変化という形で認識するものなのか、また、外界で交わされる会話、環境音、音楽が何らかの形で伝わるものなのか、そして羊水と皮膚の向こうに光を感じるものなのか。

誰もが体験済みなのに誰にも答えられない疑問。マキューアンは新作でそこに目をつけています。しかも、この胎児は産まれるべきか、産まれざるべきか、胎内で苦悩するというのですから驚くほかはありません。

愛人と共謀して夫を無き者にしようとする母。計画が成就すれば、産まれた我が子を捨てるつもりで、失敗すれば、刑務所内で子育てをすることになるはず。語り手の胎児にとってはどちらも受け入れがたい運命です。

両親の手元で成長したい彼/彼女は父親殺害を阻止したいのですが、いかんせん起こせる行動は限られています。自らの力で運命を切り開くことが出来るのでしょうか。

マキューアンの小説はいくつか映画化されていていますが、この物語の映像化はハードルが高そうです。でも、難しいことにこそ闘志を掻き立てられる人たちが多いことも事実。どなたかチャレンジしてくれませんかねえ。絶対観に行きますよ。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

The Dalai Lama's Cat  デイビッド・ミチー

犬や猫をはじめとする愛玩動物たちは飼い主を選ぶことが出来ず、飼われている環境によってずいぶんと違う人生を送ることになります。わが家の猫が今の暮らしに満足してくれていると好いのだけれど。

さて、この小説に登場する猫の飼い主はすごい! 生まれて間もなくお金目当ての子どもたちにさらわれたあげく、足が悪くて捨てられそうになったところを救ってもらったのですが、その人は世界でもとびきりの有名人にして人格者、ダライ・ラマだったのです。

表紙に「小説」と記されているものの、ダラムサラの法王庁で暮らす雌猫の生活を通じて仏教の教えを説くソフトな読み物、といった読後感です。

自分のことしか考えていなかった(そりゃ当たり前だ)無垢な猫がダライ・ラマをはじめ、その側近、料理名人のイタリア人おばさん、カフェの主人、凛々しい雄猫などと交流しながら、真理に目覚めていくという筋立ては、類型的で物足りなさを覚えます。

ただ、普段知ることのないダライ・ラマの暮らしぶりや、法王庁があるマクロードガンジの描写がとても興味深く、完全なお上りさん気分で楽しんだのでした。

 

JUGEMテーマ:読書

 

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

サイの季節

イラン革命前夜のテヘラン。詩人サヘルは妻に横恋慕した運転手が巡らせた策略により、政治犯として30年の投獄生活を強いられることになります。出獄後、ようやく妻ミナを尋ね当てたたものの、彼女は元運転手アクバルによる軟禁状態にあり、しかも2人の子どもが同居していたのです。

サヘルは再会を熱望していたにもかかわらず、妻の行方をイスタンブールの海沿いに尋ね当てた後は、岸壁に停めた車中から彼らの暮らす家を注視したり、外出時に後をつけるだけです。知り合う人たちとも殆ど言葉を交わさず、表情にも乏しい。いったいサヘルは何を思って妻たちを見守っているのでしょうか。

彼の心中をうかがい知るには、映画中に挿入される詩、そして心象を写したとおぼしき非現実的なシーンに頼るほかありません。しかし、監禁部屋に降りしきるカメ、車中に顔を差し入れるウマ、砂漠を疾走するサイの群れを見せられても私の頭は困惑するばかりなのでした。

では、その困惑が苛立ちにつながるかというとそんなことはなく、無心のうちに目が画面に吸い寄せられてしまうのです。やがて、そこに漂う静かな絶望感、あるいは諦観がゆっくりと胸にしみ込み始め、心が不思議な静けさに満たされるのでした。
ある種の宗教体験と呼べそうな、他に例のない映画でした。

50歳を目前にしたモニカ・ベルッチ、良い感じに年齢を重ねていますね。

 

JUGEMテーマ:映画

映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

未成年  フョードル・ドストエフスキー

この物語を一人称の語りで進めるのは、自尊心が高いくせに世間知らずで頭でっかちなアルカージイ君。くどすぎる喋りと突飛な行動のくり返しにイライラと惑わされてしまうのですが、物語の核心となるのは実父であるヴェルシーロフ。

貴族出身の彼は平等な価値観を持った世界人でありたいという「高邁な思想」を抱く一方、女性にくらくらしてしまう弱点を抱えているのでした。出会うご婦人方に衝動的に対処するものだから、あちらこちらでトラブルの種を捲いてしまい、異腹の子どもたちや内縁の妻は大迷惑を被ってしまいます。

家族を不幸に突き落とす人間に人類の幸福や未来を語る資格はあるのか? 政治家が善人である必要はないという意見同様に、議論しても決着がつかない問題ですね。

ドストエフスキーの小説で共通して興味を惹かれるのは、自分たちを二流の民族だと卑下するロシア人の心持ちです。一方で、「イデーを総和させて世界市民になれるのもロシア民族だけ」だと自負し、少なからぬ登場人物が両極端な思いに引き裂かれるように精神の分裂を起こしてしまう。
これ、一般的なロシア人の傾向なのか、この作家の特徴なのか、詳しい方がいたら教えていただきたいものです。

そうそう、当時のロシアでは死別しないかぎり離婚できなかったこと、農奴制が崩壊し、社会主義思想が広がり始めていたことなどが読み始める前に分かっていなかったため、「なぜにその発言?」と何度も頭をひねることになりました。
学校でいったい何を習っていたんだ、私は。

 

JUGEMテーマ:読書

 

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ゴーギャン タヒチ、楽園への旅

新たなインスピレーションを求めてタヒチへと旅だったゴーギャン。「原始のイブ」を見つけた喜びをキャンバスに表現し続ける一方、破局の予感に苦悩し、やがて衰弱していく…

実のところ、タヒチで描かれた一連の作品を見ても、巷で言われるような生の喜びが伝わらないなあ、と思っていました。鮮やかすぎる色彩とフラットな描き方に違和感を覚え、私の画家ではないな、なんて。

ところがです。この映画に登場するモデルであり配偶者(?)のテフラを見た瞬間、ゴーギャンの有名な作品群がどっと頭によみがえり、そこに込められたであろう画家の興奮や情熱をまざまざと感じることになってしまったのです。

生命力に溢れる健康美、島の部外者にはうかがい知れない心の奥。「おれの求めるものがここにあった!」とゴーギャンは有頂天になります。よくぞこの女優をテフラ役に採用したものです。私だって彼女と一緒に南国の生活を謳歌してみたいと思いました。

実に楽しげな、そして辛そうなタヒチでの生活。これ、実話なのかな? ストーリーがまとまりすぎていて、もしかすると代表作の数々を元に紡ぎ出された完全な創作かもしれない、と感じました。
もちろん、それで全く問題なし。もしそうであれば、その作業は楽しいだろうなあ。

「月と六ペンス」も再読したくなります。

 

公式サイトはこちら

 

JUGEMテーマ:映画

映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

足立美術館所蔵 横山大観と近代日本画名品展

大観の画歴を俯瞰する22点は質量ともに見応えがあり、特に、ポスターに用いられた六曲一双の大作「神州第一峰」は雄大さと張り詰めた緊張感に圧倒され、荘厳な雰囲気に畏怖の念さえ覚えてしまいます。「霊峰夏不二」で青い富士山を取りまく雲の描写にも目が釘付け。

個人的に楽しみにしていたのは東西の美人画対決です。鏑木清方の描く凛とした女性、上村松園のやわらかな女性、この2人の作品が並んでいるところを見たかったのです。
清方は男の求める理想像、松園は女性の願望像を描いているように感じました。
私は松園の方が好みだな。

もう1人の美人画家、伊東深水のハイカラな女性に朝丘雪路を想像するのはうがち過ぎですかねえ。

色彩の鮮やかさとデザイン性にはっとしたのが小林古径の「木蓮」。早春の野に燃え立つ生命そのものを見たようで、しばらく立ち去ることができなかった。

展示される作品点数も適量で、全てをゆっくり鑑賞してもぐったりすることはありませんでした。優雅な午後のひとときでした。

新潟市新津美術館で5月20日迄

 

JUGEMテーマ:美術鑑賞

美術 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

小倉遊亀展

美術展に出かけて感銘を受ける作品は数多くあるものの、実際にその絵を自室に飾ってみたいかと問われると、是非にもと思うことは意外に少ないものです。サイズの問題もさることながら、題材によっては部屋が陰気になりそうだし(ゴヤの黒いシリーズに囲まれたら人間不信になるな)、作家のパワーが溢れすぎる作品も疲れそうです。

私にとって小倉遊亀はその点で希有な画家でして、美術館で気に入った作品をそのまま自室に持ち帰れたらなあ、といつもため息をついてしまいます。

今回の展覧会で持ち帰りたいと思ったのは、素早い線と人物の柔和な目元に心が和む「夏の客」、105歳の絶筆ながら力強く色彩にあふれる「盛花」、1950年代の小津映画に出てきそうな闊達な女性を描いた「娘」でした。

小倉さんは、生きとし生けるもの全てが仏と考えていたようで、なるほど、人を見る目が優しいと感じます。一方、静物画は対象物の美しさをそのまま描くのではなく、強調して、あるいはより効果的に見えるように再構築、デフォルメするという、自由で軽やかな精神に溢れています。

売店で画集や絵はがきを手に取ってみたものの、やはり実物を見た直後では受ける印象の落差にがっかりして購入に至らず。
せいぜい、会期中に何度も足を運ぼうと思うのでした。

新潟市美術館で6月10日迄楽しめます。

 

JUGEMテーマ:美術鑑賞

美術 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ハッピーエンド

端から見れば、裕福でうらやましくなるような生活を送る建設会社社長一家。しかし、普通の家庭と同じようにさまざまな問題を抱えています。

現場の死亡事故、跡取り候補である長男の無能さ、2番目の妻と共に実家に同居する社長弟の不倫、高齢になった前社長の認知症(の振り)。そして幼い姪が抱える心の傷。

みんな大変だけど、よくあることだな、そう思った私の心を見透かしたかのように、老父が姪に言います。
「庭で大きな鳥が小さな鳥を捕まえて食い殺した。テレビで見ていたらこれも自然の摂理だと理性的に納得できたはず。しかし、現実にこの目で見ると震えるほど恐ろしかった」

観客である私はスクリーンで起きる出来事を理性的に納得しながら見つめています。この映画でも「よくあることだ」と、この家族の問題を一般化しています。しかし、当事者がその悩みを一般化することは難しく、たとえ可能だとしても、「心が震えるほど恐ろしい事実」が消えるわけではありません。

現代人の多くは携帯電話を有し、そのカメラレンズを通して世界を認識する機会が増えています。しかし、レンズを通すことでスクリーンに映る出来事を極度に客観視してしまい、心震わせる人の気持ちをくみ取ることができなくなっている。

媒体を介さずに現実に向き合えば、さまざまな問題を「ハッピーエンド」に終わらせる可能性がある、監督はそう訴えているのかもしれません。

もし、そうであれば、この作品は映画を否定する映画と見ることもできます。

 

公式サイトはこちら

 

JUGEMテーマ:映画

映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

楽園のカンヴァス  原田マハ

アンリ・ルソーの大コレクターであるバイラーは死期を悟り、所有する大作を世界的権威に鑑定依頼して優れた講評を述べた人物に取扱権を譲渡すると決意。選ばれたのはMoMAアシスタントキュレーターのティム・ブラウンと新進気鋭の研究者、早川織絵。

真贋の判定方法は、7章からなる書物を毎日1章ずつ読み進めるという奇妙なもの。MoMA所蔵「夢」に酷似した「夢を見た」は果たして本物なのか、いずれが勝者となるのか、そして譲渡の意図は。

ストーリー展開のスリリングさもさることながら、作者の絵画作品に対する姿勢が興味深かった。作中の主要人物は何百時間も一つの作品と対峙し、作家の意思、情熱を探り当てようとします。もちろん、原田さん自身も同様か、それ以上の熱意を持って対象作品に向かい合っているでしょう。1つの作品からこのような物語を紡ぎ出すほどなのですから。

新しい視点を与えてもらえるとはなんと楽しいことだろう。私自身も「日曜画家」レベルじゃないの? と見ていたルソーに対する別な視点を教えてもらいました。

そして、他の画家に対しても柔軟な心、素直な気持で作品に対峙したいと思いますね。これまで、原田さんや、作中人物と同じように、とことん絵画作品に向き合ったことはなかったなあ。

作中に現れるルソーの物語だけを独立させ、細部をもっとふくらませても興味深い作品になりそうです。

 

JUGEMテーマ:読書

小説 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ある愛へと続く旅

オリンピックを目前にしたサラエボで出会ったジェンマとディエゴ。結婚後、子どもが授からない夫婦は思い出の地で代理母出産に踏み切りますが、民族紛争が勃発したサラエボで2人は離ればなれとなり、やがてディエゴ死亡の報が届きます。
16年後、往時の友人、ゴイコに招かれたジェンマは息子ピエトロを伴ってサラエボを訪れ、そこでピエトロ誕生にまつわる驚きの事実を知ることになるのでした。

役者がしっかり演技しているのに、各シーンに深みが感じられず、映画に求心力が働いていない、深刻なテーマをうまく捌けていない、などとくさしていたのに、母子がゴイコの自宅を訪ねる最終場面で印象が一変しました。

それまでは情熱的なジェンマに比べて彼女を取りまく人物がうすっぺらに感じられたのです。しかし、核心となる事実を知ると、実際には彼女以外が善意に満ちた利他的な人物ばかりで、むしろ、ジェンマの利己的な性格が浮き彫りになってしまうのでした。

でも、この映画はそこで終わりません。真実を知った彼女が、他の人物たちに劣らぬほど利他的な人になるであろう可能性を示しているのです。ジェンマが覚醒すれば善意の環が完成する。

そしてもうひとつおまけが。なんとも意地悪いことに、最後の最後に新たな悲劇の種が捲かれていて、なかなか一筋縄ではいかない映画なのでした。

 

JUGEMテーマ:映画

映画 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |