Un gato lo vio −猫は見た

映画やらスポーツやら小説やら、あれやこれや。
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恋歌

天狗党と諸生党の争いにより、藩内が二分された幕末の水戸藩。江戸屋敷のひいきに預かった池田屋の娘、登世は、一目惚れした藩士の元に嫁いだものの、時代の激流に翻弄されて辛酸をなめることに。危ういところで一命を取り留めた彼女が維新後、己の才覚で人生を切り開いていった覚悟とは…

登世が、争いを生むことになった元藩主(烈公)の未亡人であり、現藩主の母、貞芳院に釣りの手ほどきを受ける場面があります。その時、貞芳院が「人は群れるとろくでもない生き物」だと嘆いたように、復讐はさらなる復讐を呼び、惨劇の連鎖は水戸藩内のみならず、全国各地へ広がり出してします。

しかし、胸の奥でうずくはずの恨みをや嘆きを抑え込み、その鎖を断ち切ろうとした登世の決断は見事だった。それは、奇しくも冲方丁が「光圀伝」の中で義を全うさせた光圀の姿と完全に二重写しになるものでした。
水戸藩に受け継がれた美しい価値観に感じ入る一方、光圀から始まった財政難が登世たちに災いを成したことを思うと複雑な気分です。

二人の異なる作家が記した別個の物語なのに、示し合わせたかのような関連性。こんなことがあると、さらに読書の楽しみが広がります。

 

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羅生門

山中で盗賊に襲われた一組の夫婦。夫は命を落としたものの、盗賊はあっけなく捕縛。検非違使の庁で行われた取り調べには、目撃者、盗賊、妻、いたこに憑依した夫がそれぞれ証言を行いますが、妻が陵辱された後の話が、ことごとく食いちがう。果たして真実を語るものはいるのか。

人は自分の都合に合わせて事実をねじ曲げる身勝手で強欲な生き物。その浅ましさに、羅生門に棲む鬼も逃げ出した、というお話。

2時間足らずの映画ですが、見応えがありました。特に、チャーミングな三船敏郎と、清楚な外観に毒々しい内面の乖離がぞくっとする京マチコの演技には惹きつけられました。共に浅ましい人間の本性をさらけ出す役どころですが、あふれる出る瑞々しさがなんとも眩しい。逆ギレした女に毒づかれ、にわかにしゅんとした三船の可愛らしさといったらありません。「蜘蛛巣城」で見せた弱さも良かったし、今さらながらファンになってしまいました。

ところで、この映画、登場人物をもっと増やして、相関関係を複雑にしたら「ツイン・ピークス」になりますね。スタージェスが「七人の侍」に影響されて「荒野の七人」を作ったように、リンチもこの映画がいたく気に入っていた、なんてことはないのかなあ。

 

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リリーのすべて

愛が相手の全てを受け入れることだとしたら、その気持ちが離れてしまうことも受け入れなくてはならないのでしょうか。

意図して選んでいるわけではないのに、映画にしろ小説にしろ、最近やけに夫婦のあり方を問う作品に遭遇しています。戦前に行われた性転換手術に興味を惹かれがちなこの小説も、本質は夫婦の関係を考えさせるものでした。

共に画家として活躍するアイナーとグレタ。夫の心に女性が存在することに気付き、彼女を誕生させたのは妻でした。グレタはリリーと名付けられた少女を積極的に受け入れ、しかも彼女を描いた一連の作品で画家としての成功も手に入れます。

アイナーは男女2人の人物が存在する自分をそのまま受け入れてくれるグレタに感謝するものの、やがてリリーとして生きることを決意。必然的に男性に心惹かれるようになり、2人の夫婦としての関係は穏やかに変質することになります。

リリーとなった夫を変わらずに愛しているものの、妻としての立場が失われたグレタ。彼女がアイナーの幼なじみで画商のハンスに男性を見るようになり、やがて気持ちを寄せていくのは当然だったように思います(読者の私はそれを望んでいました)。

この物語が他と違うのは、リリーもグレタもハンスも(そして、グレタの弟カーライル、リリーが結婚を望むヘンリクも)関係が変わった後でも互いを理解し合い、愛情を注ぎ合う点です。性転換という特殊な事情を考慮したとしても、そこに新しい結婚制度のあり方、夫婦の自由な心の通わせ方を見ないわけにはいきませんでした。
穏やかなのに衝撃的な物語です。

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猟銃

妻みどりの友人彩子と13年間にわたって不倫関係を続けてきた三杉穣介。愛人の死後、彼の元には秘密を知った彩子の娘である薔子、彩子、そして、みどりからの手紙(遺書)が次々に届き、女たちの葛藤が明かされる。

穣介はみどりが笑顔の裏に隠した嫉妬と不信感に気づかず、また、彩子が陶酔感を求めた本当の理由など想像すらつかなかったように思えます。
長年の葛藤を手紙の形で処理してしまい、自分の心と折り合いを付けた女性たちはすっきりと(?)次の道を目指しますが、全てを知ってしまった穣助はむなしさを抱えたまま残りの人生を過ごすことになるのでしょう。
そんな老後はいやだ!

人の気持ちは分からないものだということさえ分からない恐ろしさ。
この小説は短編なので、軽くジャブを打たれた程度の衝撃ですみますが、これをリアルにとことん追求されるとノックダウン必至。
立ち上がれなくるほどの恐ろしさを体験したい人には「カジュアル・ベイカンシー」がお勧めです。

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隣の女

かつて恋人同士であったマチルドとベルナールは、求めれば逃げる、逃げれば求められるという消耗戦必至の組み合わせ。傷つけあって別れた後にそれぞれが伴侶を見つけて平穏な暮らしを送っていましたが、運命は意地悪だった。8年後にお隣さんとしてまさかの再会を用意しているのですから。

さあ、焼けぼっくいに火が付き、以前と同じくややこしい駆け引きが始まることに。やがて抜き差しならぬ事態に発展した2人の関係の行き着く先は…

男女関係に愛という価値観を持ち込むのは間違いかもしれない。結婚制度も人間という生物の特質には合わないような気がします。少なくとも、愛至上主義から脱した方が心穏やかに生きられると思うのですが。

関係者の全員を知るテニスクラブのオーナー、ジェーヴ夫人は、物語の最後にこう言います。「あなたと一緒では苦しすぎる。でもあなたなしには生きられない」という愛があるのだと。

マチルドとベルナールはまさしくそのような愛を生きたわけですが、愛こそすべてという価値観に絡め取られていなければ、あるいは、結婚制度が貞節を求めるものでなければ、あれほど苦しむことはなかったはず。情熱に身を委ね、一時の幸福を味わい、やがて冷めてしまうだけのことだったのですから。

誰が植え付けた価値観、誰が考え出した制度か知りませんが、罪なことをしてくれたものです。まあ、そのおかげで、さまざまま芸術も生まれたわけですが…

 

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猫と庄造と二人のおんな

「春琴抄」の佐助や「痴人の愛」の譲治のように、庄造君も「貴方のためなら何でもします。もっとぶちのめして」という態度で愛するものに接するわけですが、他の2人とちょいと事情が違うとういうのは、その愛の対象です。現在の妻の福子でもなく、追い出した元妻の品子でもない。彼が愛して止まないのは、10年来暮らしを共にした猫のリリーなんです。

同居しているうちは良かった。それぞれの妻に嫉妬されようが馬鹿にされようがおかまいなし。リリーの気まぐれに翻弄され、尽くすことこそ庄造君の生きがいなのですから(口移しで餌をやるなんて!)。

ところが、新旧2人の妻の思惑が一致し、リリーは品子の元へ。やがて辛抱たまらなくなった庄造は、留守を狙って品子の住まいへ押しかけたものの、久しぶりのリリーは知らん顔。「あんた、誰?」という態度にしおれた庄造君は哀れだった。

誰かに支配される人生なんて嫌だ、谷崎の主人公達の精神構造は理解できない、と思いながらいくつかの作品を読み続けてきたのですが、この小説を読んではっと気付かされました。
私にも20年近く暮らしを共にしている猫がいて、実質的なわが家の支配者はあいつだった。程度の差こそあれ、やっていることは基本的に庄造君と一緒。何をするにも猫の都合が優先されるのです。

ああ、まさか自分が被支配を好む性質だったとは…

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ジプシーのとき

ベルハン君の短い人生の物語を縦軸にジプシー(ロマ)の人々の暮らしぶりを描いた作品。おかしさと哀しさが渾然一体となって進む物語はクストリッツァ監督の十八番です。

世間知らずで気が弱く、でも優しいが故に窃盗集団に引き込まれたベルハン君。この映画は彼の不運とジプシーたちの民族としての不運が重なって見える仕掛けのように思います。盗みや音楽で日々の糧を得ようとするジプシーの暮らしぶりには胸が塞がり、ベルハン君の転落に、なんて報われない人生なんだと肩を落とすエンディング(アーメドは本当に悪い奴だった…)。

ただ、ここから「アンダーグラウンド」「黒猫・白猫」が生まれたことは確実です。アンダーグラウンドでは、恨みつらみも死んじゃえば関係なし、人間なんて誰でも同じようにひどいんだから、みんなまとめて許しちゃう、という態度に変わり、黒猫・白猫では、酒と音楽と相方がいれば、とりあえずこの世はバラ色、楽しまなくちゃ損! というメッセージを発信しています。

もちろん、それぞれが充実した作品ですが、3作続けて見ると監督の心の動きが分かるような気がして、一層楽しめること請け合いです。

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チケット運に泣いた東響第96回新潟定演

リスト、ショパン、ラフマニノフのピアノ協奏曲を一度に楽しめるプログラムと聞いては出かけないわけにいきません。なにしろ、この型式を偏愛しているもので。
ところが、チケット予約で後れを取ってしまい、確保できたのは3階のステージ脇。音響大丈夫かな、と若干の不安を覚えたまま演奏会に臨んだのですが…

果たして、不安的中。
指揮者とピアニストの表情が見えるのは良しとしても、肝心の音が届いてこないじゃないかあ。隣の会場の演奏を聞いているような、ガラス1枚隔てた向こうの演奏を聞いているような、なんともやるせない状況で、(手摺りも邪魔で)全く集中できませんでした。特にピアノが聞こえなくて、これはひどすぎる。

演奏後の大喝采から察するに、なかなか出来の良い演奏だったようで、悔しさ倍増です。やはり座席は重要だと思い知らされた夏の夜でした。

 

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さざなみ

英国の郊外で暮らすケイトとジェフ。1週間後に結婚45周年のパーティーを控えた2人の元に1通の手紙が届き、そこには夫の元恋人が氷河の中から発見されたと記されていました。
50年前になくなった死者が長く連れ添った夫婦の心にさざ波を起こし、その波紋は静かに、しかし確実に大きさを増していくことになります。2人の結婚生活は46年目を迎えることができるのか、それとも…

なんといってもシャーロット・ランプリングとトム・コートネイが素晴らしかった。静かで、自然体で、それでいながら心の波紋をにじませる演技はこれぞプロフェッショナル。2人が表現する人間像は非常にリアルで、彼らの心の動きが切なく感じられました。

静かな静かな映画なのに、心に残るシーンが多かった。
かつての恋人を映したスライドを発見したケイトが次々にその写真を見つめるまなざし(しかも、亡くなった彼女は子供を宿していた)はことに印象的でした。そして極めつけはパーティーのラストシーン。ジェフが感動的なスピーチを披露した後、2人は皆のリクエストでダンスを踊ります。しかし、最後にケイトは夫の手を振り払ってしまうのです。

2人で過ごした45年という歳月がさざ波をやがて呑み込んでしまうほど深味をたたえたものなのか、それとも砂上の楼閣のようにあっさりと流されてしまうものなのか。ケイトとジェフが46年目の朝をどのように迎えることになるのか、観客の判断に委ねる終わり方もよかった。

原題は「45年」。「さざなみ」の邦題はおみごとです。

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不動明王に睨まれあえなく撤退 弥彦山 田ノ浦コース

みんなで弥彦山へ登ろうという話になり、どのコースが楽しそうか下見に。

まず、日本海側から登る田ノ浦コースへ取り付いたのですが、いきなり道を間違った。登山コースではなく廃道となった(?)林道開ノ木線へ歩を進めてしまったのでした。約1時間の藪漕ぎの後(崖下に転落しそうだった!)に道が消えたので、さすがにおかしいと思い、回れ右。引き返したところ、麓(銅山道分岐点)にちゃんと分岐の表示があって、脱力。

 

道が消えた!

さて、気を取り直して登山道へ入ると、右手の沢を流れる水音も涼しげで、いかにも里山風。道の傍らの不動明王像に手を合わせ、鼻歌交じりで気分良く歩いていたのですが、その先にまたしても試練が。

最初の砂防堰提でいきなり道が途切れているのです。目印もなし。どうすりゃいいんだ? と思案しつつ険しい斜面を見上げると、なんとなく踏み跡がついているように見えました。
そうかここか、と取り付いてみたものの、直立不能。張り出した木の枝や根を手掛かりにしないと体を引き上げられません。ハイキング用シューズでこれ以上登っても降りられないし、どうしようと再び思案しているところへ、上から人が降ってきた。

「上はガレ場になっていて踏み跡も分からない」から引き返してきたとのこと。いかにも山に慣れた人のようでしたので、経験の少ない私はここで断念。2人で堰提まで戻り、冷や汗を拭うのでした。
「まさか弥彦で撤退するとは思いもよらなかった」と悔しそうでした。

下山途中、山菜採りの地元のお父さんを見つけて話を訊くも、20年以上昔に登ったきりでよく覚えていないとのこと。
いずれにせよ、夏は草木が生い茂って道が分かりにくい、春先が楽しいよと諭されたのでした。

その後は、西生寺脇の裏参道ルートから登ってお茶を濁すことにしたものの、行き帰りに目にした不動明王像に「未熟者め」と嘲笑われているようで気分が晴れず。
ええい、来春に再度のチャレンジだ。

 

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